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2004/01/18(日)
弔う、ということ。
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今日は同居していたおばあちゃんの一周忌。
親戚は相変わらず苦手。親戚とは冠婚葬祭で会う程度だけど、そもそも、親族はその人に対して、個人的な親愛の情を持っているのかな。ウチだけの話でなく、一般的に見て。
一周忌だろうが、結婚式だろうが、そういった一連の避けて通れない行事はカタチばかりというか、義務感と固定観念によって毎回こなしているにすぎないような気がするよ。
みんなで坊さんのお経ねむねむで聴いて、ごはんを食べて、どーでもいい世間話して、こんなのが本当に「弔う」という行為? その人を、たまに思い出して、忘れないでいてあげるのが残された私達の「弔い」だと思った…ってか、私は、そうされたいです。
…朝までサイト作ってて寝不足で、いつにも増して、無愛想×不機嫌×偏屈物で親族困っただろうな…あはは。
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