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2006/06/18(日)
写真について
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「自分は本当に写真が撮りたいのか」を最近疑問に思う。
カメラがあることで、日々見えなくなってしまっているものがとても多くあるように感じられるからだ。
沢木耕太郎は旅を人生に見立てた。
アジアを放浪し、ギリシャにたどり着いた彼は、今までに感じなかった違和感を感じるようになる。
目の前で起こることの多くに既知感を感じてしまう自分に気付く。
旅そのものの年齢があるとしたら、長いアジアの旅を経た今、旅の青年期を終えつつあるからなのではないだろうか。
起こる全てに興味を持てていた青年期が終わってしまい壮年期、又は老年期に入ってしまっているのかもしれない。
だから、何か今までにない違和感を感じているのだろう。
と彼は書いている。
同様に、私の写真についての年齢があるとしたらどのくらいだろうか?
確実にカメラを初めて持ったときに比べてシャッターを押す回数は激減している。
それは、悪いことではないように感じられるが、何か、シャッターを押す前に、知ったようになってしまっている自分が感じられて、それは確実に「悪」だと感じる。
冒頭の疑問に対して、答えを急ぐ必要はないけれど、今まで、先延ばしにしてきて、さらに先延ばしにもできる問題でもないことを強く実感している。
「自分は本当に写真が撮りたいのか」
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