asa. Diary
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2005/07/29(金) 作品をつくること
・今日も暑かった。

教育実習の期間休んでいた「生物学実験」の実験補講を朝から、夕方まで、行いました。

一日ずっと顕微鏡を覗いていたので、目がひどく疲れています。

高い顕微鏡だと目が疲れないらしい。カメラのファインダーと同じだ。

 私は、美術専修なのですが、私の大学は、希望者は他の科目の授業も受けることができ、免許も取ることができる。

ずっと美術と理科が好きだった私は、大学で、美術と理科を学び、両方の免許をとるため勉強しています。今年で四年目になり次第に履修科目も少なくなってきて、少し寂しいです。


 今日、生物学研究室の助手さんに、「理科の学生さんはどんな卒業研究を行うのですか」と尋ねたところ

「うーん。あれは研究とは…言いがたい。」

「本に載っていることを確かめて、同じ結果が出て満足している…あれはけんきゅうじゃないなぁ。」

という答えが返ってきました。

さらに、

「将来、教師になるのであって、研究者になるわけではないからという意識があるようなんだけど、研究をしないで教師になってしまうのはどうかと思うし、なにより研究に向かう熱意のようなものがないと、教師としてこれから直面する厳しい状況にも対応できないと思う。短い期間でできる研究はたかが知れているけれど、挑戦する態度を持って欲しい。その挑戦したことは、何をやるのにも決して無駄にはならない。」

と言っていました。


 私達、美術にも同じことが言えると思いました。

私は「作家になるわけではないので、作品をつくることに対してこなしていけばいい」という考えが、1年の頃ありました。

しかし、それでは何に対して一生懸命取り組み、自信を持って卒業できるかと自分自身に問いたところ、課題をこなしているだけでは、それはできないと実感しました。

あくまで授業中に出されるものは「課題」であって、私達がつくるものは「作品」ではなく、「課題」に対する「回答」なのではないか、「作品」をつくること、自分を表現することは、他人に何か与えられるものではないのではないか、といろいろな人の作品を見ていくうちに思いました。

「作品」とは、先生に「〜を用いて構成しなさい」など与えられるものでなく、自分自身が表現したい事柄を、自分なりの手段、材料、見せ方を考え、自分自身の全てを提示することだと考えています。

どこまでやるのかは、その人次第だけれど、「簡単」にすむようなものでないことは確かです。



ある本からの実験の確かめで終わるのか

「卒業制作」という課題をこなすことで終わるのか


私は、私なりに自分自身の表現を追及して卒業しようと思います。厳しく、辛いことが多くあることは容易に予想できます、しかし、それを乗り越えた時、何か得られるのではないかと思っています。


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