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2005/01/08(土)
光跡論
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・順調にレポート仕上がっています。もうひとふんばり!ピアノのテストの課題である「冬景色」もあと後半を頑張れば単位見えてくる!気合でこの連休乗り切ります!!
・さて、久しぶりの「asa.写真うんちく」のコーナー。 今回は「光跡」について。
先日立ち読みしていた雑誌に、私の好きなカメラマンである、川内倫子さんの「光」についてのコラムがあった。その中で写真評論家の方が以前、この雑誌の読者を対象にした「目にみえている光、みえていない光」という、講義のなかで、こう質問したらしい。
「懐中電灯を目に押し当ててまぶたを閉じる、その時光がみえるけど、この光はどこからきたのか?」と。
そうしたら参加者のうちの一人の女性が、
「目に入り遅れた最後の光がまぶたを閉じた瞬間に入ってきたのをみたんです。」
と答えたそう。
この記事を読んだ私はハッとさせられた。
私は、夜の写真がすきで、よく夜、撮影に出かける。 車の光跡、街路灯のオレンジ、トンネルの緑……。 この中でも特に、写真を撮っているのは車の光跡。 どうしてこれらの写真を撮るのか以前、考えてみたことがある。 その時、答えはでなかったが、少なくとも、
「目には見えない光の、一瞬ではない時間の経過」が私の中で、とても魅力的であるからだと思った。
しかし、この記事を読んで、これらの情景(光跡)は、目にみえていたのだと気づかされた。
夜、車に乗ってうとうとしてしまい、あくびをして涙目になって見ることの出来るあのうねうねの光。 夏、花火を振り回したときの光跡。
まさに、
「目に入り遅れた最後の光がまぶたを閉じた瞬間に入ってきた」
その感覚。
この記事を読んで、「つかめない光跡をつかみたい」から夜の光跡を追っているのかもしれないと思うようになった。
・写真は、好きな光跡の一枚。
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