asa. Diary
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2006/07/22(土) 大阪紀行―太陽の塔 2006.7.22
神戸から、東へ。

例にならって、最低料金で乗車する。

けれど、行き先は決まっていた。



「大阪!」



大学3年の頃行った時は、あまりまわることが出来なかった大阪…。



電車に揺られ、耳に入ってくる関西弁が心地よい。



大阪駅に着くと、まずは市街をまわろうということになり、コインロッカーに荷物を預け、市街をまわった。



フジフォトサロンが目についたので、入ってみると、インドの写真が展示されていた。



こうして、写真や映像で、行ったことのない土地の景色を見られることが、いつも不思議だなって思う。



そして、インドというイメージを持ち、それと当てはめている自分を確認する。



また、その情景にあう、温度や臭いといったものも想像し始めている自分もいた―



(「岡山県立美術館で、私の作品をみて、子どもの頃、水溜りに足を入れたときのことを思い出しました。」という感想を頂いた。

言うまでもなく、その人の体験した時の水溜まりの写真ではないが、その人は、作品を見て、過去を喚起した。

同じように作品を、みて、地球をイメージした人もいれば、命をイメージした人、水の音が聞こえた人など、様々だ。

また、「写真の上に立った瞬間、がっかりした。」という感想もいただいた。

外から見ているときは、いろんなことを想像できたけれど、水の中(=写真の上に立つ)に入ってみたその瞬間、現実に引き戻されたという。

非常に興味深いことは、作品をみる人、一人一人が、自分の記憶を辿ったり、飛躍させて想像したりしていることだ。そのとき、まさに、自分が主役なのである。)




―行ったことのない、インドを旅した後、私達は、「大阪城」、「岡本太郎の太陽の塔」をみにいこうということになった。


大阪城は当時の姿をそのまま残している…わけはなく。


四階まではエレベーターで行き、天守閣までは階段で行った。


この手の居心地の悪さ、ぎこちなさは、様々な場所で体験しながらも、慣れない。


城のそばにあった、食堂で昼食をすませ、「太陽の塔」のある、万博記念公園に向かう。


大阪駅から、最寄り駅の「茨木駅」までは、約30分、そこからバスで15分ほどで、万博記念公園に到着。


太郎の「太陽の塔」は入り口に入る前から確認できた。


私がまだ生まれる前にあった万博のシンボルであった、「太陽の塔」。


歩くにつれて、次第にその姿は巨大なものになってくる。



そして、「太陽の塔」と向かい合う…



気持ちよく晴れわたった空を背景に、塔はある。



「―何事にも収容できない」



異論を怖れずに言うならば、これは美術であるのかも分からない。何かに収めようとすればするほど、その行為自体がおかしなものだと思えてならない。


前述した、作品を見て、何か、記憶などを辿るという行為さえも否定する「もの」が、目の前に、ただ、ある…。


想像しうる範囲を超えている。


そして、この世界の全ての考えうるカテゴリーを寄せ付けることなく、ただ、存在する。


目の前の「もの」をみて、私はとてもクリアになった。


写真だ、とか。

美術だ、とか。


そんなカテゴライズは、必要ないのでないか―




(写真を撮っていて、よく人から「何を撮っているのですか?」と聞かれることがある。

そんな時、私は、いつも戸惑う。

その理由は、相手が期待している答えは、「風景」だとか「人物」だとか「スナップ」といったものであることが想像できるとともに、私自身、何を撮っているのか正直、わからないからだ。

私自身、写真をやっているけれど、写真をやっているといった意識を持ったことがない。

無理に言葉にするのであれば、自己追求といった言葉が一番近いのではないかと思う。

今は、写真がそれの最善の策であって、他に見つかったのであれば、他に移行することが容易に想像できる。)




―太郎は、絵を描き、彫刻をつくり、写真を撮った。


そして、「太陽の塔」をつくった。


太郎の言葉に、「敵が存在するとしたら、それは自分自身だ」
という言葉がある。


この世の、すべての収まりを跳ね除け、自分自身にさえ収まる事を拒み続けた太郎の生き方が、少しだが、わかった気がした。


その後、小学生からの夢であった、ガンバ大阪のホームゲームを観戦し、夜行バスに乗り込んだ。


バスに乗って、約八時間…。


早朝6時半、新宿に着いた。


岡山から神戸、そして大阪。


ひょんなことからはじまったこの旅は、私自身を考えるいい時間を与えてくれた。


最後に、私の大好きな、沢木耕太郎の言葉で結びたいと思う。


―旅は、目的地に到着しただけでは終わらない。いや、出発地に戻っただけでも終わらない。旅が終わったところから、また新たに始まる旅があるからだ―


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