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2005/02/08(火) 美術教育の意義
・美術の時間が消える!!!

 あの、沢山の教科の中でも、道徳、学活、給食の時間に並ぶとも劣らない、憩いの時間。

―美術。

その美術の時間が消える!!!

学校週休2日制や「ゆとり」教育の問題。

それに伴い、美術(図画・工作)の時間が、以前のように週2時間ではなく、週1時間に追いやられ、さらには、なくなる危険性もある。

美術を専門とする私たちは、この事態を、重く受け止め、学校教育における美術科の意義についての考えをより深くもたなくてはならない。

そこで、私は、

自分の体験を通して、美術教育の意義について考察してみた。


この内容について、貴方様の意見をBBSにお寄せ下さい。

自分の受けた美術の時間。
美術のこんなところが好き(嫌い)だ。

などなど。

皆で、よりよい、美術教育について共に考えられたら幸せです。


では、語らせていただきます。

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥
『美術科(図画工作科)教育の意義』


私は、美術教育(図画工作科教育)の意義を考えるにあたり、表現と鑑賞の活動の相互作用に美術教育の持つ特性があると考えた。
その特性は、学校教育においてとても重要であり、美術教育を学校で行う意義であると考えられる。

文部省告示第175号(平成15年文部科学省告示第173号・一部改正)による小学校学習指導要領、図画工作科教育の目標は次の通りである。

「表現及び鑑賞の活動を通して,つくりだす喜びを味わうようにするとともに造形的な創造活動の基礎的な能力を育て,豊かな情操を養う。」

これに伴い
はじめに美術教育における表現の活動について考察する。

表現の活動とは、ものをつくることで、どのように自己を表現するかという活動である。児童(生徒)自らが、表現したいものを決定し、材料、技法、配置、色彩などを工夫しその作品を表現したいものに近づけていく。この活動において児童(生徒)は、自分自身を見つめ、何を、どのように表現するかを常に考えて製作する。そして、一番の喜びは、自分で製作してきたものが完成したときである。自分で表現を、考え、手を動かすといったことの連続、思いどうりにいかない苦悩、失敗の連続をへて、作品の完成の喜び、という一連の活動の中には、美術教育の持つ特性が表れている。つまり、自分自身を認識し、作品を通して外に発表し表すといったことが表現における美術教育特性である。

次に美術教育における鑑賞の活動について考察する。

鑑賞の活動とは、児童(生徒)がそれぞれ、自己表現した作品をみ合う活動である。児童は、完成した作品が他人にみられ評価されることで、表現の活動の完成の喜びを味わう。そして、互いの作品をみることで、自分には考えられなかった表現や、工夫している点、色彩感覚など、に気づく。そのなかで児童(生徒は)他人の作品を通して他人を認め、さらに自分の考えや表現を広げることができる。鑑賞の美術教育の特性は、他者の理解、自分の価値観の拡大である

この表現と鑑賞の活動がどちらも充分に行われてこそ、美術教育の特性が発揮される。特に、鑑賞の時間が軽視され、行われないことがある。これでは、せっかく時間をかけて行った表現の活動も台無しになることは容易に予想できる。表現と鑑賞は共に行われてこそ、美術教育は意味のあるものとなるのである。

次に、私自身が体験した、美術教育における表現と鑑賞の活動の授業から、美術教育の意義について考察する。

私が体験した授業は、ぴかぴかの石という、彫刻の授業だった。様々な道具を使い分けて、石を砕いて形を変えること、やすりで石の質感を磨くことで、どう児童が表現を工夫し作品を作るかが狙いである。はじめに、彫刻家の作品を実際に触って、石の質感を感じ、自分が作りたい作品をイメージする。彫刻家の作品は、ぴかぴかに磨かれた面が多くすべすべした質感が印象的な作品である。作業がはじまり、児童たちは、石が硬く、うまく形がでなかったり、石を、ぴかぴかにするためのやすりがけに苦労していたりした。

作業の途中で中間鑑賞会という時間があり、みんなの途中の石の作品をみ合った。そこでは、丸みをおびた石、ぴかぴかに磨かれた石、すべすべした石が大半を占めていた。しかし、その中に、ざらざらした石や、石を割ったときにできたような、鋭い面を持つ石があった。このような作品は、彫刻家の作品とは離れていた質感をもつ石であったが、このような石の表現もあると教師は児童に指摘した。

皆の、石の作品を見て作業が再開した、道具によって表現の違いがでることなどに気づき、ぴかぴかや、丸みをおびた石だけでなく、ざらざらやがさがさした質感の石を製作する児童が現れ始めた。いままでぴかぴかな質感に近づける作業だけでなく、道具によって様々な質感がでること、そして、その質感も認められるということに気づいた児童は様々な石の質感を楽しむようになった。それは、鑑賞することで、児童の価値観が広がり、表現の幅が広がったことを、私に実感させた。そして、授業の最後の鑑賞会では、実に様々な石の表現が作品にあらわれていた。鋭い石を怪獣の牙にたとえたり、つるつるの石をゆでたまごとした児童など、多様な表現を皆で、認め合い、自分の作品を友達や教師に見せ、美術(図画工作)の時間を楽しんでいた。

このような体験をして、私は、表現と鑑賞の活動の時間を通して、自分の表現にむけ、どのような方法でそれを実現するか(問題解決能力)。また、鑑賞の時間で、他者の作品を認め自分の価値観を広げ、自分の作品に生かしていく能力(幅広い価値観)が美術教育の特性であると考えた。

最後に、私は、このような力を育てる美術教育は、学校教育においてとても重要で、欠くことのできないものである。
私たちは、こういった美術の持つ特性を十分に理解し、美術教育の重要性をより深く認識する必要があると考える。

最後まで読んでいただきありがとうございました。




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