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2006/02/01(水)
全力青年
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・卒業制作展が無事終了した。
搬出日の片付けは、セッティングよりも恐ろしく早い時間で終わり、感慨に耽る時間もなく展示会場を後にした。
作品をつくり、展示することに、当たり前のことだが、いままでのうちで一番の労力をかけた。
制作費もそうだが、何より体が精神力で持っているような状態が何日か続いた。
耳鳴りは、数日たつと日常的になり、感じないほどになったし、何よりまた血便が生じた。
正直、制作していく中、何度か、妥協しそうになった。
その時に、決まって頭に浮かぶことは、「誰のための作品だ」ということだった。
自分が妥協した作品や安易な作品を出し、それで評価を受けたとしても、自分は満足か?
評価を受けるための方法ならほかにいくらでもある。
作品は誰のためでもない「自分のための作品」であるべきだ。
展示された作品を、自分で鑑賞する時。
制作するにつれて起こった様々な困難や、友人の励ましの言葉が思い出された。
そして、自分はそのとき、確かに、できることをやったという実感を持つことができた。
この至福の時間に、自分が妥協した点が思い出されるのであれば、何のために展示しているのだろう?
自分だけでなく、見る人にとっても、とても無礼だ。
自分の妥協は、見る人に確実に伝わる。
それだけではなく、深い人間性も見えてしまうのではと恐ろしくなるほどに、こういった場所では、自分を取繕うことができない。
やるべきことは、全力になること。
それ以外に方法はない。
全力で作品をつくると作品にパワーが宿るのか、私達とは、関係のない展示を見にきた人が、帰り間際に、私の作品を指差して、「あれ、見に行こう!」と来てくれた人が何人かいた。
全力で作品をつくって初めて、人の足を止めることができる。
自分でも、それを素直に受け入れることができる。
今回、これからへの展示への意思が固まったとともに、この先の歩き方が見えたような気がした。
自分の作品を見る時間を持つことで、限界だと思っていたそれが、いとも簡単に崩れ去る。
そのとき私は、また飛ぶことができたという実感とともに、未知へと向かう。
覚悟を決めなくてはと思っていたが、その心配は無いようだ。
自分のアクションで自分の道は開かれる。
全力で取り組むことは時に、辛く、恥ずかしいものだ。
けれど、そうしなくては、いつまでも自分の想像しうる範囲でしか生きていないことになるのではないだろうか。
自分を甘い、暖かい環境に住まわせることは、易しい。
そのことに気づいてしまい、そこから抜け出したいのならば、全力になるしかない。
最大の敵は、自分自身!
これから、私は、限界をいくつ破ることができるだろう。
いつまでも全力青年でありたいと思う。
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