ロバの耳
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2005/05/02(月) 本・『高野素十句集〈空〉』倉田紘文編ふらんす堂
 関先生のお薦めではなく、初めて自分の好きな俳人の句集を買いました。高野素十です。
 凄い、と思う俳人は今までもたくさんいましたが、個人句集を買ってもいいほど好きになった俳人というのはこれが初めて。あくまで個人的な好みの問題なのですが。

「高野素十は、明治26年山王村(現在の藤代町神住)の農家に生まれました。山王小学校を卒業し、新潟の長岡中学校を経て東大医学部へ。医学博士。東京医学部勤務中に高浜虚子に師事し、俳句を始めました。後に水原秋桜子、山口誓子、阿波野青畝らと共に『ホトトギス』誌上で活躍。いわゆる『ホトトギス』の4Sと呼ばれ、一時代を画しました。医学者としては、新潟医科大学教授として法医学を担当。同学長を経て名誉教授に。後に奈良医科大学教授となりました。昭和51年没」(旧藤代町のHPより)

 専門は法医学。殺人事件の死体の検死などもされたのでしょうか。句集の編者解説によれば、そういう医学という人体を冷静に見つめる世界におられたからこそ、句の世界も実に見たままを写生するという句風であられたのではないかということです。

 私がどうして素十に惹かれたのかと言いますと、最初は南九州旅行のおりに桜島にあった句碑、「初蝶の溶岩につきあたりつきあたり」でした。この句が、ずっと心にひっかかり続けたのです。その旅で出会った他のどの句よりも、いい句だったなぁと。
 そのうち、いろいろな人の作品が混在した句集や、新聞の大岡信「折々のうた」などで紹介されている句のうち、私の心の琴線に触れる句がどれも素十の句であることに気がつきました。

方丈の大庇より春の蝶
ひつぱれる糸まっすぐや甲虫
翅わっててんたう虫の飛びいづる
蟻地獄松風を聞くばかりなり
くもの糸一すぢよぎる百合の前
また一人遠くの蘆を刈はじむ
街路樹の夜も落ち葉をいそぐなり

 それで、これは句集を買ってもいいんじゃないか、と思うに到ったわけです。

 私が素十の句で惹かれるところは、策や機知を弄していないところです。要は、解説などでさんざん言われている「とことん写生に徹する姿勢」ですね。もの凄く単純なのに、でもそこには他の人には真似のできない世界があり、感動がある。
 もちろん、句集をまとめて読むと、イメージと違っていた句も出てきます。ここまで単純でいいのか、という気がする句もあります。でも、高野素十は私が初めて好きなった俳人なのです。

 藤代は合併して取手市となりましたが、関先生のご実家とも近いですね。今度の句会に向かう風景の中、素十の句に想いをはせてみたりもしましょうか。
 
 


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