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2006/02/22(水)
失っているもの
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・ある程度の知識や技術は表現には必要だ。
しかし、そんなものよりも必要なものは初心だろう。
初心とはとても曖昧なものであるが、しいて言葉にするなら、「熱さ」や「がむしゃらさ」、「むこうみずさ」や「驚き」、「手探り」、「怖いもの知らず」、などと同意であると思う。
ある程度、物事を深めていくと、あるとき壁に出会う。
その壁は、自分で築いたものなのだが、この壁に立ち向かうか、逃げるかが大きな分かれ道だ。
そして、逃げずに壁と向き合い、ある一つの壁を越えると、ある種の自信や自分なりの理論が確立する。
壁を越えて感じる「こうしたら、こうなる」という実践を通して、私達は物事の「完成」を予測できるようになる。
その時、失っているものがある。
―初心だ。
「こうなる」がわからない頃、ただがむしゃらに暗闇の中でもがき「完成」を求めていくエネルギー。
なんだか分からないけれど、楽しかった、夢中になれた時間。
…この頃、忘れていた気がした。
制作している時は間違いなく楽しく、苦しく、楽しいのだけれど。
ふと、我に返ったときに、あの頃の方が熱かったのではないかと感じることがある。
あの頃の熱さがあれば、もっとできているはずだ、と。
だから今さっきまで、夜の街を徘徊し、夜の写真を撮りに行ってきた。
デジカメを買った頃は、毎日徘徊していた。
あの頃、一回外を出れば、デジカメのメモリか電池がなくなるまでとり続けた。
今日、昼間は、春の陽気だったが、夜は冷え、走行しているうちに耳はキーンと冷たくなった。
そうだ。
初めて自転車で、自分の足で、本州を出た時のあの熱さ。
夜通し自転車をこいで、三浦半島から帰ってきた時の夜の風の冷たさ。
久しく忘れていた。
全てを捨ててでも初心を得たいと思う。
いま、できることはなんだろうか。
模索します。
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