asa. Diary
asa.の「今日」です。
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2006/07/30(日) 部屋にて
部屋にいられる時間が増えたので、思考する時間も増えました。


これで、作品に繋がる何かが得られたら最高ですが…。


かのアインシュタインも、暇な時にこそ、大発明をしたとか…。


それはさておき、


読む時間が無くて、買うだけ買った雑誌もじっくり読むことができ、そのほか、釣具いじったり、無駄に空シャッター切ったり…。


そうそう!


最近買った雑誌でお勧めなのは、


「b*p 増刊第3号」

http://www.bepal.net/temporary/0608bp/index.html

特集:自分をぶっこわす夏。



―自分をぶっこわしてみませんか?

とは、かなり挑発的なコピーだが、かなりそそられる。

記事の内容は、自転車の特集、旅、そしてカメラまで。

これで、釣り場特集でもあれば、いうことはないのだけれど、記事を読んで、愛車で夏の風をきりたくなりました。



この記事を読んだあなた!

この夏、自分をぶっこわしましょう!


この夏でないと出来ないことがある!!


手遅れにならないうちに☆



写真:カメラ置き場:「またたき」漬けにしています(笑)

2006/07/24(月) アートの意義
「Mite!おかやま」

岡山県立美術館特別展の開会式



オープニングのアレナス言葉、

「―この展覧会は、みることがとても楽しい展覧会です。三千年以上も前の作品から、日本の若い現代のアーティストの作品まで幅広く楽しんでください。」


と、私のことを紹介してくれた。



「…アーティスト」



その響きが、とても恥ずかしかったが、胸を張っていられたのは、自分の、いままでの思想、メッセージが他人に届くことをリアルに実感できたからだ。





アートは、人を感動させるだけでは弱い。





一時的な感動は、ありふれたエンターテイメントと何ら変わりない。





アートとは、人を行動させるものだ。





そのことがアートの存在意義ではないだろうか?





アーティストは、答えを投げつけるのではなく、提示する。
責任を持って。




そして、みる人は、自分自身で思考し、行動する。




それは、一人一人が、「今」について思考することに他ならない。




そして、自らの「生」を実感するものだ。





迷い、悩む、私達の存在意義とは何か



私達は問い続ける。




―展示会場をみると




展示された全ての作品からは、生きている人間のエネルギーがまたたいている。




…その作品たちを見て、私も行動することにした。


次はどこへ行こう?

2006/07/23(日) 「Mite!おかやま」―岡山県立美術館特別展
本日、岡山の旅から、帰りました。

神戸や、大阪を経由し、大阪から夜行バスに乗り、東京へ。

色々あった旅でしたが、まずは岡山県立美術館の話をしたいと思います。

神戸紀行、大阪紀行は後日アップします。




 
 岡山県立美術館特別展「Mite!おかやま」が今月21日、開催された。

約一ヶ月間(8/20まで)、上記展覧会が開催されている。



 この展覧会は「みることは楽しい!」という、アメリア・アレナスの思想が具現化した展覧会。

会場を、1からつくるところから携わって、アレナスの仕事を間近で見ることができた。

アレナスは、会場を裸足で歩き回り、思考を重ねていく。





特に、作品の配置の仕方。



キャプションが一切なく、時代や国籍や材料、手法といった情報を与えない。

作品そのものをみて、思考する配置。



その作品と作品の関係性、異質なものを近くに置いたり、同質なものを近くに置いたり、見る人の思考を考えて、みる人の感覚を狂わしたり、時には運動を必要とさせたり…。



そして、最後には、ひとつひとつの作品がまるで遊園地のアトラクションのように、いままでみることがこんなにも楽しいものだったことを発見する配置となって感じられる。




 アレナスは、美術作品は、「火」だと言った。




太古、私達の祖先は、火を囲み、様々なことを語り合った。

美術作品も、他人と様々なコミュニケーションを生み出す、「火」そのものだ、と。


そして、全ての作品は、ある一つのことに収斂されると言う。

 人間、物語、自然、日常といったテーマで構成された展示をみると、そのことが言葉以上のもので理解できる。




それは、





「この世界がかくも荘厳ですばらしいものであり、同時に私達自身のように傷つきやすくはかないものだということに」

                                                 ―アメリア・アレナス

 





 

 今回もまた、作品を通して、沢山の人と出会うことが出来た。作品をつくることは、メッセージを誰かに、発すること。


 アレナスに言われた言葉が、頭をよぎる。


「作品は、見る人がいて、はじめて完成する。それを忘れないで」

今回の展覧会で、沢山の人が私の作品をみて、そして自分のこととして考えて、友人と語り合っていただけたら幸いです。


 私もまた、その「火」を絶やさないよう、精進し、常に薪をくべていきたいと思った。

2006/07/22(土) 大阪紀行―太陽の塔 2006.7.22
神戸から、東へ。

例にならって、最低料金で乗車する。

けれど、行き先は決まっていた。



「大阪!」



大学3年の頃行った時は、あまりまわることが出来なかった大阪…。



電車に揺られ、耳に入ってくる関西弁が心地よい。



大阪駅に着くと、まずは市街をまわろうということになり、コインロッカーに荷物を預け、市街をまわった。



フジフォトサロンが目についたので、入ってみると、インドの写真が展示されていた。



こうして、写真や映像で、行ったことのない土地の景色を見られることが、いつも不思議だなって思う。



そして、インドというイメージを持ち、それと当てはめている自分を確認する。



また、その情景にあう、温度や臭いといったものも想像し始めている自分もいた―



(「岡山県立美術館で、私の作品をみて、子どもの頃、水溜りに足を入れたときのことを思い出しました。」という感想を頂いた。

言うまでもなく、その人の体験した時の水溜まりの写真ではないが、その人は、作品を見て、過去を喚起した。

同じように作品を、みて、地球をイメージした人もいれば、命をイメージした人、水の音が聞こえた人など、様々だ。

また、「写真の上に立った瞬間、がっかりした。」という感想もいただいた。

外から見ているときは、いろんなことを想像できたけれど、水の中(=写真の上に立つ)に入ってみたその瞬間、現実に引き戻されたという。

非常に興味深いことは、作品をみる人、一人一人が、自分の記憶を辿ったり、飛躍させて想像したりしていることだ。そのとき、まさに、自分が主役なのである。)




―行ったことのない、インドを旅した後、私達は、「大阪城」、「岡本太郎の太陽の塔」をみにいこうということになった。


大阪城は当時の姿をそのまま残している…わけはなく。


四階まではエレベーターで行き、天守閣までは階段で行った。


この手の居心地の悪さ、ぎこちなさは、様々な場所で体験しながらも、慣れない。


城のそばにあった、食堂で昼食をすませ、「太陽の塔」のある、万博記念公園に向かう。


大阪駅から、最寄り駅の「茨木駅」までは、約30分、そこからバスで15分ほどで、万博記念公園に到着。


太郎の「太陽の塔」は入り口に入る前から確認できた。


私がまだ生まれる前にあった万博のシンボルであった、「太陽の塔」。


歩くにつれて、次第にその姿は巨大なものになってくる。



そして、「太陽の塔」と向かい合う…



気持ちよく晴れわたった空を背景に、塔はある。



「―何事にも収容できない」



異論を怖れずに言うならば、これは美術であるのかも分からない。何かに収めようとすればするほど、その行為自体がおかしなものだと思えてならない。


前述した、作品を見て、何か、記憶などを辿るという行為さえも否定する「もの」が、目の前に、ただ、ある…。


想像しうる範囲を超えている。


そして、この世界の全ての考えうるカテゴリーを寄せ付けることなく、ただ、存在する。


目の前の「もの」をみて、私はとてもクリアになった。


写真だ、とか。

美術だ、とか。


そんなカテゴライズは、必要ないのでないか―




(写真を撮っていて、よく人から「何を撮っているのですか?」と聞かれることがある。

そんな時、私は、いつも戸惑う。

その理由は、相手が期待している答えは、「風景」だとか「人物」だとか「スナップ」といったものであることが想像できるとともに、私自身、何を撮っているのか正直、わからないからだ。

私自身、写真をやっているけれど、写真をやっているといった意識を持ったことがない。

無理に言葉にするのであれば、自己追求といった言葉が一番近いのではないかと思う。

今は、写真がそれの最善の策であって、他に見つかったのであれば、他に移行することが容易に想像できる。)




―太郎は、絵を描き、彫刻をつくり、写真を撮った。


そして、「太陽の塔」をつくった。


太郎の言葉に、「敵が存在するとしたら、それは自分自身だ」
という言葉がある。


この世の、すべての収まりを跳ね除け、自分自身にさえ収まる事を拒み続けた太郎の生き方が、少しだが、わかった気がした。


その後、小学生からの夢であった、ガンバ大阪のホームゲームを観戦し、夜行バスに乗り込んだ。


バスに乗って、約八時間…。


早朝6時半、新宿に着いた。


岡山から神戸、そして大阪。


ひょんなことからはじまったこの旅は、私自身を考えるいい時間を与えてくれた。


最後に、私の大好きな、沢木耕太郎の言葉で結びたいと思う。


―旅は、目的地に到着しただけでは終わらない。いや、出発地に戻っただけでも終わらない。旅が終わったところから、また新たに始まる旅があるからだ―

2006/07/21(金) 神戸紀行
岡山でのやるべきことを終えて、そのまま新幹線で帰宅!


…なんて出来るはずもなく、


「とりあえず東へ行くか!」


と展示を見に来てくれた相方と合意し、


東への旅を決行!!



鈍行に乗り込み、流れ行く景色を見ながら、ふと、遠くまで来たことを実感する。



長いトンネルの後、田園風景、澄んだ川、山々…。



そうしているうちに、少し眠ってしまったらしい。



鈍行の揺れは、ゆりかごのそれなのだろうなと勝手に想像して、うつらうつらしていた。



二駅ほど、過ぎただろうか、駅員さんが、切符のチェックに来た。


「切符を拝見いたします。」


と、駅員。


「行き先が決まってないので、最低料金(140円)で乗っています。」


と私。


「うーん。どこまで行きたいの?」


と、少し訝しげな表情を浮かべる…


「どこっていわれても…。大阪あたりまでかな??」


と、適当な答えの私。


「じゃあ、神戸は通るね。」


と、神戸までの清算を半ば強引にさせられた。



―無理もない。皆、目的地があるのが当然なんだろう…。



(私が旅をする時、ガイドブックの類は、ほとんど使わない。その土地に、何があるのか分かってしまうと、途端にその土地に魅力を感じなくなってしまうからだ。


―旅は確認作業ではない。


というのが、私の持論だ。

その土地に、未知の自分で降り立ち、歩いて、歩いて、自らの地図をつくる。(岡山の駅周辺の地図をつくるまでには2日を要した)

大きな通り、脇道、全てはインスピレーションに任せて、歩きまくる。

バスに乗るのも効果的だ。

地元の人がどんなところで生活しているか一望できるし、たいてい繁華街を通るからだ。

どこに行けば、何が手に入るか。

安い宿、スーパー、薬局、文房具屋、飲み屋etc...

目ぼしい店を記憶し、地図をつくる。

こうした一連の流れが私の旅のスタイルだ。)





差額を払い、駅員から手渡された「岡山→神戸」と書かれた、証書をみて、神戸に行ってみてもいいなと思った。



神戸は、あのイメージとは一変した、元気な街だった。

あのイメージとは、大震災で、高速道路がもげたそれだ。

もう11年も前のことなのだと思うと、当たり前なのかもしれないが、私には、神戸というと、あのイメージなのだ。

沢山の方のご苦労があって、こうして復興したのだろう。

元町中華街は香港のカオス街を彷彿とさせる刺激的な街だったし、港は流しの叔父さんの洒落た選曲でとてもロマンチックだった。

神戸、元町、三宮を中心とした観光エリアを全てまわることは出来なかったが、とても楽しい時間を過ごすことが出来た。


写真は、問題の切符(笑)


次回は大阪紀行をお届けいたします。

2006/07/19(水) 岡山にて
岡山へ来て、二日目の夜です。

一日目は、ビップに岡山県立美術館の近くの「エクセル岡山」で旅の疲れを癒しました。

もちろん、ライトドローイング:イン・OKAYAMAを深夜まで実行!!

そのおかげで、岡山の土地勘を得ることができました。

今日は、午前11時に、美術館へ行き、一日目の展示作業の続きを行いました。

会場全体が、どんどんとアレナスの意図したものになっていく様がとても興味深く、それを身近で見られることがとても幸運なことなのだと思いました。

私の作品も「エクセレント!!」の言葉をいただき、無事、開催日当日を待つのみとなりました。

時代やジャンルを超えて、それぞれの作品がそこにあり、皆さんに見られるのを待っているような、そんな展示会場になったと僕は思います。


ぜひ、展示を見に来て、世代、ジャンルを超えて、作品を見たときの自分の想いを感じてください。



写真:今日、路上ライヴをしていた地元の二人組と行った岡山駅前でのライトドローイング〔いい歌声をありがとう!〕



お気づきだとは思いますが、今夜の宿はネットカフェのナイトパック、八時間コース、1980円です〔笑〕

2006/07/17(月) 行って来ます☆
岡山県立美術館で7/21〜8/20まで開催される「Mite!おかやま」に出品作家として行って来ます。


17日、18日、19日と会場設営、展示準備です。



展示の段取りや、技をよく見て、会場全体をどう作り上げていくのか、そして、自分の作品「またたき」はどう展示できるのか。


いまからとても楽しみです☆



展覧会の関連イベントは以下の通り


みなさん!岡山でお会いしましょう!!



*mite!おかやま 開会式
7月21日(金) 9:40〜 地下1階屋内広場

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*アメリア・アレナスによるフロアレクチャー
7月21日(金) 10:00〜 地下1階展示室

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*アメリア・アレナスによるギャラリートーク
7月22日(土) 13:30〜 地下1階展示室


更なる詳細は 岡山県立美術館HPへ



http://www.pref.okayama.jp/seikatsu/kenbi/kenbi.htm



写真は川越市立美術館でのアレナスさんのレクチャーの様子。

2006/07/14(金) 評定終了!・一学期最後の授業について!!
まさに、戦争。

本日、評定、約180人分提出。

4日間、睡眠時間、約六時間の戦争は終結した。


振り返ると、


11日、朝4時まで出席点計算。

12日、朝6時まで期末テスト採点。

朝7時起床、

13日、23時まで職員室にて評定。あぶなく日付が変わるところ。

今日、写真美術館の後、学校へ直行!!

20時に到着、22時まで評定。

そして、

長い戦争は終結!!


この仕事は半端ない☆



13日、一学期最後の授業。


三年生は、四月からいままで、自分の好きな曲のCDジャケットのデザインを制作した。


デザインとは、人に伝えることを考えてつくられなくてはならない。


自分の描きたい絵を、ただ描けばいいというものではない。


曲から、アーティストの訴えたいメッセージや哲学を、どう可視化し、見る人に訴えるのか?


それを考えてくださいと、四月の授業の初めに生徒に提案した。


「今まで、そんなことを考えたこともなかった」という意見が多かった生徒たち。


しかし、その提案を考えながら、私が持参したCDのジャケットを見てみる(世代が違うと散々馬鹿にされたが(笑))。


次第に、曲があって、初めてジャケットが生まれていることに気が付く。


そして、アイデアスケッチをし、制作に入る。


授業を重ねるごとに、自分の作品を見る人の立場になって考え、イメージを構成しては、崩し、再構成していく。


皆、一生懸命に歌のイメージを汲み取ったり、自分の想像力を膨らませたりして、作品を完成させた。



授業の最後に「一学期、美術科の授業を通して学んだこと」を書いてもらった。


その中の記述に、


「想像力がついた」

「考えて何かを制作することは楽しい」

「自分がこんなに一生懸命になるなんて思わなかった」

「人へのメッセージの伝え方がわかったような気がする」

「普段、なにも感じないものを良く見るようになった」

「考えるということを学んだ」

「デザインする楽しみを学んだ」

「かなり難しかったが、楽しかった」



といった意見があった。


これを読んで、生徒が主体的に取り組み、自分で悩み、考えて、完成の実感を得られる授業だったことが実感できた。


毎回毎回、入念に準備をして、授業では背中に冷や汗のプレッシャーの中、それでも一生懸命授業をつくった。


美術科の一学期の授業を通して、生徒と同じように、完成の充実を得られた。


また頑張っていこう!

2006/07/10(月) 「しあわせ論」・「ライトドローイング展」
 写真サークル「DEJIVU」

公式HP
http://www.geocities.jp/dejivusince2004/index.html


 第11回グループ展が文教大学越谷キャンパスで2006年7月5日〜20日まで行われています。

二つの展示を行っていて、13号館ロビーでは、「しあわせ論」・8号館学生懇談室では「ライトドローイング展」を開催しています。


 今回の、13号館での展示は、「しあわせ」というテーマを設けて、メンバー、一人一人が表現しました。

日々、ふとしたときに現れる「しあわせ」。

でも、本当は、いつも感じているはず…。

そして、それを表現しようとしてみたら雲を掴むくらいに難しい。

皆が、探した、表現した、「しあわせ」はそれぞれ違うけれど、共通した何かがあるような展示になっています。

見てくれた人が、自分の「しあわせ」について、いつもより少し、いつもより日常に働きかけられる。

そんな気持ちになってくれたら嬉しいです。


私は、「夏風」・「ダイアリー」という作品を出品しています。



 8号館、学生懇談室では、「ライトドローイング展」が開催されています。

初めてクレヨンを持ったときのように、ペンライトを空間に、感覚的に振り回してみる。


そして現れた写真は、自分の身体の運動の軌跡である。


ペンライトを持ち、様々な場所で「自分」を定着させてきた作品『15秒人』を中心に、ライトを持って感覚的に描いた光の奇跡の写真も展示しています。

川越市立美術館で行った個展で発表した展示を中心に構成していますが、新作がちょろちょろ混ざって、再構成しています。

是非、足を運んでください。


写真は、「ライトドローイング―台場」



ご質問は気軽にメッセージ下さい。


2006/07/07(金) 初心
知ろうと思い進んでいくけれど

知ってしまうことは恐ろしいことだ。

感動していたことが

日常的になり、無感動になってしまう。



先日、DEJIVUのメンバーのカメラを持ち寄って、カメラ体験の日を設けた。


マニュアル一眼レフ、デジタル一眼レフ、ポラロイドカメラ、二眼レフ、中判一眼レフ‥。


初めて、カメラを手にした時の、ズシリと思い感触や、二眼レフのスクリーンに現れた左右逆像の美しさなど。

私にとって「当たり前」になってしまったものたちは、新しいDEJIVUのメンバーにとって、以前私がそうであったように、感動的なものだった。

忘れていた感動に、気付かせてくれるのは、いつでも「新しい人」だ。

その人の、新鮮さこそが、何かを創り出す最も大切な原動力ではないだろうか?


私も、久しぶりにのぞいた「ルーキー」のファインダーにうつる美しい左右逆像を見ながら、さらに、どうして逆像なのか、科学的に分からなかった時の事を思い出そうとしていた。

7月絵日記の続き


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