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2005/02/26(土)
「ゆとり教育」の「落し物」。
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・久しぶりに北風の冷たい冬日。
親と妹と先日行った、唐招提寺展にもう一度行きました。
先日行ったときは、平日だったので空いていたのですが、 今日は、土曜日。すごい人、ひと、ヒト……。
慮舎那仏坐像、鑑真和上像、魁夷の襖絵をもう一度見た。 特に鑑真和上像は、立ち止まってみることができない。
押されて流し見。
一通り見て。時間があったので、東洋館、本館へ。
先日もそうだったのだが、 ネームバリューのある展示会場とは違い、こちらは、ほとんど人がいない。 ほんと面白いくらいに。
東洋館では、 エジプトのミイラや、ガンダーラ、中国の仏像など。
本館では、 浮世絵や、刀剣、書、磁器など。
面白いのが、英訳。
書→Chinese style poem
いやいや確かにそうだけどさ(笑)
・今日のタイトルは「ゆとり教育の落し物」
こう聞いて、眉間にしわをよせて、「またか」と呟く人が多いのではないか。
そんな、世間一般に、
「ゆとり教育」=「失敗」
のような風潮が否めない今日。
博物館や美術館の在り方が変わってきた。
これは何者でもない「ゆとり教育」の「産物」なのだ。
今までは、「型ぐるしい」、「窮屈なところ」
といったイメージがあり、足を運ぶのを懸念していた人が多いのではないだろうか。
しかし、今、博物館や美術館は、「ゆとり教育」で休みになった土曜日を中心に、子ども、親が一緒に楽しめる楽しいイベントを数多く企画するようになり、気軽に足を運べる環境をつくっている。
いつも内容が同じな遊園地なんかより、よっぽど楽しいと私は思う。
学芸員さんが、小学校で授業をしたり、現場の先生が美術館でイベントを行う例も少なくない。 学芸員さん、先生も、こういった場所で、勉強している。
実際に、ここ数年、美術館にいる子どもの数も、昔では考えられない位いるのではないだろうか。
マイナスイメージでとらわれがちな「ゆとり教育」。
以上のような「ゆとり教育」の「落し物」=「産物」も見逃さないでほしい。
「ゆとり教育」とは、
自分で選択する「ゆとり」 自分で考える「ゆとり」
ではないかと思う。
行動するかしないかは、自分なのだ。
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