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2006/06/15(木)
角田市笠松地内
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今週、草刈りに付いてまわっていた角田の現場、山深い田舎なのだが、なかなか興味深い所だった。
去年の秋だったか、集会場の駐車場の舗装で行った現場、近くに見事な銀杏とたくさんの碑がたてられた丘があった。今回、その前も通って詳しく見ることができた。
「長坂」という地名の通り、この辺りはずっと坂が続く。その中腹にある丘。これは恐らく、古墳だと思う。そこに社があって、『二十三夜慰霊碑』というものがあった。
『二十三夜塔』というのは、日本各地にある。二十三夜の「月待ち」にまつわる塔である。二十三夜の「月待ち」という行事は、二十三夜の月の出を待ち拝むために、祭神の前で勤行をし飲食を共 にするものである。二十三夜講・三夜待などとも言う。主に女性が参加する。月の出を見ると願いが叶うらしい。
で、その二十三夜塔がなぜ慰霊碑なのか。これは謎である。
その「長坂」を登っていくと、「権現堂山」がある。ここは頂上に権現堂があって、由来は奥州藤原氏の、鎌倉軍に対抗するために築いた陣のうちの一つだそうだ。鎌倉と戦った奥州の藤原軍の防衛ラインを伊達郡と刈田郡(宮城県白石市)の境だったそうで、この陣地はそれより少し東に位置する。現在は熊野神社が祭られている。
その付近は地名を「立石」という。地図で見た時は平凡な地名だと思ったが、現地に行くと本当に巨石が立っていて驚いた。
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