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2006/02/08(水) 岡本太郎革命。
今日は岡本太郎記念館と、ハガレンムービーナイトに行ってきました。
ムービーナイトに関しましては明日以降に書きます。
といっても、大佐に口止めされてしまったので雰囲気程度ですが。
ご一緒した皆様、初対面なのに図々しくてスイマセン。
皆様のおかげで百万倍楽しめました。ありがとうございます。

で、岡本太郎。
最近、私の中で岡本太郎ブーム…いや、言葉が軽いな。
…革命。そう、そんな感じだ。
太郎革命が起きまして。
きっかけは岡本太郎のエッセイだったんですが、もうズバーっとハマっちゃいました。
これ読んで脳に突破口が開けるのは私だけじゃない気がするなぁぁー…
いま、世間的にも太郎革命きてますが、もっともっと、ビッグウェーブになるべきだと思う。
今まで『太陽の塔を作った変わり者のおじさん』としか思ってなかったし、作品見てタイトル見て「どこが?」とか思ってたけど、本読んで作品見ると全然違う。
解説の必要な作品って良くないけど、解説が必要だったのは、私の感覚がニブっていたからなんです。

そんなわけで実物見たくなり、岡本太郎記念館に行ってきました。
おねぼうしてしまったせいで長居できなかったけど、チョコチョコ来ようと思う。
作品が屋外に置かれているのも乙。
写真撮影OKなのも乙。
作品どうこう語るのは難しいです。
作品の製作意図を理解しているつもりは無いので、答え合わせのような反論はされたくないし。

ただ私は作品を見て、作品の向こうに私の苦しみや、名前のつけがたい感情の答えを見ているのかもしれない。
私みたいに、生きてる事、生かされている事自体を喜べない人は多いと思う。
果ては小動物を殺すことに何のためらいも無かったりする人もいる。
そういう犯罪、現代の日本の言いようの無い「病んでる感じ」の原因は、命そのものが、あまりに日常とかけ離れているからじゃないかと常々思ってる。
よく格闘シーンの多いゲームや漫画が非難されるけど、あれはお門違い。

切り売りされた肉を食べて、病院で死ぬ。
獲物を狙うでも、狙われるでもない。
医療の発達で、若くして死ぬ人も少ないから、自分は80くらいまで生きるものだと思って疑わない。
自分の体を裂いたら、本当に教科書どおりの内臓が出てくるんだろうか?と思ってしまう。
「自殺はいけない。人は生きているんじゃなくて生かされている。世界には食いたくても食えない子供たちが」
そんな話をされても白々しいばかりだ。
根本的な苦痛は解決されず、さらに束縛されるばかりなんだから。
このまま人口が増え続けたら世界中が食糧難になるのに、なんで恵まれない国を救うの?っていうのは、あまりに冷酷だけど。
でも一人で悶々とする夜には、これくらいの事平気で考えます。

じゃあどうすればいいんだろう?
切り売りの肉や火葬がいけないのなら、
日常的に血を見てればいいのか?
そこらじゅうに死体が転がり、食物連鎖にしっかり組み込まれて獲物に狩をし、また狙われながら生活するのがいいのか?
確かにそれは命そのものを実感できるだろうけど、それが答えとはどうも思えない。
そう思って悩んできました。

私の考えはそこで止まっていたんだけれど、違う方法で見事に命そのものを実感しているのが、岡本太郎だと思う。
彼は、芸術という方法で。
エッセイのなかで、「小さい頃から、自分の中に小さな火が燃えている、という感覚がある」
というのがあって、これが答えだと思う。
私は彼の作品を見る事で、自分の中に燃える火の存在を、少しずつ意識しはじめている。


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