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2012/01/01(日)
仕事始め
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ことしの絵日記は「オーディオ・アミーゴ」誌のご好意により、相島技研についての記事の中から抜粋して転載させていただくことにしました. (その一) ――相島さんは、ソニーにいらしたということをお伺いしていますが、そこではどんなお仕事をなさっていたのですか?
最初は誰もがそうなんでしょうけれど、ソニーには何にもわからずに入りました。学校を卒業した昭和39年の話です。その頃トラジスタがいろいろ使われ始めた時期で、回路などを職場の人に教わってやっていました。入社して着いた部署は、テープレコーダーを作っているところで、そこには数年いました。
――ソニーといえば、もともとテープレコーダーの企業ですね。ソニーのその頃のオーディオとなると、まずテープデッキが思い浮かびます。そのときにはコンシューマー用はあったのですか。
コンシューマー用もありました。当時は、もちろん真空管でしたが。 私が所属していたところのテープレコーダーは業務用でした。それで私の周囲には、放送局や映画館、ホールなどに納める製品がたくさんありました。ソニーはいまとちがって、業務用中心の企業でしたね。 話は変わりますが、ご存知のティアックも当時は業務用のテープレコーダーを中心に扱っていました。ソニーと同じようなことをやっていたのです。このティアックにOEMとして製造してもらって、ソニーが販売するというようなこともありました。当時の私の仕事といえば、放送局の人が移動しながら録音できるデンスケを調整したり、修理したりすることでした。 入社2、3年後に、職場を変わらないかという話が、私のところに舞い込みました。トリニトロンのカラーテレビを開発し、売り出し始めたときで、テレビ部門に変わらないかと。しかし、私はテレビが嫌いだ、やるならオーディオだと言いました。小さいときから、私はラジオを作ったりしていました。高校から大学にかけては、真空管アンプを組立てて音楽を聴いたり、とにかくオーディオがとても好きでした。それでソニーに入ったということもあります。
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