asa. Diary
asa.の「今日」です。
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2005/06/14(火) 研究授業を終えて
・研究授業無事終了。

終わったあとの充実感。

たまりません!!


第一次「造形あそび」→第二次「表現したいものをつくる」

の進行も上手く出来て、児童の「造形あそび」で体験したことを、第二次の「表現したいものをつくる」活動で発展でき、児童にとっても、充実した授業内容だった。

中には、「造形あそび」の段階で、創作活動を行っている児童もいたので驚いた。

次々に出来る児童の作品を、黒板に貼り、友達の作品を見やすい環境もあって、友達の作品を見て参考にして自分の創作に生かしている児童が多数いて、鑑賞の効果があったのではないかと思う。

最後にまとめの鑑賞の時間をとり、何人かの児童に、自分の作品の工夫点などを発表してもらった。ここで、自分の工夫点が言えることがとても重要だと思う。

終わったあとの「もっとやりたかった」、「今日使った魔法の紙は何処に売っているの?」という声が沢山聞こえたのが嬉しかった。

反省点を挙げたらキリが無いが、この上ない充実感を得る事が出来た。


 去年の12月「あつまれあそびあーと!」という美術教育を社会に発信するアートイベントでも、同じ活動を計画して実行した。

けれど、今回は、学校の中で、学校の教科書には載っていない授業をやるということで、学習指導要領と、この活動との関わりを主に、学習指導案を作成しました。

育てたい力や、評価の観点など、授業として成り立たせるために、考えなくてはならない事がたくさんあった。
 
さらに、「レベルの高い授業とは、児童の実態にあった授業だ」と教頭先生からの指摘もあり、様々な場面での児童の反応を予想し、授業の進行を細かく考えた。

児童の活動を考え、板書計画、教室の環境作り、機材の配置、安全対策、材料の準備など、本当に細かいところまで考慮しなくてはならない事も学んだ。

「45分という時間をどうやりすごそうか、という事を考える実習生が多い中、90分では、自分がやりたい事をやりきれていない!もっとやりたい!という気持ちが伝わってきた。やりたい事をもって教壇に立つと児童の活動がまるで違う。生き生きしている」と指摘してくださった先生もいた。

「いい環境で出来た事は、それまで学級経営を行ってきた、T先生の努力も忘れてはいけない。」と指摘も受けた。

最後に、

「こういった、新しい教材研究を実践する試みは、大歓迎する。しかし、これを、新採でいった学校現場で行うと考えると難しい事がある。それは、年間指導計画がすでに出来ている事。一部のクラスだけ行い、他のクラスに行わない事は公教育という観点から逸脱していること。教材の購入など、そういった理由から、新しいものを入れる事は難しい。」

という公立学校の実態も指摘された。

 しかし、常に、教師は、よりよい教育を考えていかなくてはならないと思う。

目の前にある題材をよりよくするために考えることも必要だけれど、教材研究を特に考えなくてはならないと考える。

それは、自分の好きな事だったり、ずっと続けている事にあるのだと思う。

直接授業にかかわらくても、道徳や生活指導、児童指導に役に立つに違いない。

―自分を磨き、考え、追求する事。

それが、教師に最も、求められているものだと思う。


・写真は、感光させているところ。この時間のドキドキ感が、たまらない。
 

2005/06/12(日) 活動も頑張っています。
・グループ展の準備、もう一息です!!

実習終わった次の日搬入という強行日程!今日はボードに色を塗って、、、、プリントまではいきませんでした(泣)。

今回は黒を基調ということなので、モノクロのイメージでいきたいのですが、人間、モノクロと感じられる幅って実はものすごく広い。どんなモノクロにしようか悩んでいるうちに、モノクロってなにか分からなくなっちゃった。

あと何日かで、さらに深めたいです。


 公募展に二つ応募しました。どちらも力を入れてつくった作品を応募しました。

一つ目は、「トウキョウワンダーウォール」

http://www.seikatubunka.metro.tokyo.jp/bunka/wonderwall/

二つ目は、「写真新世紀」
http://web.canon.jp/scsa/newcosmos/index.html


写真は、フジ・トレビ100で撮った今年の桜。

お金なくて今まで現像出せなかったのです(泣)。


そして、ふたを開けると…。


青の色、シャドーがとてもお気に入りに撮れてました。

それにしても、ヤシノンやる子だ。

ありがとね。これからもよろしく。

2005/06/10(金) 「造形あそび」とは?
・先日、ダメダシをくらって一から指導案を見直しました。

「造形あそび」だけで終わるのは、私には不本意なので、「造形あそび」から「表現の活動」にどうにか移行できないかを中心に考えました。

そう考える理由は二つあります。

 一つ目は、「造形あそび」で活動を楽しんだ児童は、授業が終わると「楽しい活動であった」と、それで終わりで、その先の発展性が望めないこと。

 二つ目は、鑑賞の時間を充実させたものにしたいからです。


前者は、

「造形あそび」だから体験をさせ、楽しく活動できればそれでおしまいという勘違いが、意外に浸透してしまっていると感じました。「造形あそび」という言葉にも問題があると思います。

「あそび」のなかで子どもたちは様々なことを学ぶのは確かです。

しかし、それだけでは学校で行う必要は無いのではないでしょうか?

学校で「造形あそび」を、行う理由は、その体験を生かして、もっと発展させ、こういう表現もできると指摘することにあると思います。


後者については、

鑑賞の時間を確保するのは、今の授業数が少ない状況の中では、難しいことです。

しかし、表現の活動と、鑑賞の活動の二つの活動があって初めて、美術(図画工作)の学校で行う意味が見えてきます。

それは、それぞれ表現したいものに近づけた、いわば児童の想い、工夫が具現化した作品が、生徒(児童数)あることです。

たくさんの友人の作品を見ることで、友人の想い、工夫点を共有し、認め、また自分の表現の工夫点、友人との違いも明らかになるでしょう。

それはいわば、他人を認める能力であり、自分は他人とは異なり、自分の表現は自分特有のものだという自分を認める能力ということもできます。

話は戻りますが、ただ楽しい「造形あそび」では、他人の工夫点が見えにくいことは明らかです。

なぜなら、自分も活動をして楽しいで終わってしまい。表したいものに近づけていく思考、工夫をしていないからです。

自分が、思考工夫をせずに、他人のそれを感じ取ることは不可能に近いと考えます。



 以上の理由で、私は、「造形あそび」だけでない「表現の活動」も盛り込んだ授業を行いたいと考えました。

幸い2時間あるので、初めの1時間は、新しい素材になれる「造形あそび」を行い、次の時間に「表現の活動」に発展し、終わりに「鑑賞の活動」を盛り込む授業を構成しようと思っています。

2005/06/09(木) 研究授業について
・研究授業の指導案制作がいよいよ始まった。

私は、図画工作を担当することになった。

題材は、コピアートを用いての「影で描こう!私の好きな生き物達」だ。

コピアートとは、いわばタイムラグが長い印画紙で、室内ではおよそ5分ほどで感光する。

そのコピアートの上に、自分の表したい生き物を決めて、その生き物に近づけていくために、身の回りにある文房具や、登校時、道に生えている葉などを見つけてくる。

それらの材料を組み合わせて、自分の表したい生き物を表現するというのが、主な授業内容だ。

今日の画像にあるように、感光したコピアート紙にアイロンで熱を加えると青く幻想的な影の絵画が出来上がる。この形の浮き出てくる瞬間が一番面白いところだろう。

今日、三時間目に練習授業を行うので、万全の準備をした。それらの活動を指導案にして、朝、担当の先生に見せた。


 三時間目直前の休み時間、担当の先生が寄ってきて、「三時間目の授業の指導案ちょっと見直して欲しい」といわれ、三時間目は授業ができなかった。


理由は、造形遊びは、初めからこれを作りたいというものを決めずに、活動の中で試行錯誤して形をつくっていくものだという。



 私が計画していた授業は、材料が無くては話にならない。初めにどういったものを作るのかを決め、それに向けて材料を集めておくことから授業が始まっていると考えていた。

しかし、目的を定めてしまった活動は、造形遊びでないという。
ましてや低学年、難しすぎると指導を受けた。


もし、指導された方法で行く場合、児童に、何にも作りたいものを決めさせず、材料を集めさせることも、非常に難しいことだとわたしは、感じた。



 ・目標を決めて、それにあった形の物を集め、構成し、自分の表したいものに近づけていく方法。

 ・造形あそびを通して、持ってきたものの形の面白さに気づく方法。

 今から、もう少し練り直します。


写真は、「空地のハンター」

材料は、マカロニ、栓抜き、バナナの皮、爪きり、ヘアピン、スプーン


 

2005/06/08(水) 今日は五コマ
・相変わらず、中間休み、昼休み、放課後と小学生とサッカーしています。

今日は、朝から終わりまで、フルで授業をしました。

全部で五コマなので、指導案を作成するのがとても辛い。


音楽の授業を一時間目に行いました。

これが一番苦労した。ドレミの歌の身体表現をして、どう音階を感じさせ、理解させられるか。

身体表現に手を段々と上に上げていき、音階が下がるごとに上げた腕を下げていく。

その後、三つの音で「ドレミあそび」をさせ、自分の選んだ音階はどうなっているのか(上がったり下がったり)を意識させた。


 明日、三時間目に、研究授業の導入を行います。

なかなか緊張します。

2005/06/05(日) 運動会に参加して
・実習先の小学校の運動会に参加した。

教師の準備は半端ではないことを体験した。

中でも、体育主任の先生は、毎朝早く出勤し、校庭にラインを引いたり、用具の点検を行ったりと休む間もないくらい準備をしていた。

学校が週休二日になったことに伴い、競技の練習の時間も少なくなり、そのなかでいかに仕上げていくのかが問題になっている。

特に表現(リズム表現、組体操)などは、何度も練習しなくてはならない為、時間がかかる。

教科の方も、おろそかにしてはならないため、現場の先生は本当にテンテコマイな状況。

 しかし、運動会は、集団行動を学ばせる絶好の機会であるし、学級経営の視点からも、児童が一体となって目標に向かう為、努力を惜しまず成功させたい行事だ。


 「入場行進も競技のひとつ」といった先生の言葉が心に残っている。

 ―徒競走で一等になることを目標とするのもよい。

 ―けれど皆で行う行進で、参加者全員が一等をとることを目標とすることも、達成するに値する目標ではないか。


自分の行動を抑え、他人に合わせること。

現在はこれを馬鹿にする風潮があると感じている、そしてかっこ悪いことであるとも。

しかし、他人の行動をよく見て、列を乱さないように、自分の行動を合わせるという行為は、気持ちがいいものである。

私に今回、それを再認識させてくれたのは、私が居させていただいている2年1組だ。

はじめは皆、当然バラバラであった。自分勝手に行動し、かぶっていた赤白帽子で、友達を叩く児童も沢山いた。

けれども、先生の言葉に児童も共感したのだろう。

 ―揃うことの美しさ、気持ちよさ。

一人では、決して味わえない、生きていく為に大切な体験だと思う。

よく晴れた空の下、気持ちのよい運動会だった。



 
 

2005/06/03(金) 前半終了  休み時間のこと
・教育実習も、今日で前半が終了した。

担当の二年生だけでなく、他の学年の児童にも声をかけられることも増えてきて、学校に受け入れられた感じを、多々うける嬉しい一週間でした。

 休み時間、5年生の児童が、「職員室までサッカーをやるから先生もきて!!」と誘ってくれ、そうこられたら行かない理由はありません!

しばらくすると、低学年の児童が「僕もいれて!!」と来た。

5年生の児童は。すんなりと「いいよ!」と言って、バランスよくチームを変えた。

 私が小学生の頃は、他学年と遊ぶことは考えられなかった。手加減や遠慮をしなくてはならないからだ。ましてや女子なんかとは―

 しかし、実習先の小学校では、すんなりと受け入れる。女子が一緒にサッカーをやっていることもある(これには本当に驚いた)。


 高3のとき、修学旅行でオーストラリアに行った。そこで、現地の高校生と様々なスポーツをする機会があった。

 サッカー、バレー、バスケ、ソフトボール。

サッカーのポジション決めの時、オーストラリアチームのGKに立候補したのは、なんと女子生徒だった。

それだけではない。

ソフトボールの時では、ピッチャーを女子がやるし、キャッチャーも女子だった。

あらゆるスポーツで、女子生徒がシャシャリでてくる。

一人や二人でない!

じゃんけんでポジションの取り合いをするほどだ。


 このときの光景は、日本では考えられない光景だった。

私は、はじめは戸惑ったが、とても楽しくスポーツができた。

 競技が終わって、私は、日本の男子、女子などに、わけて行う日本の体育について疑問に思ったのを覚えている。

 いまでも、鮮明に思い出すことができるほど、本当に、女子が生き生きとしていたのだ。


 話がそれたが、あの時と同じような光景を、この実習先の学校で見ることができたことが本当に嬉しい。

 

2005/06/01(水) 今日から六月
・今日から六月!!といっても七月並の気温で、運動会の練習をしている児童も何人かノックダウンしてしまうほどの陽気でした。

 やることが山積みになってきました。

 明日は、4年生の図画工作の参観です。

かなり楽しみ☆

 


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