ロバの耳
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2005/05/20(金) 雑誌・『歴史群像六月号』学研
 東京から帰ってきた頃には送られてきていたのですけど、いつもゆっくりゆっくり読んでいるので紹介記事が遅れました。

 今回の号もいろいろと面白い記事が載っているのですが、巻頭を飾るのはなんとドイツのトンデモ飛行機。恐らくちょっと戦争ものにはまったことのある男の子なら、一度は「まじかよ」と思ったことのあるだろう、超未来的なフォルムの実験機特集なのです。

 最初に紹介されているのはフォッケウルフのトリューブフリューゲル。これは胴体中央部の回転翼がその先端についたラムジェットエンジンで回転して垂直離陸を可能にするというのもの。エンジンの起動にはロケットを使用し、最大速度はマッハ0.9に達する予定でした。しかし、設計を終えた段階で実験は中止。構造的に水平飛行は不可能と思われるシロモノです。

 他にもブーメランのような無尾翼機、ゴータGO229、偵察機として開発されながら機体性能の良さで爆撃機となり、世界初のジェット爆撃機の栄誉を担ったアラドAr234ブリッツ。デルタ翼にジェットエンジンのみの胴体、コクピットなどは全て垂直尾翼内に納められているというリピッシュP.13aなどなど、その奇抜さは挙げていけばきりがありません。

 そしてこれらはそのフォルムに負けぬほどの奇矯な開発事情、発注者である空軍の無定見ぶり、技術者のエゴ、そしてヒトラーの気まぐれがからみあうという、あたかもスラップスティク・コメディーの様相をていした大混乱による産物だったようです。

 その他の記事は空母好きの私にはたまらない「瑞鶴」の特集、F14とF15の戦闘機比較、毛利家と大友家の北九州争奪戦など、歴史好き、ミリタリー好きにはほどよい内容となっております。

2005/05/19(木) 私事・壊れた椅子
 何も紹介するようなことがないので、本当に些末な私事を書きます。

 今日、庭で炭火で鮎と虹鱒を焼いて食べていたら、腰掛けていた椅子が突然バラバラに壊れました。斜めに崩れるように、まるでコントのワンシーンのように。私は崩れた方向にスローモーションで転がって、ジーパンのお尻の部分の布がL字型にびりりと破けました。

 この椅子、もともとはミシンの椅子です。それも私が生まれる前に母が買った足踏み式ミシンについていた椅子でした。既に四十年近く前の物と思われます。ですからまさに私はこの椅子と共に人生を過ごしてきたと言っても……いや、それはかなり過言ですね。でも、子供の頃からこの椅子でいろいろ遊んできたりした思い出があるわけです。

 この椅子は背もたれのない木製の椅子なのですが、横にぽっちがついています。それを押すと座る部分がぱかっと開いて、中に──まぁ、恐らく糸や針の類なのでしょうが──物がしまえるようになっています。それは持ち主である母も知らない秘密で、私はよくそこに物を隠したりしたのでした。

 本体である足踏み式ミシンは既にあるはずもなく、最近は主に台所で母が手の届かない棚から物を下ろしたりするのに台座として使われていました。母が使用している時に壊れなかったのが不幸中の幸いであったというべきでしょうか。壊れてからわかったのですが、その椅子は木の板をボンドで張り合わせただけの、釘一本使われていない物でした。逆に良く今までもったものです。

 椅子はあわや木屑となって捨てられる運命かと思いましたが、どうせ母の台座は必要なのだからという私の一言で、父により強固な修繕を施されて(ねじ釘や補強板を使用して)復活しました。あとお尻の破れたジーパンは、電子ミシンを使用する母の手によって繕われました。

 ちなみに私は倒れても焼いた鮎を投げたり放したりはしませんでした。その鮎は私によって美味しくいただかれました。

2005/05/18(水) ミステリ・『わが職業は死』P.D.ジェイムズ/青木久恵訳
 久しぶりに大好きなP.D.ジェイムズが読めました。
 一年くらい前からまだ未読の彼女の作品が読みたくて、最新作だと思っていた『原罪』が書かれたのがもう十年前ですから、いくらなんでも一冊くらい新作が出てるのではないかとAmazonで検索していたりしたのですが、ヒットしなかったのですね。
 それで最近は翻訳がされていないのかと思ってじりじりしていたりもしたのですが、先日の東京行のおり、新宿の紀伊国屋のミステリ・コーナーを覗いてびっくりしました。未読のP.D.ジェイズが新作を含めて数冊出ているんです。我を忘れて買いそろえようとして、危うく思いとどまりました。今・先月とまったく収入の望めない状態なものですから、一冊千円以上もする本を四、五冊一気に買うわけにはいかないのです。私は泣く泣く引っ張りだした新作を棚に戻し、旧作ですが最近翻訳されたばかりの文庫一冊だけを手にしてレジに向かったのでした。それが本書です。

「犯罪の科学捜査を行うホガッツ研究所で深夜、所長代理のロリマーが殺された。現場は現状に戸締まりされており、外部から侵入した形跡は見あたらない。冷徹で高慢な被害者は所内の嫌われ者で、誰からも反感を買っていた。多すぎる動機、密室の謎……ダルグリッシュ警視長は周到な尋問と鋭い推理で、犯罪捜査のエキスパートたちの間に生じた殺人事件の複雑な糸を解きほぐしていく。現代ミステリ界の女王が放つ本格傑作」
(文庫本カバー裏表紙より)

 とにかくP.D.ジェイムズの作品というのは読んでいて面白いのです。別に密室の謎がどうとか、犯人の意外性がどうとかいう問題ではなく、その文章が面白くてたまらない。文章もそうですが人間描写などですね。特に詩人でもあるダルグリッシュは本当にカッコイイ。私にとっては理想的な性格を持った人間、とっても魅力的な人間なのです。ですから読みながらいつも感じることは、結末を知りたいという欲求と、この小説が永遠に終わらずに続いて欲しいという矛盾です。

 彼女の文章はとても丁寧で淡々としていて、例えて言うなら落語の古典の名人が、笑いのとれるところだけを誇張したりせず細部もじっくり演ってかつ聴衆の気をさそらさせないという名人芸のようなものですが、冷めた視線で見ると、それでも省略のためのご都合性というものは存在します。
 章の転換部分で誰かが何かを終えた時、都合良く次の章へのとっかかりが起きるとか、突然の電話がかかってきてタイミングよく新たな情報がもたらされるとか。小説を書いていたりすると、作者の都合で都合の良い展開というか、回りくどく語られるのが嫌な読み手のための展開でもあるのですが、そのために現実的ではない展開で書くべきか、もちろん、そうであることを読者に意識させない手腕が必要なのですが、うまくそれが出来ているのか、これでいいのかどうかと悩むことがあります。あまりにも現実に即していない展開ですと、その話が嘘の物語であることを読者に意識させてしまう。もちろん、読者も初めから嘘の物語であることは百も承知なのでしょうが、そこを旨く騙して欲しいという欲求もあると思うのですね。
 いや、それが本書の面白さを損なっているとか、そういう話ではなく、P.D.ジェイムズでもそのようないわゆる物語をだれさせないための、展開優先の省略法を用いているのだなぁと思うと、なんとなくホッとするというか、創作の上での参考になるというか。ちょっとそんなことを思いました。

 本書は本国ではすでに1977年に出版されて、ハヤカワ・ミステリでは81年に刊行されていたのですね。三十年近くも前の作品が自分の中では最も素晴らしい文章のように感じられてしまうのはあまり良いことではないのかもしれません。先端の流行に鈍感であるということなのでしょうから。でも、性分なので仕方ありません。

 今回の東京行でまだ数冊未読のジェイムズがあると知り、今後しばらくの楽しみがまた出来ました。次は数年前に文庫で出ていてなぜか見逃していた『ある殺意』辺りを入手したいと思っています。(今ちょっと検索したら、『ある殺意』は古本価格で100円! 送料の方が何倍も高い……)

2005/05/17(火) 落語・『湯屋番』五代目柳家小さん
 昨日、今日と二回に分けての放送でした。昭和三十年代のレコード音源。小さんの『湯屋番』、映像は残っていないようでDVDには収録されていないようです。

「棟梁の家に居候をしている若旦那。湯屋へ奉公することになり、棟梁の手紙を持って行きます。番台に上げてもらうとそこでいろいろと妄想を。ここへ入浴にくる乙な年増にほれられて、女の家へ遊びに行って、酒をごちそうになっていると夕立で落雷が落ちて、目をまわした女を介抱して・・・。ひとりで照れるやら、番台から落ちるやら大騒ぎ。そのうちに、履物が無いと言い出す客が」

 朝日さわやか寄席でたい平のを、先日の浅草で小三治のを聴いたばかり。かなり古い噺で、長い年月をかけてじっくりと練り上げられてきた噺だそうです。それを仕上げたのは先代の4代目小さんなのだそうですが。ちなみに昔から湯屋の名前を、三遊派は桜湯、柳派は奴湯とするようですが、これはかつて二派が別れて争っていた時代に互いのスポンサーになってくれていた湯屋の名前にしたのだそうです。

 この音源、「湯屋番」を最初から最後まできっちりやっているのはいいのですが、悲しいかなスタジオ録音。ライブ音源ではないんですね。ですから模範演技というか、教科書というか。やはり落語はライブかライブ音源です。

 最後のオチの部分、あまり面白くもないのですが、意外と小さんがひっぱっていたのに驚きました。「履き物が無いぞ」と苦情を言う客と、番台の若旦那がオチに行くまで意外とあれこれやりとりをするんです。こういう、変に細かいところをじっくりやると、なんだか聴き慣れた噺に新たな発見があるみたいで嬉しいんですよね。きっと先日の小三治も、時間さえあればオチまでやって、じっくりと聴かせてくれたのでしょうが。

2005/05/16(月) DVD・『悪霊島』監督/篠田正浩
 久しぶりに見たくなったので見てしまいました。
 去年の4月に買ったんです。サウンド・リニューアルエディション。好きな映画でしたので。
 版権の関係でビートルズの「LET IT BE」「GET BACK」が別音源に差し替えられています。この映画のCMで流れていたのが初めて聴いた「LET IT BE」でした。映像の雰囲気から恐い曲だというイメージを持ってしまったものです。この映画にはやっぱりオリジナル曲のじゃないと……という人も少なからずいるとは思うのですが、私は許容範囲です。最初と最後に流れるだけですしね。

 「「あの島には悪霊がとりついている。悪霊が。鵺の泣(ママ)く夜には気をつけろ……」男が謎めいた言葉を残して逝った。そして恐怖の惨劇の幕があいた……。
 アメリカ帰りの億万長者から、尋ね人の依頼を受けて、岡山を訪れた金田一耕助、旧知の磯川警部と出会い、目的の人物らしい男が怪死したことを知る。真相を究明すべく、謎を秘めた刑部島に渡る金田一。そこで出会ったのは、神々しいばかりに美しい女性、巴御寮人。そして蝶のように美しさを競う姉妹、真帆に片帆だった。その金田一の前で繰り広げられる第二、第三の惨劇……」
(DVDの箱書きより)

 金田一耕助映画といえば市川昆ということになり、金田一役者といえば石坂浩二ということになるのでしょうが、私はこの「悪霊島」が一番好きで、金田一といえば鹿賀丈史です。鹿賀さんはこの一本でしか金田一をやっていないんですけれどね。ご本人も言ってますが、金田一というのは探偵なんですが、傍観者なんです。ストーリー上でも主人公ではなく、第三者。だから殺人もくい止められない。次々と起きる惨劇をただ眺めているだけ。そういうポジションを鹿賀さんは実に忠実にやっています。だからとても飄々としていてクールなんですね。実は。鹿賀金田一は惨劇に対して怒りもしなければ悲しみもしないんです。感情的にならない。そこがいいんです。

 また、映画としての「悪霊島」は、謎解きや結末はともかくとして展開と映像がとても良いのです。ミステリ好きのカタルシスを満足させてくれる展開なんですね。ちょっと怪奇趣味な謎が次々と提示されて、登場人物たちが意味深な言動をしてくれる。それに金田一が軽く合いの手を入れていく。映像も市川作品と違ってわびさびがあります。市川作品はあれで結構派手なんです。色使いや光の明暗が。レンブラント的なタッチとでもいいましょうか。光と影で対象をくっきりと浮かび上がらせる。そこに血の赤や金色なんかを入れるんですね。篠田監督はそうじゃないんです。設定が1969年なんですが、昔のドラマのような色遣いといいますか、子供の頃に見たような映像の懐かしさがあるんです。さらに血が飛ぶシーンような演出は一つもない。お化け屋敷の恐さでない、情緒面での勝負みたいなことを意識している気がするんですね。まぁ、今見ると、死体のメイクなんかは少しちゃちですけれど。
 役者さんは随分亡くなられた方がいらっしゃいます。これは時間が経てば当然のことなんですが。古尾谷雅人とか、伊丹十三とか……。生きてらっしゃる方もみんな若いですよ。岸本加世子、中尾彬、石橋蓮司、岩下志麻……。中尾さんなんて元金田一役者で、それがこの映画では殺される役なんですから、皮肉なものです。

2005/05/15(日) 落語・『ねずみ』三遊亭小遊三
 NHKでやっている「日本の話芸」、本放送の土曜日には見逃したのですが、友人の脊から小遊三の「ねずみ」だったと聞いて、今朝の再放送を録画して見ました。「ねずみ」はご当地・仙台の話ですし、好きな話ですし、小遊三も好きな噺家の一人です。見られると知っていて見逃すわけにはいきません。

「仙台にやって来た名人・左甚五郎。客引きの子供に手を引かれてねずみ屋という小さな旅籠に泊まります。事情を聞くと、主は元、向かいの大店虎屋の主人。事故で腰が抜けてしまった所に、後添いの裏切りもあって番頭に家を乗っ取られたとのこと。それを聞いた甚五郎、一匹の鼠を彫ってやります。これから動き出すというので大評判、ねずみ屋は虎屋より大きな旅籠になります」

 脊は、「録画してまで見るようなものでもない」と言っていましたが、そんなにひどくもありませんでした。彼にしてみれば小遊三はもっとシモい話の方が面白く演じるということなのかもしれません。

 ところで明日はNHKラジオ第2のラジオ名人寄席の再放送で、小さんの「湯屋番」をやります。先日、小三治の「湯屋番」を聞きましたが、果たして小さんはどうやっているのか。今から楽しみです。

2005/05/14(土) 漫画・『ギャラリーフェイク<32>』細野不二彦
 アニメ化と同時に最終章です。まだまだ続くと思っていたのですが。作者の美術ネタが尽きたのでしょうか。
 アニメはテレビ東京系ですから見られません。見られてもあまり見る気はしませんけど。

 最終章もずっとこだわってきたレオナルド・ダヴィンチの「モナリザ」をめぐる一件。最近、『ダヴィンチ・コード』の影響かテレビでももう一枚の「モナリザ」に関するドキュメンタリーが良く制作されてましたね。
 でも、「モナリザ」ってそんなに名画なんでしょうか? 正直なところ、私は昔っから「モナリザ」にはあまり惹かれてきませんでした。「のっぺりしたちょっと下ぶくれな顔でにやついているおばさん」は私の好みにはあまり合わなかったのです。世間やこの漫画の主人公藤田が夢中になる理由はよくわかりません。「モナリザ」ファンの方、気に障ったらすみません。たぶん、私には「美」がわからないのです。

2005/05/13(金) 本・『昆虫探偵 シロコパk氏の華麗な推理』鳥飼否宇 光文社文庫
 以前、S先生に頂いたミステリ関係のメルマガで紹介されていた一冊です。東京からの帰りの新幹線で読むつもりで買いました。結局、新幹線の中では爆睡してしまい、一ページも読みませんでした。

「ある日目覚めるとゴキブリになっていた元人間のペリプラ葉古。無類のミステリ好きだった葉古は、昆虫界の名探偵、熊ん蜂シロコパKの助手となった。人の論理が通用しない異世界で巻き起こる複雑怪奇な難事件を、クロオオアリの刑事の力も借りて見事に解決していく! 書き下ろし「ジョロウグモの拘」を収録。昆虫と本格ミステリについてのユニークな注釈を新たに付加」

 久しぶりに日本人の書いたミステリを読みました。
 七つの短編は全てこれまでのミステリのパロディとなっています。

「蝶々殺蛾事件」=「蝶々殺人事件」横溝正史
「哲学虫の密室」=「哲学者の密室」笠井潔
「昼のセミ」=「夜の蝉」北村薫
「吸血の池」=「吸血の家」二階堂黎人
「生けるアカハネの死」=「生ける屍の死」山口雅也
「ジョロウグモの拘」=「絡新婦の理」京極夏彦
「ハチの悲劇」=「一の悲劇」法月綸太郎

 上記の元作品のうち、読んだことがあるのは最初の三作。最近、本当に日本のミステリって読めなくなりました。本作品もパロディでコメディなのがどうも鼻についてあまり楽しめませんでした。昆虫世界の殺虫を昆虫世界の論理で語るという発想自体は大変面白いと思いますが。(だから買ったのですし)

2005/05/12(木) 映画・レモニー・スニケットの世にも不幸せな物語 監督/ ブラッド・シルバーリング
 甥が来ているので一緒に観に行こうかと思ったのですが、結局は私一人で行って見てきました。

 ボードレール家の長女・ヴァイオレット、長男・クラウス、末っ子・サニーは賢く幼い三姉弟妹。彼女たちの不幸は全焼の自宅火事で両親を亡くしてしまうことから始った。身寄りのない三人は遠縁の親戚・オラフ伯爵に引き取られる。しかし、伯爵は欲張りな悪人で、三人の巨額な遺産を横取りしようと画策するのだった。次々と襲い掛かる災厄を、三姉弟妹は知恵と勇気ではねのけていくが・・・。果たして、ボードレール三姉弟妹に幸せな日々は訪れるのか?!(Fortetoho7より)

 次々と襲いかかってくる不幸に三人の子供達が知恵と勇気で立ち向かう! そんな歌い文句に惹かれてしまいました。実際は期待していたほどの知恵でもありませんでしたが。

 どちらかといえば、キャラ萌えして見る映画でしょうか。ヴァイオレット役のエミリー・ブラウニングが髪をリボンで結ぶ時の仕草は可愛いとか、ちょっと厚ぼったい唇が素敵とか。クラウス役のリアム・エイケンの知的なカッコよさもいいですし、とにかく三姉兄妹の魅力でひっぱる映画ですね。子供好きな方にはお勧めです。あと付け足しておくと、ジム・キャリーの魅力的な悪役ぶりもいいですね。
 ただ、話の方はイマイチかな・・・。

2005/05/11(水) 植物・浜豌豆
 【浜豌豆】(はまえんどう)
 初夏・植物
 海岸の砂地に自生するマメ科の多年草。
 赤紫色の花を開く。

  浜豌豆砂の器の残り水

 先日の句会で関先生に採っていただいた句。
 自句を載せるなど厚顔無恥な行為ですが、偶然が重なってうまくいったものと思われ、もう二度とこういうことはなかろうと思われるので、やってしまいます。

5月絵日記の続き


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