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2006/03/03(金) ミスターチルドレンとワークショップ
・ミスターチルドレンの楽曲は、表現を追及しつつも、キャッチ的な要素を含み、独自の世界観を形成している。

一種の真理的なものをテーマにしつつも、「重く」なく、スッと聞く人に入り込んでくる強さがある。

その理由として、

アーティスト自身が、長い期間をかけて追い求めているものに一貫性があり、走り続ける中で、発見していくもの、零れ落ちるものに一種の真理性が含まれていることが挙げられるのではないか。

そして、それを、アーティストは、聞く人に、ただ提示し、提示された聞く人は、生きていた中で、気付かなかった何かを自ら発見する。

アーティスト自身が、押し付けでなく、ただ提示するところが大きなポイントだろう。



 先日、ワークショップについて話し合う機会があった。

こどもに対してのワークショップを企画し、それを定期的に実行していこうという試みが持ち上がった。

そこで、私が疑問に思ったことに、「誰かに対してのワークショップというものはいかがなものか?」ということだった。

小学生を相手にするワークショップは確かに存在するだろう、しかし、それでは、地域で行う子ども会でやるミニゲームなどとかわりがないのではないか?

私達が行うワークショップは、そういった対象を限定するものではない事が望ましいし、自分の表現を追求していく中で、自らが驚き、発見した事柄を提示することが望ましいのだと思う。

そうして提示されたものを再構成し、ワークショップに生かすことができれば、老若男女関わらず、何かを発見できるものになると確信している。

まずは、「誰かのために」という考えを捨てることだ。

自分が何を言いたいのか、何を楽しいと思っているのか。

そしてそれはなぜなのか。

それらを探しながら、常に前へと進んでいくことで、発見したものは、普遍的な何かであるだろう。

それを教育へ生かすことができれば、どんなに素敵だろう。





自己追求の産物を、他人にただ提示する。

そのことの難しさ、膨大な労力は計り知れない。







他人のために何かしてやる。

ではなく

自己を深く追求していく。

そうして走り続けるうちに発見した、零れ落ちたもののなかに、他人にも共通する何かが含まれている。





また、最高に忙しくなりそうです☆


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