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2006/03/23(木) ただいま☆
・19日から22日、三泊四日で香港、マカオ、中国(シンセン、ジュハイ)へ行ってきました。

同行人は、友人衰勢の先輩の柳さん。

(柳さんの運営するサイトはコチラ→ http://www5d.biglobe.ne.jp/~liuyuan/

二人のバイタリティで、ツアーを「旅」に変えてきました。

どこから書いていいのか分からないので、まとめ次第更新していきます。

楽しみにしててください☆


・写真は、香港の最も有名なストリートの一つ、ネイザンロード。

2006/03/22(水) 「越境の旅〜三日目後編、珠海・運命の大小」
ツアー三日目後編。

マカオタワーを攻略した私達は、中国本土である珠海(ジュハイ)へと旅立った。

PM 19:00頃。

マカオタワーからタクシーに乗り込み、本土との国境へと向かう。

昼間歩いた街がタクシーの車窓からは、また違ったものにみえる。

PM 19:50。

マカオからの出国手続きは簡単なものだった。


この旅で、二回目の中国本土。

国境を背にして、街へ向かう最初の横断歩道。

そこには、横断者でなく、怪しげな男達がずらっと並んでいた。

きっと、越境してきた旅行者をターゲットに、「いけないもの」を、売っているのだろう。

私達も例外なく、怪しげな男達に、「買いな、買いな」と声をかけられた。

この手の捌き方は、香港でのネイザン・ロードで慣れていたので、問題なかったが、人間の質のようなものは、香港でのそれよりも、悪いような気がした。

少し歩くと、地下のアーケードの大きなショッピングセンターのような場所にたどり着いた。

そこで、店を構えているCD・DVDショップに入ると、日本でまだスクリーンで公開されている作品がすでにDVDとして棚に並んでいた。

しかも、一枚15香港ドル。

約225円。

店内を見渡すと、邦画も充実。CDにいたっては、独自で作成したのかアーティストのBESTまで売られていた。


色々なショップがその地下のアーケードにはあり、目が合うや否や、積極的に声をかけてくる。

中には、目が合うや否や、指をさし、叫ぶ店員までいた。

これには、さすがにうんざりし、商品を見る気にもならない。

一回りし、時計を見るとすでに一時間以上が過ぎていた。

私達は、本土との店員とのやりとりを十分に楽しみ、再びマカオへ国境を越えた。

PM 21:52

マカオに再び着くや否やタクシーに乗り込んだ。

行き先は、マカオで最も有名なカジノ。


私は、ギャンブル好きではないが、東洋のラスベガスとまで言われるカジノに足を運びたいと思ったのは、沢木耕太郎の小説がきっかけだった。


―その「深夜特急T―香港・マカオ」のなかで、沢木耕太郎は大小というギャンブルをする。

大小(タイスウ)とは、三つのサイコロを振り、最小3、最大18の目の中、その両端をはずし、4から17までの数値を二分し、10までを「小」、11以上を「大」とする、丁半博打の一種だ。

小大小大小小小小小小小小小小と「小」が10連続して続き、次は「大」か「小」か?

その時、沢木耕太郎は、ポケットに入っていた5香港ドルを思わず「小」に賭けていた―


タクシーは、マカオ島を離れ、タイパ島へ入り、程なくして止まった。

料金を払って外に出ると、眼前には、全体をネオンで装飾した神殿のような巨大なカジノが聳え建っていた。

ロビーに入り、さらに驚いた事は、中央に巨大な階段があり、その先には、巨大なゼウスの像が稲妻を三本持って、堂々と椅子に腰掛けた像がある。

その周りの柱は、古代ローマを髣髴とさせる様式で、異空間に迷い込んだと感じさせるのに、そう時間はかからなかった。

荷物の持ち込みは一切禁止なので、フロントに荷物を預け、空港並みの金属探知のセキュリティを通り、やっと中に入ることが出来た。

中は、とても広く様々な場所で様々な種類のギャンブルが行われていた。

大小のテーブルはどこかと探しているうちに、辺りは暗くなり、怪しげな踊り子がステージで踊り始めた。

しばらく眺めた後、私達は50香港ドルずつをコインに換え、大小のテーブルについた。

小説の通りに、ディーラーが、カプセルの中のサイコロをカシャ!カシャ!カシャ!とボタンを押して転がす、そして一斉に思う場所に賭ける。

私は、10香港ドルを「小」へ置いた。


が次の瞬間、テーブルのディーラーをはじめ、皆が笑い始めた。

「???」

と思っていると、ディーラーが笑いながら「坊や、ここは100香港ドルからのテーブルよ」と流暢な英語で言われた。

結果は、1・1・3の「小」だった。



ここに来て、知らない間に時間がかなり流れていた。

香港島へのフェリーが何時まであるのか分からない。

時間は PM 10:30を過ぎていた。



そこで、私達は、次の勝負に50ドルずつを合わせて100ドルとし、賭ける人の少ない方へ賭けることにした。

私の10ドルチップ五枚と柳さんの50ドルチップ一枚を重ねて「小」へ置いた。

ディーラーは私達を見て、微笑み、(チップを重ねて置くことは本来ありえない、なぜならほかの客は100ドルのチップなど一枚で賭けることが本筋だからだ。)サイコロの入っているカプセルのふたを開けた。


結果は








































「大」





私達は、何かの指し示しだと程なくして理解し、カジノを出た。

タクシーに乗り、マカオのフェリーターミナルに着いたときには、PM 23:00を過ぎていた。

チケット売り場の電気が消え、シーンとしている。


「…やっちまった。」





慌てて別のチケット売り場に行く。





二つほどの窓口が開いていて、まだ辛うじてフェリーのチケットを購入し、香港島へ向かう事が出来た。

あの時、大小で勝っていたら。

このフェリーには乗れずに、そうすると朝AM 7:00のホテル前に集合し、空港行きのバスに乗れず、日本への飛行機にも搭乗出来なかった可能性があった。

帰国できるか出来ないかの大小だったかもしれないと考えると、急に寒気がし、恐ろしくなった。

香港島の上環に着き、一日目にいった粥屋で腹ごしらえをし、
ホテルに着いたのは、AM 2:00過ぎだった。

シャワーを浴びて、旅を思い返す。

様々な事が思い出される。

眠れなくなり、一人で、上環の町を歩き、帰ってきたのは、AM 4:30頃。

少し眠り、AM 7:00空港行きのバスに乗り、PM 3:09成田空港に無事到着した。

久しぶりの日本は少し肌寒かった。


写真は、珠海でのライトドローイング。

2006/03/21(火) 「越境の旅〜三日目前編、澳門潜入」 
ツアー三日目。

自由行動の日。




AM 8:00頃起床。


用意をし、澳門(マカオ)へ行くためにホテルを出る。


今日も、すごい霧で、視界が悪い。

港は、私達のホテルから徒歩約10分の場所にある。

驚くことに、こっちでいう電車のように、五分おきに澳門へのフェリーが出ている。

138香港ドルで、澳門までのチケットを購入し、AM11:00出発のターボフェリーに乗り込む。

約2070円で、国境を越えられるんだから、何か不思議。



澳門はかつてポルトガル領であったが、1999.12.20に中国に返還され、今は「中華人民共和国澳門特別行政区」となった。

マカオ島、タイパ島、コロアネ島の三つの島からなり、東洋と西洋が混ざり合う街。

と手元の本には記述してある。


約一時間、波に揺られていると、マカオ島に到着した。


入国手続きも慣れてきて、すばやく済ませて外に出ると、さっそく客引きに声をかけられる。

なにやら人力車に乗らないかといっているようだが、ノーサンキューの一言で引いていった。

この辺は、潔くて気持ちがいい(日本はしつこいと思う)。


少し歩くと、プチ遊園地のような場所にたどり着いた。


そこにはあの有名なRPGとはまったく関係ないのだろうが、同じ名称のアトラクションがあったが調整中なのか中には入ることができなかった。(探しているオーヴはきっとここにあるのに)


少し高い山から澳門市街を見渡すと、香港とは違うそれが眼下に広がる。

ここでは、カジノが合法であり、市民は一切税金を払わない代わりに、カジノのオーナーが約46万人の税金を払っている。

見渡すと、カジノのネオン看板が沢山見える。きっと夜にはライトアップされて、旅行客を誘うのだろう。


時計を見るとPM 1:30を過ぎていた。


街の中心地へと足を運んでいる最中に、「澳門理工学院」を発見した。

地元の学生の姿が見たいと、中へ進入!!

すれ違う学生は皆不思議そうに私達を見ていたが、私達はお構いなく、教室にまで侵入し、澳門の学校の施設を見てまわった。

書道の作品展示、何らかの賞のトロフィー。

学生掲示板では「通告」されている学生も沢山いて、そこら辺は日本と変わらないようだ。

冊子が置いてある書架で、澳門の法律の本を貰い、目を通す。

柳さんが、訳してくれて聞いていると、いろいろな箇所が、日本とは異なる。

例えば、日本では思想の自由が約束されているが、澳門では結婚相手以外の異性と関係(イラストでは腕組み程度)を持ちたいと思うことが禁じられている。

これには少し驚いた。


一通り見て周り、門の外に出ると、学校の前は「GARAXY」というカジノがある。

…激しい国だ。


街を歩いていて面白いのが、学生とよくすれ違うことだ。

制服ならまだしも、ジャージで市街を歩いている学生も多い。


道路はゲンチャがモノを言わせている。

二人乗りは当たり前で、少しの間の赤信号で、すごい数のゲンチャが溜まる。

それのせいで、街は排ガス臭く、空気はとても悪い。


御腹がすいたので、偶然通りすがりのマックに入る。

ファンタスティックをもじっての「飯タスティック」が今一押しらしい。

こちらでいうライスバーガーのようなもので、焼き飯をハンバーグ上にしたものに、レタスとチキンが挟まっている。

コーラ、ポテトがついてのセットで、28香港ドル。


お腹もふくれたところで、澳門の中心である、セナド広場に行く。

一瞬で西洋の世界に入ったように、教会や、レンガの建物が視界に溢れる。

香港とは確実に違う雰囲気で、また歴史を実感した。


澳門は、このセナド広場の周りに、17世紀初頭、イエスズ会が建てた聖ポール天主堂跡など約30もの世界遺産がある。

地図を見ながらいくつかの場所を回る。

ほんの数分歩いただけで、新しい世界遺産が現れるのには驚いた。

さらに、澳門博物館に入り、歴史的な美術品や当時の街の様子などを再現した模型などを見た。

昔の日本ってこんなカタチしてたんだ(笑)!

「JAPAM」って、スペルすら間違えてるし!

琉球でかくね?



街を散策していると時間を忘れてしまうのは、初日の香港で経験済みだったが、ここでもすでに、PM 5:00を過ぎていた。


タクシーに乗り、マカオタワーに向かう。

ここは、同行者の柳さんが強く着たいと願っていた場所で、濃霧の影響もあり、そのタワーの風貌は、ドラゴンボールのカリン塔だった。

そこで、勇者柳の挑戦が始まる!

全高338Mのマカオタワーのてっぺんまで、己の腕で登るというアトラクションをやる為に、遥々日本から来たといってもいい勇者柳。

しかし、時間的に遅くその夢は断たれた…。

意気消沈する勇者柳。

他にできるアトラクションは無いかと聞くと、約300Mからのバンジーがあるという。

「それでいいや」

と勇者柳。

「ゾーマいなかったからバラモスでいいや」

的なコメント。



「見ろ!人がゴミのようだ!!」と天空の城でムスカは言いました。


ゴミならまだいいですが、


走っている車ですら、米粒にしか、私には見えんとです…。









「じゃあ、重力に魂ひかれてくるわ。」


と言い残し、彼は決戦の地に。





数分後











「飛び降りする人は、死ぬまで確実に意識あるわ!」



って何の話ですか??



落ちながら彼はレベルアップしていたに違いありません。


そう、初めてメタルキングを倒した時のように、戦ってもいない仲間までレベルアップして、「チャララン、チャッ、チャッチャー」が鳴りまくっていたに違いありません。


こうして私達は、カリン塔を後にし(笑)


中国本土である珠海へと旅立った。

2006/03/20(月) 「越境の旅〜二日目、ツアーの洗礼」
……なんだか夢の中で電話の音がする。









…。


やべーー!!

ホテルのフロントにAM 7:15に集合だったのに、起きたのが7:20過ぎ!!

慌てて着替えて荷物を持って、エレベーターに乗ると、添乗員さんが迎えに来てくれていた。。

ツアーで、他の旅行者もいる中での遅刻。

皆に合わす顔がなく、バスに乗り込む。


「おはようございます!」と他の旅行者。

「すいません!」と私達。


―旅行二日目はこうしてはじまった。

香港の主要部は経済の中心部である香港島と商業の中心部である尖沙咀(チムシャッツォイ)を含む、九龍島からなり、ビクトリアハーバーを挟んで、前者は南側、後者は北側に位置する。


昨日の夜、柳さんが深夜徘徊をした道を地図に示していたのを見ると、香港島のほとんどを歩きとおしていたことが分かる。

しかも、私達の泊まったホテルのあたりの上環(ションワン)は都市開発で少なくなりつつある、中国の伝統的な店が多く残っている地域らしく、深夜、歩けば歩くほど興奮が、湧いてきたのはそのためだったのかもしれないと思った。


バスが料理屋の前で止まり、朝ごはんを食べることになった。







円卓だった。


遅刻した私達をさらし者にするにはもってこいのシチュエーション。

案の定、「寝坊ですか??」と婦人の二人組みの旅行者に聞かれ、胸張って「深夜徘徊をしていました!」というわけにも行かず、「少し寝るのが遅くて…」と相手の顔を見ることもできずに答えた。

朝ごはんは、粥を中心としたメニューで、とても美味しく、先ほど話しかけられた婦人とも、今日のツアーの後の予定や、三日目の自由行動の話などをしながら、楽しく食事ができた。


その後の、ツアーの予定は、

ブルースリーの銅像とビクトリアハーバーを見る(約十分)

スターフェリーで、九龍島に渡る。


バスで香港島に戻り、小高い山であるビクトリアピークから香港の風景を臨むと、本当に高い建築物が多いのに驚く。

ガイドさんの話では、耐震構造が全くゼロで、自信の心配はないという。あの一級建築士もここで設計すればよかったと、冗談を言っていた。つまり眼下に見えるビルの全ては、ジェンガとそう変わりないのだ。


フラワーガーデン、バードガーデンを見学(十分)

金魚ストリートを見学(十分)

料理屋で昼食を食べる。

おなかがいっぱいになると、いよいよツアーの醍醐味である、ショッピングの時間となる。

ツアーの予定は、ヒスイが有名でマイケル・スティービー・曙も訪れたことがあるという宝石店、シルク屋、漢方薬屋と続き、免税店で解散となる。

ハッキリいって、私達には興味のない店ばかりだったのだが、このツアーに参加しなければ、4000円支払わなければならないという、よく分からないシステム(魂胆は見え見えなのだが)だったので、仕方なく同行した。

宝石屋では、五分で場違いだと判断。

財布にはせいぜい300香港ドルなのに、見る商品は一桁オーバーは当たり前だった。

私達は店を出て、街を散策。

三十分後の集合と告げられていたのに、三十分後戻ると皆バスに乗っていて、朝の光景の再現を披露した。

次のシルクやでは、日本語のうまい日本人のおばさんによる、シルクの素晴らしさを講演され、ここでも約三十分の時間がとられた。もちろんここでも、すぐに店を出て、街を散策した。

午前中のツアーの場所は、ほとんどついたらバスに乗り込む位の時間しかなかったのに…。


上手だったのは次の漢方薬屋だ。


個室にお客を入れて、三十分かけて漢方の説明をした後、その漢方を持った店員が二人に一人位の割合でつき、「買いな!」の連発!

しかもドアは閉められ、逃げ場はなかったので、「親孝行にどう!?」なんてよく分からない理由で押し売りしてくるこの店員と、断固「NO!」との戦いは、約三十分続いた。

何人かは、沢山の漢方を買わされていた。


最後に、免税店の2回の売り場で解散ということになっていたので、2回の売り場で、「解散!」のコールを聞くや否や、私達はエスカレーターを駆け下りた。


この時、約PM 5:00。

今日の予定は、中国本土に行くことに決めていた。

しかし、朝寝坊して慌てて出てきたため、パスポートをホテルに忘れていたことに気付き、1回ホテルに戻るや否や、地下鉄で、中国との国境の町、羅湖(Lo Wu)へ行った。

この時、PM 8:03。

入国手続きをし、中国本土である深浅(シンセン)へ入る。

ここで、例のライトドローイングをしていると、興味深そうにしてみていたおばさんに、どういった撮影方法なの?と聞かれた。

柳さん曰く、初めは地元の言葉で質問されたけど、通じないのが分かると、言葉を変えて聞いてきたという。

私は嬉しくなって、そのおばさんと話したかったが言語が分からないことが悔しかった。

しかし、アートは国境を越えることが、肌で実感できた。

深浅で、ラーメンを食べて、再び香港へ戻る。

着々と、パスポートのスタンプが増えていく。


ホテルに着いたらAM 2:00頃だった。

先日、充分に寝ていないこともあり、かなり疲れていて、シャワー後、爆睡。


明日はいよいよ自由行動だ。



写真は、香港と中国との国境。

2006/03/19(日) 「越境の旅〜出発、そして伝説へ」
香港へ三泊四日のツアーの出発日。


もちろん荷物の用意は当日でした。


前日、ここでも紹介しているプロジェクトの会合があり、帰ったのが遅く、そのまま爆睡していた為、旅行の準備ができていない状況で、当日を迎えました。



AM 8:00



起床。


準備を開始する。


あれ?海外旅行だよな?


ってくらいの荷物。




AM 9:00




柳さん、衰勢がウチに来て、朝飯を一緒に食べる。

出発の飛行機は六時なので、空港の集合は四時半。

出発まで、王ジャパンの準決勝!日本×韓国に熱くなる!




PM 2:00




七回に日本チームが猛威を振るっていて、大興奮の中、泣く泣く出発。


衰勢は駅までお見送りに来てくれて、私達は、プラットホームへの階段を上がる。


すぐに電車が来て、乗り込む…が


強風の為、運転見合わせ。


数十分後、徐行運転開始。

数十分後、運転見合わせ。

約、四十分ほど車内でステイし、乗り換え、成田まで急ぐ。

余裕を持ってでたはずが、かなりギリギリになり、出国手続きを全て終えて、搭乗口へ。




この時、

PM 6:20

飛行機の出発時刻はPM 6:30!!!

もちろん、FINAL CALL(笑)。 




なんとか機内に入り、コーラを飲みながら、沢木耕太郎の「深夜特急T―香港、マカオ」を読む。

P64 ℓ7〜ℓ13

自由についての記述に心が熱くなる。

予定がないことを自由と感じられること、そして今日一日どうしようかと考えることができること。

私達はツアーで二日目の予定は決められていたが、三日目は完全に見知らぬ土地での自由行動ができるようになっていた。

自分の足で、地図をつくることができる。

そう思えただけで、香港への到着が待ち遠しかった。





PM 8:30

機内食を食べる。 

ウエットティッシュが温泉の素にあるような、花の香りのそれだった。

いよいよ異国へ足を踏み入れたのだと実感が伴ってきた。

味は少し濃い目であったが、美味しく感じられた。




PM 11:42

いよいよ香港国際空港に到着。

アナウンス「時差が一時間あるので、時間を一時間お戻し下さい」

「時間を戻す」ということを非常に簡単に言うのだなと、少し面白かった。

現地時間では、PM 10:42になる。

約80ものターミナルがあり、足では時間がかかりすぎるらしく、空港の地下には地下鉄が走っていて、この空港の広大さを感じることができた。



PM 11:34

現地のガイドの案内でホテルまでのバスに乗り込む。

空港から出たときの香港の空気のにおいは、じっとりとした湿気を含み、初めて嗅ぐそのにおいに、心は高鳴った。



ホテルに着いたのはAM 00:37

予想をいい意味で裏切り、かなりきれいなホテルだったので驚いた。

ツアーには、何組かのグループが参加していた。

母と娘。

学生。

カップル。

母親ほどの年齢の夫人。

OL。

そして

他のどのグループよりも軽装の私達。

日本時間では一時半をまわっているため、本来ホテルのチェックイン後、明日に備えるのが妥当だろう。

しかし、私達は荷物を部屋に置くやいなや、深夜の香港の散策に出ることにした。




ホテルの外に出る。

ねっとりとした空気が、体の中に充満する。

たどり着いたという実感が眠気を感じさせない。

どこに行くあてもなく、街を彷徨う。



香港の夜は実に魅力的だった。


道路にそりだした漢字の看板。

滴る水のにおい。

開発中、工事中のビル。

タクシーの運ちゃんの挑発。

キャット・ロードでの猫との出会い(誰かさんは大興奮だな)。

ガイドブックには決して載っていない、香港のスラム街。

大通りに出るとブランドのショウウインドー。



全てのものには表と裏があるって誰かが言ってた。

表は真実で、裏もまた真実だと。



香港という国は、それが直感的に実感できると思う。

一歩裏通りに入ると、鼻を突くようなにおいがする。

それを心地よく感じられたのは、自分の中でかなりの発見だった。

深夜、人の気配のないこの街に、人の気配が充満している。

どんな人たちがここで、どんな生活を送っているのだろう。

想像しただけでわくわくした。


時間を忘れて、散策したら、私達は、香港島のほとんどを歩き通していたことに気が付いた。


ホテルの近くに、24時間やっている粥屋があり、そこで夕食をとる。

白身魚の粥と、肉の粥。

共に15香港$。

1香港$は約15円なので、約225円。

味は、最高にうまい!

魚は少し泥臭いが、生姜でうまくにおいを消していた。

間食し、ホテルに戻ってきたのは、

AM 5:00頃。


泥臭い水の出る、シャワーを浴びて、ツアー2日目に備えて寝る。

明日(今日)の集合時間は、ロビーに7時だ。


写真はキャットストリートでの出会い。

2006/03/16(木) 卒業式の朝に
長い間学生っていうものをやってきて、今日が最後の卒業式になる。

小学生の頃なんかは、卒業式っていうと、歌の練習、卒業証書の受け取り方など、沢山練習した。

練習を重ねるにつれ、プログラムかなんかは、嫌でも覚えてしまい、長い時間を感じていたのに、本番は別物で、父兄の香水交じりの空気の中、合唱で涙ぐんだりもした。

中学生の頃は、皆、地元から離れて、並んで歩いていた小学生の頃とは違い、それぞれの道に進んでいくっていうことを、実感した。

定期なんかで学校に行く、高校生が大人に見えて、早くなりたかったけれど、満員電車のすさまじさを体感してからは朝が苦痛だった。

高校の卒業式は、先が見えない状態で迎えた。

皆、それぞれ進学、就職をしているのに、自分は中途半端だと思った。

本当にやりたいことが何か分からない時期でもあった。

一年間浪人して、学んだことは、多くの価値観が存在するということだ。

「大学進学」というある意味わかりやすく一貫性のある制度の予備校という学校で、それが学べたことは、大きかった。

大学に入り、自分の好きなことを見つけ、正直に、逃げずに、真っ向から対決する、苦しさ、楽しさ、喜びを、自分の好きなことを追求していく中で学んだ。

沢山の、生涯付き合っていきたい親友も沢山できた。

今日、大学を卒業します。

今、目の前に見えている道を、これから進んでいきたいと思います。

多くの人に助けられ生きてきた、これまでを忘れることなく進んでいきたいと思います。




「道は、望んだ分だけ距離を伸ばす」

2006/03/12(日) ケツの青い奴のプロジェクト始動!!
好きな作家の沢木耕太郎の言葉

「私達はどんな世界にでも自由に入っていくことができ、自由に出て行くことが出来る。出てこられる事が保障されれば、どんなに苦痛に満ちた世界でもあらゆることが面白く感じられるものなのだ。私自身は何者でもないが、何者にでもなれる。それはすばらしく楽しいことだ。」




・新プロジェクトが始動しました!

 大きく言えば、街自体を美術館にするようなアートプロジェクトです。

ここ10日間位、あちらこちらにプレゼンしてまわっていて、やっと昨日、全体会にこぎつけ、一段落です。



 けれど、大人ってどうして自分の利益や目先の事で、小さく縮こまるんだろうね。

思わず、言っちまったよ。

「そういった、主催の名前(○○会)とか、馬鹿馬鹿しいですよ、どうしてもっと先を見て物事を考えられないのか」って!

…後になって考えれば、命落としかねない発言ですね(笑)

ケツが青いってことで許されましたが、ケツが青いならケツが青いなりの行動、発言が必要でしょう。

何かに所属している大人同士では、お互いの利益ばかりを主張し、話は当たり障り無く、けれども、腹にはお互いどうにか、相手を飲み込んでやろうという、到底、話し合いとは呼ぶことができない時間が過ぎて行きます。

所属する事はある種の安心感を得られるでしょう。

けれど、そこで、ゼロから新しく何かを生み出す事はとても難しい。

そこで、ケツの青い奴の「テポドン」が必要なわけです。

そこに、ケツの青い奴の存在理由があります。

言うまでも無いけれど、自分自身の主張をただ押し通したり、過激な発言をすればいいというわけではありません。




 間違いなく、プロジェクト自体は、広がりを持っていけそうなのに、○○会に対して不利益なものは取り込めない。

自分達の立場が危うくなる、潰されるかもしれない、主導権を握れない…。

そういった会は、命が短い事は明白です。

自分達が居なくなったときに存在できないですから。




 芸術ってもっと万人に対して行われるものでしょう?

いかに異なる意見の人たちと対決するかでしょう?

それだけ、人を巻き込めるかでしょう?

悪条件の中で、それでも、本当にやりたいことでないのなら、意味がないでしょう?

そうでないなら、仲間だけでわいわい当たり障り無くやっててください。

無理に、広げるとかえって害です。




 今回の全体会をむかえるにあたり、全大会の前の日、街の商店街さんに対して、事前のプレゼンを行ないました。

自分のじいちゃんくらいの年齢の商店街の会長さんや、自分のオヤジ位の社長さんと、意見を交わし、それぞれの主張をぶつけ、双方のいいところを尊重した(決して妥協でない)、さらによりよい案が生まれるまで、トコトン話した。

そこで生まれたものは、信頼関係、自分のやってきた事を前進させられる新たなるステージ!

自ら、道を切り開くという実感は、こうしたときに得られるものです。

そして切り開いた道で、どう生きていくか。

それが、私のこれからの課題です。

素晴らしく、楽しいです。





P.S

ポーションにシンルを調合すると、エリクサーになります!

少しするとテンションが上がります☆

2006/03/09(木) イーグルス/ヘル・フリーゼズ・オーヴァー を聞きながら
・今、10曲目のニューヨーク・ミニットを過ぎて、11曲目のラスト・リゾートが流れている心地のよい空間でのタイピング。


イーグルスの曲はなんていうか、風が流れてる。

うまくいえないけれど

目には見えない、質量のない音楽が、触感を持つ

そんな感じ。


少し生ぬるい風。


皆さんも感じてみてください。


・写真は、私のニューヨーク・ミニットから受けるイメージ

2006/03/07(火) 初春の心
・大学に行くまでのみちにある桜並木の桜のつぼみが大きく膨らみ始めている。

卒業制作のカタログ作りの為、今日、久しぶりに大学へ行った。

風は冷たくとも、少し前の冷たさはなく、すっかり春が近づいてきていることが実感できた。



クラスの皆は、それぞれ進路を決めて、桜が咲く頃には新たなステージで活躍することだと思う。

当たり前だと思っていた、学食での昼飯の時間や、裏庭でのたわいもない語り合いの時間が本当に貴重なものだったと、過ぎた今になってやっと分かった。


人はいつでも、その時には「分かっていない」ものだ。

けれど、それでいいのだと思う。

「分かっていない」から「分かろう」と何かに打ち込む。



ただ、その時、「分かっていない」ながらも「分かっている」ふりをして、後になって、やっておけばよかったと後悔することだけはしてはならない。

何かに夢中になって、後先のことを考えないでいるときこそ、真剣である時だと私は思う。

自分の進んでいく道で、常に真剣でありたい。

表現者として、教師として。

2006/03/05(日) 美術の副読本に作品が載りました。
・タイトルにあるように、中学校美術で使われている資料集『美術―表現と鑑賞』のなかの「写真で表現しよう」のコーナーに、私の作品が載りました。

15秒間、シャッターを開放にして、自らの体をライトでなぞる。

私はこの行為を「ライトドローイング」と名づけ、その表現行為は、空間的、時間的な紛れもない自己の存在証明としています。

視点を写真と定めなければ、身体運動による、即時的彫刻とも捉えられるかもしれません。

卒業制作展では、約14時間における時間の中、「ライトドローイング」の行為を連続550回繰り返した作品を発表しました。

この「ライトドローイング」の体験をする、ワークショップを展開した時に、「透明人間だ!」とか「おばけだ!」と体験した児童、生徒はおおはしゃぎ、保護者の方は、「どうやって写すんですか」といった興味を示す言葉を数多くいただいた。

今回、美術の資料集に載ったことで、また沢山の人の目に、自分の作品が映るのだと思うと、わくわくします。

「美術を追求していく中で、教育に貢献する」

私の夢の一つが具現化しました。

これからも、これに満足することなく追求していきたいと思います。


・写真が載った作品 2005年作

3月絵日記の続き


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