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2006/11/19(日)
命の臭いのする場所
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死の実感がなくては、生の実感は得られないと誰かが書いていた。
テクノロジーに寄りかかった表現をしている私は、この死の実感から遠いところで右往左往しているのではないかと最近強く思う。
今日、筆を持って線を引いてみた。
自らの肉体の運動がなす軌跡が、こんなにも気持ちがよいものだったことに今更ながら気がついた。
肉体を感じさせるような、私自身の血の臭いのするような、そんな表現がしたいと強く思う。
カメラがなければ、肉体でシャッターを押せばいい。
筆がなければ、指で描けばいい。
絵具がないなら、血で描けばいい。
囚われるな!
写真を撮りたいわけじゃない、絵を描きたいわけじゃない。
それらは命の臭いのする場所へ行く為の手段に過ぎない。
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