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2005/05/01(日) 「日常」と写真表現
・私がいままで考えてきた「日常」と表現についての考えを、少し書きたいと思います。

「日常」と表現には密接な関係があることは言うまでも無い。

なにかをつくるときや表現しようとする時、そのアイデアや材料、手順などは、普段、私たちが生きている「日常」から得た経験や記憶、推測に基づいている。

写真の表現は特に、「日常」との関係が強いように思う。

特別な被写体を必要としないのに、自分の思いが表現できたり、
世界観を表現することができる。

しかし、

それには、鋭い「日常」をみる眼のようなものが必要だろう。

目の前にあるものを「疑う眼」とでもいうような…



現在、ホットな写真家に、ヴォルフガング・ティルマンスがいる。

彼の写真は、彼のみた「日常」を写すことで、彼の世界観を表現している。

「世の中は、すべてのものが同じ倍率でみえるのではない」という言葉に、彼の「日常」をみる眼が、象徴されているように思う。

一見、わけが分からない、ティルマンスの写真も、「日常」と眼の関係を考えると、折りたたまれたしわしわのシャツが、空の写真よりもはるかに大きなプリントで表現されているのも頷ける。



作品は「日常」からしか生まれないと思う。

どう自分は「日常」と関わり、その中で自分の世界観を築くことができるのか。それをどういった形で、表現するのか。

写真を撮ることは「日常」をみることに他ならない。

自分なりの「日常」をみる眼を持つこと、それが自分にしかない表現を生み出すことになると思う。


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