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2005/12/16(金)
友へ
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今日は友の命日だ。
13年前の今日、友はいなくなった。
「いなくなった」という表現が、今でも適切かと思う。
なぜなら13年前の私には、人が死ぬということが全く理解できなかったから。
今でもそうなのかもしれないが、
あの日、いつものように休み時間ドッジボールをして教室に帰ってくると
友の机の上に花が置いてあった。
その後、全校集会が行われて、友が死んだことを校長先生から告げられた。
私は、きょとんとしていた。
つい先日まで一緒に基地をつくったり、ドッジボールをしたり、ゲームをしたりしていた。
「死んでしまった」ということが理解できなかった。
数日後、霊柩車に乗って友は何処かへ行った。
たくさんの叫び声とすすり泣きが今でも耳に残っている。
その時も、私は、きょとんとしていた。
あれから、この日は、あの頃遊んでいた友を含めた私達の特別な日となった。
友の家に、友の、10数人の友達達が線香をあげに集り、語り合う。
小学校5年生、6年生、中学校1年生、2年生、3年生、高校1年、2年、3年、浪人、大学1年、2年、3年、4年、、、、
私達は成長していくにつれ、あの頃が遠くなっていく、今年で友よりも13年多く生きていることになる。
けれど、友の前に来ると不思議とあの頃に帰ることができる。
ゲームの攻略法、ドッチボールの必殺シュートの名前、好きだった人の話 etc..
なんでこんなに明確に覚えているのだろうか
あの頃の時間が、私の中に今でも流れているような、そんな錯覚に陥る。
そして、その中で、友は笑って私と遊んでいるのだ。
時間を忘れて語り合い、最後に友の写真を見る。
そこにはいたずら小僧の顔がある。
私はその写真を見て、私達はかつて、こんなに幼かったのかといつも思う。
「また来年来るよ」と心の中で想い、岐路に着く。
―今年は、これから友の家に行ってきます。
写真は、私達の通っていた小学校。
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