asa. Diary
asa.の「今日」です。
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2005/02/16(水) 美P大掃除!!
・一年で最も大変なイベントである、アトリエの大掃除!!

今回は、大改革で、15年以上あった棚を撤去!!

2日間、一年生が、先に頑張ってくれたおかげもあり、最終日の今日の仕事は明確だった。

棚の下はほこりだらけ。
なんと、水滴がほこりをまとって転がるほど!!
搾らない雑巾でふいても、一拭きで雑巾が真っ黒!!!
バケツの中は、書初めやった時のように黒い水でした。

午前9時半からはじまった掃除は午後5時半までかかり。
一日目と二日目をあわせたら何時間かかったのだろう。
一年生の皆様、本当にお疲れ様でした。
いい絵が描けそうなすばらしい空間ができましたね。

掃除の後は、先生二人と飲み会。
授業では聞けない美術に関する様々な話。
これから私たちに求められる力の話。
日常、非日常の時間の話。
…などなど。

先生方との飲み会は本当に必修だと思う。

「目先の事柄の解決だけでちいさくまとまるな」

2005/02/14(月) バレンタイン☆
・モンゴルでは、本当に大切な人に、気持ちを伝える日。
「日本の義理チョコにはとても驚いた」という。
この日は、男性から女性へでも、女性から男性へでも、想いを伝えたい方が伝えるのだという。
日本では、女性からだから少しずるいとも言っていた。

国それぞれで、いろいろな形式がある。

…わたしもいただきました。
「チョコケーキ」。

・写真は、七里ヶ浜。

2005/02/13(日) 鎌倉フォトツアー
・DEJIVUで鎌倉〜江ノ島へ☆
10人の視点で写真を撮りました。

江ノ電で長谷に行って、鎌倉大仏を見る。
でも、皆が夢中だったのはリスの群れ。
触れるくらい近くに寄ってくる。
ここでみんな、カメラの電池を大量消費!!
次に長谷寺訪問。ろうそくに自分の名前を書いて、自分がお願いしたい箇所にろうそくをたてる。
私は、芸術、水の神にろうそくをたてました。
皆は、どこにたてたのかな。

お腹もすいたので、江ノ電で鎌倉高校前で下車。
海の見える喫茶「あすなろ」で食事。
カレーがおいしいと評判なこの店。
かにもち雑炊なんていうメニューもあり、いい雰囲気のなか食事をとれました。
食事後は、七里ヶ浜で写真を撮りました。
夕日が水面にキラキラ反射して絶好のシャッターチャンス!
逆立ちして負傷した人もいるけど(笑)
priceless!!

いよいよ、江ノ島へ。
ここはいつも、一気に展望灯台までいける「エスカー」の誘惑が付きまとう(笑)頂上まで350円!!
けれど、皆、若さを振り絞って、急な階段を上る。
また見えたエスカー乗り場!180円!!
途中からだから安くなっているのが笑える。
ここまで来たら、このまま行くしかない。

…そして、頂上!
自分の足で上りきった充実感。
…priceless!!

展望灯台から見える夕日は、紅く美しかった。
バレンタインということもあり、ジャズの生演奏も聴けて、次第に辺りは暗くなり、街のネオンを一望した。

夕食は鎌倉駅に戻ってからとることにした。
何件の店に行ったのだろう。
まだ八時なのに、店はともかく飲み屋も閉まり始めている。
やっと見つけた店は洒落た洋食屋さん。
今日の感想を一人一人言い合って、今日を振り返りながら食事をした。
初めて参加するメンバーもいて、初対面ながら、写真を通して仲良くなれたと思う。

鎌倉は何度行っても見飽きない魅力がある。
また、みんなで行こう!!

2005/02/12(土) 土手走行!
・おなじみの土手を、愛機、木馬で走行☆

約6キロ先の隣町まで行きました。

最近運動していなかったので坂道はきつかった。
早く走ると速く走った分だけ風が強く感じられる。
まだまだ、風はつめたい。

…でも、発見がありました。

オオイヌノフグリがもう咲いていたこと。

他の植物が咲いていないこの寒い時期に咲くことで、背が高い植物がいない為、背が低いオオイヌノフグリでも充分に光合成することができる。

いわば、早起きは三文の徳といったところか。

長い進化の過程でそうなったのか?詳しいことは分からないが、足元に咲く小さな花にも、たくましく生きていく技がある。

少し早い春に、小さいけれど元気に咲くこの花が好きです。

2005/02/11(金) カメラを持つこと。
・DEJIVU「第三回写真ツアーしおり」から抜粋。

 『カメラを持つこと』

 カメラを持って歩いて、3年目になった。
初めてデジタルカメラというものを体験した時は感動した。
「すっげー!画像見ながら撮れるよ!」
「すっげー!撮った画像、すぐ見られるよ!」
「すっげー!撮った写真消せるよ!」
…秋葉原の店頭で、一人感動していた(笑)。

 それまで写真を撮るといったら、卒業式など何かの行事の時。
いわゆる、特別な日の記念写真。

 デジカメを持って撮ったものは、身の周り。
なんでもない、いつもの学校までの道。
土手、階段、線路、ハイヒール、つり革、くも、出津橋…。
なんでもない風景は、写真になることで、
自分の目で見ている以上に、美しく、感動的で、うそくさい。

 ―写真は真実なんて写さない。

 画面からいらない物を除いたり、近くによって拡大したり、
自分の意図がちゃんと反映できる。

 写真の構成や、見せ方を工夫して、
自分の考えを表現する事だってできる。

 カメラを持って写真を撮ること―

 それは、自分から「日常」に働きかけること。
そして、その「日常」の中で生まれた、感動や驚き、自分の考えを、他人に伝えることじゃないかって思う。

・写真は、アリア+AUTO YASHINON 50mm 1.4 +Kenko MC YA3 SO-56で撮った、いつもの土手。

2005/02/09(水) 祝勝利!!!
・ワールドカップ最終予選初戦!日本劇的勝利おめでとう!!!

熱い試合でした!一秒たりとも目の離せない試合展開!両チームの選手の試合に対する思いが伝わってきました。

埼玉スタジアムでは、今日の試合のために厳戒態勢をとり、沢山の警備員を配置した。相手があいてだけに仕方の無いことなのかも知れないが、少し変だなと思う。
国家間の問題とかを反映せず、純粋にサッカーを通して国際交流ができたら、いいなと思う。

サッカーに限らず、他のスポーツや芸術はそういった特性を持っている。
…他者との交流をもたらす物。
…自己を高めるもの。
それらは、決して自己満足では得られない。

2005/02/08(火) 美術教育の意義
・美術の時間が消える!!!

 あの、沢山の教科の中でも、道徳、学活、給食の時間に並ぶとも劣らない、憩いの時間。

―美術。

その美術の時間が消える!!!

学校週休2日制や「ゆとり」教育の問題。

それに伴い、美術(図画・工作)の時間が、以前のように週2時間ではなく、週1時間に追いやられ、さらには、なくなる危険性もある。

美術を専門とする私たちは、この事態を、重く受け止め、学校教育における美術科の意義についての考えをより深くもたなくてはならない。

そこで、私は、

自分の体験を通して、美術教育の意義について考察してみた。


この内容について、貴方様の意見をBBSにお寄せ下さい。

自分の受けた美術の時間。
美術のこんなところが好き(嫌い)だ。

などなど。

皆で、よりよい、美術教育について共に考えられたら幸せです。


では、語らせていただきます。

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『美術科(図画工作科)教育の意義』


私は、美術教育(図画工作科教育)の意義を考えるにあたり、表現と鑑賞の活動の相互作用に美術教育の持つ特性があると考えた。
その特性は、学校教育においてとても重要であり、美術教育を学校で行う意義であると考えられる。

文部省告示第175号(平成15年文部科学省告示第173号・一部改正)による小学校学習指導要領、図画工作科教育の目標は次の通りである。

「表現及び鑑賞の活動を通して,つくりだす喜びを味わうようにするとともに造形的な創造活動の基礎的な能力を育て,豊かな情操を養う。」

これに伴い
はじめに美術教育における表現の活動について考察する。

表現の活動とは、ものをつくることで、どのように自己を表現するかという活動である。児童(生徒)自らが、表現したいものを決定し、材料、技法、配置、色彩などを工夫しその作品を表現したいものに近づけていく。この活動において児童(生徒)は、自分自身を見つめ、何を、どのように表現するかを常に考えて製作する。そして、一番の喜びは、自分で製作してきたものが完成したときである。自分で表現を、考え、手を動かすといったことの連続、思いどうりにいかない苦悩、失敗の連続をへて、作品の完成の喜び、という一連の活動の中には、美術教育の持つ特性が表れている。つまり、自分自身を認識し、作品を通して外に発表し表すといったことが表現における美術教育特性である。

次に美術教育における鑑賞の活動について考察する。

鑑賞の活動とは、児童(生徒)がそれぞれ、自己表現した作品をみ合う活動である。児童は、完成した作品が他人にみられ評価されることで、表現の活動の完成の喜びを味わう。そして、互いの作品をみることで、自分には考えられなかった表現や、工夫している点、色彩感覚など、に気づく。そのなかで児童(生徒は)他人の作品を通して他人を認め、さらに自分の考えや表現を広げることができる。鑑賞の美術教育の特性は、他者の理解、自分の価値観の拡大である

この表現と鑑賞の活動がどちらも充分に行われてこそ、美術教育の特性が発揮される。特に、鑑賞の時間が軽視され、行われないことがある。これでは、せっかく時間をかけて行った表現の活動も台無しになることは容易に予想できる。表現と鑑賞は共に行われてこそ、美術教育は意味のあるものとなるのである。

次に、私自身が体験した、美術教育における表現と鑑賞の活動の授業から、美術教育の意義について考察する。

私が体験した授業は、ぴかぴかの石という、彫刻の授業だった。様々な道具を使い分けて、石を砕いて形を変えること、やすりで石の質感を磨くことで、どう児童が表現を工夫し作品を作るかが狙いである。はじめに、彫刻家の作品を実際に触って、石の質感を感じ、自分が作りたい作品をイメージする。彫刻家の作品は、ぴかぴかに磨かれた面が多くすべすべした質感が印象的な作品である。作業がはじまり、児童たちは、石が硬く、うまく形がでなかったり、石を、ぴかぴかにするためのやすりがけに苦労していたりした。

作業の途中で中間鑑賞会という時間があり、みんなの途中の石の作品をみ合った。そこでは、丸みをおびた石、ぴかぴかに磨かれた石、すべすべした石が大半を占めていた。しかし、その中に、ざらざらした石や、石を割ったときにできたような、鋭い面を持つ石があった。このような作品は、彫刻家の作品とは離れていた質感をもつ石であったが、このような石の表現もあると教師は児童に指摘した。

皆の、石の作品を見て作業が再開した、道具によって表現の違いがでることなどに気づき、ぴかぴかや、丸みをおびた石だけでなく、ざらざらやがさがさした質感の石を製作する児童が現れ始めた。いままでぴかぴかな質感に近づける作業だけでなく、道具によって様々な質感がでること、そして、その質感も認められるということに気づいた児童は様々な石の質感を楽しむようになった。それは、鑑賞することで、児童の価値観が広がり、表現の幅が広がったことを、私に実感させた。そして、授業の最後の鑑賞会では、実に様々な石の表現が作品にあらわれていた。鋭い石を怪獣の牙にたとえたり、つるつるの石をゆでたまごとした児童など、多様な表現を皆で、認め合い、自分の作品を友達や教師に見せ、美術(図画工作)の時間を楽しんでいた。

このような体験をして、私は、表現と鑑賞の活動の時間を通して、自分の表現にむけ、どのような方法でそれを実現するか(問題解決能力)。また、鑑賞の時間で、他者の作品を認め自分の価値観を広げ、自分の作品に生かしていく能力(幅広い価値観)が美術教育の特性であると考えた。

最後に、私は、このような力を育てる美術教育は、学校教育においてとても重要で、欠くことのできないものである。
私たちは、こういった美術の持つ特性を十分に理解し、美術教育の重要性をより深く認識する必要があると考える。

最後まで読んでいただきありがとうございました。



2005/02/07(月) 新宿散歩
・今やっている、
アラーキーと森山大道さんの写真展に相方と行ったのですが、


月曜!!!休館日!!!!!


「ナニィィィィ!!」


そこで、新宿写真ツアーに早代わり!!

あっちこっち、行ったりきたりして、
最近運動していないのも伴い、足が痛い!痛い!

その後、既成概念、美術、教育について語り。

終了。

また近いうち、リベンジします。

2005/02/06(日) なにかをすること 2
・テストも終わり、時間ができたので少し、
今までの活動について、考えた。

自分が「やっている」と思っていた様々な活動―

これらは、目の前に、用意されたものをこなしてきただけなのではないか。

いわば、出された飯を食べるだけだったのではないか。


「なにかをすること」は、もっと別の大変な作業が裏にはあることに気づいた。

当たり前であるが、飯の材料を作る人、その材料を使って飯を作る人がいる。

このことに気づかず、
私は、その飯を食べ、お腹がいっぱいになり、満足していた。

このことに気づいたとき、全てを消したいと思うと同時に、言葉にできない恥ずかしさでいてもたってもいられなくなった。



 私は、あそびあーとでワークショップを一からつくり、実践し、自分では、「やった」と思っていた。(1/29の日記より)
沢山の人が、このワークショップを楽しんでくれて、自分でも、大きな充実感を得た。


その、あそびあーとでの飲み会の後、協力してくれた業者の方にこういわれた。

「今回、君が、ワークショップをこの場所で実現できたという、機会をもてたことは、とても幸運なことであるし、R先生(代表の方)を初め沢山の先生方に感謝しなくてはいけない。もちろん、君の努力があったことは皆、よく分かっている。しかし、こういう場でできたこと、このこと自体はとても恵まれたことであり、これには、もっと大変な力が注がれているんだ。」
と。

さらに、

「こういったこと、学生には分からないっていったら、君はおこるだろう?」
と。


分かっていなかった。


自分の力があって成功したのだという充実感。
5月から12月まで用意してきた賜物だという充実感。
自分の協力があってイベントが成功したのだという充実感。
そんな自分中心の充実感でいっぱいだったのだ。


今考えると、なんて、おめでたかったのだろうと恥ずかしくなる。

自分が大変だったことしか見えていなかった。
自分がその場所でやらせてもらっているに過ぎないことに気づかなかった。


その裏では、このイベントのために動いていた、見えない沢山の力があった。それは、自分で行ってきたことなんて足元にも及ばない大きな力だ。

ワークショップに参加したことで、参加した気になり、いい体験をしたという実感を持って、全てを分かったような気がしていた。

一から「なにかをすること」は、すさまじい見えない力があるのだということ。出された飯をただ食べるだけでは、本当に大切なものを得ることはできない。

もちろんあの時の言葉、全部を理解できたわけじゃない。
でも、落ち着いて振り返った今、少しあの時よりは、理解できたと思う。

出されたものを食べただけで、満足してはいけない。

2005/02/05(土) お知らせ。
・本日、23時より第一回のchat会、行います。

テーマは、「私と写真」です。

皆さんの、写真とのかかわり、よく行く撮影場所、よく撮るもの、など、楽しく語り合いましょう。
もちろんカメラもってなくて写真撮ってない方も歓迎。
写真が好きな方お集まりください。


人数が3人以下の場合は延期します。
ではお気軽にお越しくださいませ。


・写真は去年の夏に行った鎌倉での一枚!
落陽の光で足が長いでしょ(笑)。
13日、DEJIVUで鎌倉撮影会楽しみだぁ!

2月絵日記の続き


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