asa. Diary
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2006/03/22(水) 「越境の旅〜三日目後編、珠海・運命の大小」
ツアー三日目後編。

マカオタワーを攻略した私達は、中国本土である珠海(ジュハイ)へと旅立った。

PM 19:00頃。

マカオタワーからタクシーに乗り込み、本土との国境へと向かう。

昼間歩いた街がタクシーの車窓からは、また違ったものにみえる。

PM 19:50。

マカオからの出国手続きは簡単なものだった。


この旅で、二回目の中国本土。

国境を背にして、街へ向かう最初の横断歩道。

そこには、横断者でなく、怪しげな男達がずらっと並んでいた。

きっと、越境してきた旅行者をターゲットに、「いけないもの」を、売っているのだろう。

私達も例外なく、怪しげな男達に、「買いな、買いな」と声をかけられた。

この手の捌き方は、香港でのネイザン・ロードで慣れていたので、問題なかったが、人間の質のようなものは、香港でのそれよりも、悪いような気がした。

少し歩くと、地下のアーケードの大きなショッピングセンターのような場所にたどり着いた。

そこで、店を構えているCD・DVDショップに入ると、日本でまだスクリーンで公開されている作品がすでにDVDとして棚に並んでいた。

しかも、一枚15香港ドル。

約225円。

店内を見渡すと、邦画も充実。CDにいたっては、独自で作成したのかアーティストのBESTまで売られていた。


色々なショップがその地下のアーケードにはあり、目が合うや否や、積極的に声をかけてくる。

中には、目が合うや否や、指をさし、叫ぶ店員までいた。

これには、さすがにうんざりし、商品を見る気にもならない。

一回りし、時計を見るとすでに一時間以上が過ぎていた。

私達は、本土との店員とのやりとりを十分に楽しみ、再びマカオへ国境を越えた。

PM 21:52

マカオに再び着くや否やタクシーに乗り込んだ。

行き先は、マカオで最も有名なカジノ。


私は、ギャンブル好きではないが、東洋のラスベガスとまで言われるカジノに足を運びたいと思ったのは、沢木耕太郎の小説がきっかけだった。


―その「深夜特急T―香港・マカオ」のなかで、沢木耕太郎は大小というギャンブルをする。

大小(タイスウ)とは、三つのサイコロを振り、最小3、最大18の目の中、その両端をはずし、4から17までの数値を二分し、10までを「小」、11以上を「大」とする、丁半博打の一種だ。

小大小大小小小小小小小小小小と「小」が10連続して続き、次は「大」か「小」か?

その時、沢木耕太郎は、ポケットに入っていた5香港ドルを思わず「小」に賭けていた―


タクシーは、マカオ島を離れ、タイパ島へ入り、程なくして止まった。

料金を払って外に出ると、眼前には、全体をネオンで装飾した神殿のような巨大なカジノが聳え建っていた。

ロビーに入り、さらに驚いた事は、中央に巨大な階段があり、その先には、巨大なゼウスの像が稲妻を三本持って、堂々と椅子に腰掛けた像がある。

その周りの柱は、古代ローマを髣髴とさせる様式で、異空間に迷い込んだと感じさせるのに、そう時間はかからなかった。

荷物の持ち込みは一切禁止なので、フロントに荷物を預け、空港並みの金属探知のセキュリティを通り、やっと中に入ることが出来た。

中は、とても広く様々な場所で様々な種類のギャンブルが行われていた。

大小のテーブルはどこかと探しているうちに、辺りは暗くなり、怪しげな踊り子がステージで踊り始めた。

しばらく眺めた後、私達は50香港ドルずつをコインに換え、大小のテーブルについた。

小説の通りに、ディーラーが、カプセルの中のサイコロをカシャ!カシャ!カシャ!とボタンを押して転がす、そして一斉に思う場所に賭ける。

私は、10香港ドルを「小」へ置いた。


が次の瞬間、テーブルのディーラーをはじめ、皆が笑い始めた。

「???」

と思っていると、ディーラーが笑いながら「坊や、ここは100香港ドルからのテーブルよ」と流暢な英語で言われた。

結果は、1・1・3の「小」だった。



ここに来て、知らない間に時間がかなり流れていた。

香港島へのフェリーが何時まであるのか分からない。

時間は PM 10:30を過ぎていた。



そこで、私達は、次の勝負に50ドルずつを合わせて100ドルとし、賭ける人の少ない方へ賭けることにした。

私の10ドルチップ五枚と柳さんの50ドルチップ一枚を重ねて「小」へ置いた。

ディーラーは私達を見て、微笑み、(チップを重ねて置くことは本来ありえない、なぜならほかの客は100ドルのチップなど一枚で賭けることが本筋だからだ。)サイコロの入っているカプセルのふたを開けた。


結果は








































「大」





私達は、何かの指し示しだと程なくして理解し、カジノを出た。

タクシーに乗り、マカオのフェリーターミナルに着いたときには、PM 23:00を過ぎていた。

チケット売り場の電気が消え、シーンとしている。


「…やっちまった。」





慌てて別のチケット売り場に行く。





二つほどの窓口が開いていて、まだ辛うじてフェリーのチケットを購入し、香港島へ向かう事が出来た。

あの時、大小で勝っていたら。

このフェリーには乗れずに、そうすると朝AM 7:00のホテル前に集合し、空港行きのバスに乗れず、日本への飛行機にも搭乗出来なかった可能性があった。

帰国できるか出来ないかの大小だったかもしれないと考えると、急に寒気がし、恐ろしくなった。

香港島の上環に着き、一日目にいった粥屋で腹ごしらえをし、
ホテルに着いたのは、AM 2:00過ぎだった。

シャワーを浴びて、旅を思い返す。

様々な事が思い出される。

眠れなくなり、一人で、上環の町を歩き、帰ってきたのは、AM 4:30頃。

少し眠り、AM 7:00空港行きのバスに乗り、PM 3:09成田空港に無事到着した。

久しぶりの日本は少し肌寒かった。


写真は、珠海でのライトドローイング。


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