ロバの耳
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2005/04/03(日) 本・『桐野利秋日記』桐野利秋 編集・訳/栗原智久
 桐野利秋自身が書き残した四つの資料、「京在日記」「会津戦報」「鎮台建言書」「時勢論」の現代語訳が集められた本です。

 編・訳者の栗原智久は江戸東京博物館の司書さん。鹿児島生まれの東京育ちだそうです。

 どうしてこの本を購入したのかといいますと、もちろん先日の鹿児島旅行の影響なのですが、桐野利秋の再評価というか、実像を把握したかったからです。世間に流布している桐野像は、実像とだいぶずれてしまっているらしいのですね。講談じみてしまっている。物語として面白いのは、それはそれでいいと思います。でも、例えば司馬遼太郎のように、あたかも真実を語るかのごとくの文体ですと、どうにも誤解を生みやすい。

 いくつか例をあげますと、桐野は幕末「人斬り半次郎」と呼ばれて、さも人を斬りまくった刺客のような捕らえられ方をされていますが、資料として信用できる事例としては一つしか無いのですね。それも単なる思いつきや突発的な行動ではなく、少なくとも半年間に渡る調査の結果に基づく明確な行動でした。

 また、司馬遼太郎などは「翔ぶがごとく」で、ことあるごとに桐野は学がなく、それが桐野の不幸であったなどと書くのですが、桐野は日記をつけ、自作の歌を詠みこむくらいの教養人ではありました。また子供でもわかるような単純明快な政策論者だったと言いますが、「鎮台建言書」「時勢論」などを見るともっと深い思考をめぐらせる人物だったこともわかります。

 日記は慶応三年(1867)の9月1日から12月10日のもので、京都のその日の天気までわかります。またこの日記の凄いところは、11月17日の項に15日に起きた坂本龍馬暗殺事件に関しても詳しく記述がされていることです。桐野は犯人は壬生浪士、つまり新撰組だと思われると書いています。翌18日には龍馬と中岡の墓参りにも行ったようです。

 ところで19日には、18日に起きた新撰組内で起きた内部分裂で薩摩藩もかかわった伊東甲子太郎暗殺事件についての記述があります。龍馬暗殺とこの事件の日にちがこんなに近いとは、私はまったく意識していませんでした。まさに立て続けに起きた事件だったのですね。

 とにかく、この本を読んでこれまでの自分の中の桐野像はかなり改められました。これから幕末もの、特に桐野に関わる文章を書く人間は、有名作品からの孫引きなどせずに、ぜひともこの資料をふまえて欲しいものですね。


 


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