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2005/03/28(月)
ゴッホ展続き
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ついつい「耳ちぎったあげく銃で自殺」っていう強烈な最後のエピソードが先走ってしまうけど、病んだ人が病んだ絵描いてるかっていうと違うし。 きれいな色で田園風景とか描いてて。 でも何か異様なパワーがみなぎってる… やっぱ…
あ「自画像40回も描いてんだって。オレ教だ」 じ「友達いないから自分描いたんじゃん?」
感性磨きに来たのでは?ごめん。あんまワカンナイ。絵がどうのトカ。
でもなんか、勢いがスゴい。 「糸杉…」じゃなくて 「いぃーとぉーすぅぅーぎいぃぃっ!!!」 晩年の絵とかキャンバスに絵の具チューブをゴリゴリ押し付けてて。 「この広場マジ良くない?陽射しとかやべーよ!ああ神だ!神はいる!俺もう明日死んでもいいかも!やっべー!!」 て興奮してるんだろうな。 そりゃイメージ通り描けないと絵の具飲んじゃうか…。 電撃ネットワーク…。 意外だったのが、「人々の癒しとか慰めになるような絵を描きたい」と言ってた事で。 もっと自分にしか興味ない人なのかと思っていたもんで。 人の役に立とうとか考える人だったんだなぁと思いましたよ。 オイオイ、一番精神的にヤバイのあなたですよ?って感じだけども。
「勝ち組・負け組」という言葉を聞くたびに、いつも 「ゴッホはどっちだろう」と思う。 世界じゅうの人が自分の名前を知ってて、絵をベタ褒めしてて、でもそれは本人死んでからの事。 ゴッホの時代に勝ち組負け組って考え方があったとしても、誰も勝ち組とは言わないし。 でも自分の好きな事して生きるのは幸せな事じゃないの? 幸せな人を勝ち組って言うんじゃないの? と、だんだんわからなくなってしまうのね。 お金を基準に勝ち組負け組とか、 恋愛を基準に勝ち組負け組とかならまだわかりやすいけど 恋愛勝ち組ってのはチヤホヤされる事なの? すごい好きな人がいて、片想いだけど夢中になってる人は負けなの? 大勢の人が「勝ち組さん」というボンヤリとした架空の人物像を羨んで目指しているのだとしたら、 すごい危険な事だと思う。 そりゃあ鬱にもなるよ。 お金とか地位とか恋人の職業とか目に見えるステイタスは きっと目に見えない色々なものの後についてくる物だから 見えるステイタスだけで優劣つけると矛盾が生じると思う。
ゴッホ展の後、渋谷に移動して中島らも展へ。
続きはまたまた…(苦笑)
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