asa. Diary
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2006年12月
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2006/12/31(日) 2006年
2006年も残すところ数時間になりました。


一年間を振り返ってみます。




1月

・卒業制作展。

―あの時はやりきったと思っていたけれど、今考えると「もっとこうしていればよかった」が尽きない。





2月

・母校で個展。

―テンペラでの絵画を出品。この展覧会を機会に、「絵を描くこと」についてじっくり時間をかけて取り組めた。


・サークルの追いコン。

―後輩の熱い想いに感激。





3月

・大学卒業。

―「自分で動くこと」、「自分が続けること」、「自分が求めたいもの」を4年間をかけて実感できたこと、生涯関わって生きたい仲間に出会えたこと。この大学にきてよかったです。


・柳氏と香港、澳門、中国へ。

―日本を改めてとらえなおし、十二月に展覧会を行う「自分の存在する場所」について深く考える機会を得ることが出来ました。


・美術の副読本に作品が掲載。

―夢だった、「美術の教科書に作品が載る」ことが現実になる。





4月


・教師としての初授業。

―美術教師として教壇に立つ。自分が教えられることがとても多い。


・写美。

―内部に入り、沢山のことを見、考えることができた。





5月


・川越市立美術館で作品展。

―アメリア・アレナス氏の対話型鑑賞の対象作品として『またたき』が用いられ、初の美術館での個展を行う。





7月


・岡山県立美術館に作品出品。

―5月の出来事が評価され、岡山県立美術館の特別展「Mite!おかやま」に『またたき』が出品されました。多くの人に自身の作品を見てもらう機会、そして多くの人と作品を通して出会うことが出来ました。





8月


・後輩と自転車で房総半島の旅にでる。

―走行距離、約300km。迷いながらも進んでいくことに確信を持つ。


・越後妻有アートトリエンナーレにスタッフとして参加。

―地元の方の暖かさに触れ、アートの意義について考える機会を得る。




9月


・学生と地域を繋ぐフリーペーパー「キタコミ」創刊!!

―3000部を商店、駅、役所、大学に配置、様々なコミュニケーションを創造した。




10月


・「キタコシガヤ美術館化宣言!」。

―DEJIVU、美術専修の後輩の17人で、北越谷商店街49店舗に作品を展示した。制作と展示場所の開拓を自分達で行うことで、アートについて深く考える機会となった。





11月


・「第3回出津橋自然フェスタ」でワークショップ展開。


―写真についてのワークショップには、リピーターが多く現れた。また、Doナツさんの熱い神輿ワークショップも開催され、大盛況の祭りとなった。





12月


・「自分の存在する場所」写真展開催


―様々なところで、軌跡を残してきて、たどり着いたところは、自分の住んでいる街だった。自分の街と自身の存在について、写真を用いて表現することを追求した。




1年間を振り返って、今年は「挑戦」と「発信」の1年だった。

様々な人に支えられ、自分自身を追及した1年だった。



来年も今年以上に「挑戦」し「発信」していこうと思います。

今年一年間、ありがとうございました。来年もどうぞ、よろしくお願いします。




写真

「浅見俊哉作品展」川越市立美術館

2006/12/29(金) 感謝&今後のお知らせ
・29日をもって、開催していました写真展が終わりました。

今回の展覧会を通して、様々な方と交流を持つことが出来ました。

お会いすることが出来なかったけれど、感想ノートに書き込んでくれた方、写真を見て何かを考えてくれた方…。

本当にありがとうございました。

機会があれば、ご感想など頂戴したいと思っております。

よろしくお願いいたします。



・今回は、三郷で二年間撮影してきた約650枚の中から、14枚を選び、展示しました。

今も、撮影は継続しています。


・そして、1/22〜1/29日に埼玉県立近代美術館の地下の展示スペースで、3枚の写真を展示します。

今回展示してみて、思考、客観的に自分の描いた像、周囲の現象などを確認できました。

会期までの残された時間、動き続けようと思います。

詳しいことは、またここでアップいたしますので、よろしくお願いいたします。



・最後になりましたが、今回の展示にあたりご協力を賜りました「プリント館ドゥ 三郷」の店長をはじめ、スタッフの皆さん。

グループ展として、会場を共有し、「自分が存在する場所」について表現した、市川潤一君に深く御礼申し上げます。

2006/12/18(月) 展覧会風景
先日お伝えいたしました。

浅見俊哉×市川潤一「自分が存在する場所」写真展。



会期が1日短くなって、今月29日(金)までとなりました。

私的事情で申し訳ありませんがご了承下さい。



作品展示が完了しましたので、写真にてお伝えいたします。

木目調の暖かいギャラリーです。



近隣の方、遠方の方、是非足をお運び下さいませ!


時間がある限り、会場にいようと思います。


詳しくは、

dejivu04@yahoo.co.jp

までお気軽にメール下さい。

2006/12/14(木) 展覧会のお知らせ
「自分が存在する場所」

浅見俊哉×市川潤一

二人写真展を開催します。


場所:プリント館ドゥ 三郷 ギャラリー

会期:2006.12.18(月)〜12.30(土)

時間:10:00〜19:00

料金:無料


私は、小さい頃から住んでいる三郷市で撮影した写真を展示します。

三郷市は、近年、様々な開発が進み、変化の真っ只中にある街です。

しかし、その中に住んでいる人間は、その変化を感じにくいものです。

そして、後になって、とてつもなく大きな変化であったことに気付くことがあります。

撮影した場所は、小さい頃からあまり変わらない場所や現在開発が進んでいる場所、人が行き交い絶えず流れがある場所などです。

日々変化するその街に自己を重ね、その存在を表現したい。



是非、足を運んでくださいませ☆


遅くなりましたが、DM発送希望の方は、お手数ですが

dejivu04@yahoo.co.jp

まで、氏名、住所を添えてご連絡いただければ幸いです。



アクセス方法など詳しいことは「information」へ☆

2006/12/07(木) 「悩める時間」―トントンギコギコ図工の時間を鑑賞して
―「悩むことの出来る時間」が確保されているというのは、本当はとても幸福なことだ



ちいさいころから大人になるまで私達は様々な数字に右往左往する。



テストの点、偏差値、評定、単位、ノルマ、売り上げ、給料etc...



数字を重視するばかりに、忘れてしまいがちな「悩める時間」の大切さ、貴重さに気付かせてくれた映画がある。


「トントンギコギコ図工の時間」


野中真理子監督作品で、美術に携わるものなら、知っているちょっとした話題作だ。


児童達の、図工の時間に起こる、作品の制作を通しての、様々な困難…。



「どうすればつくりたいカタチになるのか」

「どうすればしっかり固定できるのか」

「どうすれば人に伝えたいことを伝えることができるのか」




様々な自分の困難に直面した時、その困難へどうアプローチするのか。



先生は言う。



「悩んでください。」



「悩む」ことをしても良い時間。


「悩ん」で、「悩んで」「悩み」まくって、しぼり出した自分自身の答えを具現化できる時間が図画工作・美術の時間だ。


児童達のそうした「悩み」「分かり」また「悩む」姿。


その時間の貴重さを改めて実感した。


そして、考える。


図画工作の時間に関わらず、学校教育、いや、社会全体で、この「悩める時間」は失われつつあるのではないかと。



塾化する学校現場

学生のうちからの企業研修



本来「悩むこと」が許された時間にさえ、社会のシステムが侵食している。


そして一番危険なことは、このシステムを疑うことなく、自ら「考えること」つまり「悩むこと」を辞めてしまうことだ。


絶対的な神のようなものを信仰の対象としない日本人は、他人と自らを比べ、勝っているという優越感を得て自らを保っていると聞いたことがある。


自分の中に自身の価値観を見出すことが出来ずに、客観的な数字を求め、自らを保つ社会…


私はこの映画を見て、本当はもっと自身の身近にあったはずの「悩む」時間の存在、そして「悩ん」で「悩ん」で、何か自分の中で発見したり分かったりしたときの嬉しさを、思い出した。


そうしたことは、数字には現れない。


けれどなんていうか、「わかった」ときは、とても気持ちよくて、それを人にも伝えたくなる。


そういった喜びの尊さを再確認した時間だった。



 
―先日、生徒達に自分の制作した陶芸作品に値段をつけるという授業をしました。

100円や50円といった、控えめな生徒から、100万!5000万!2億!!!といった巨匠も黙る値をつけた生徒もいました。


「値段をつけることで、悩んだ人!」




値段をつけ終わってから聞いてみたところ、ほとんどの生徒の手が挙がりました。


「どうして?」




ある生徒に聞いたところ


「僕は初めて陶芸をやって、粘土もはじめて触って、最初は何をつくればいいのかわからず、いつも使う湯飲みをつくろうとやっと決め、つくるものが決まってからもうまくできずに何度もやり直しました。そうしてやっと出来た作品に値段をつけるなんてできません。」


と答えが返ってきました。


値段をつけた生徒も、同じ気持ちだったと私は感じました。

自分自身が努力をした時間というものは、値段に表せない。

授業を重ねていくうちに、ただの粘土がとても貴重なものに、自らの取り組みで変わっていったのだと思います。





プライスレス





聞きなれた言葉だけれど。

まさにそうなのだと思います。


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