ロバの耳
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2005/12/03(土) 漫画・「日露戦争物語Q」江川達也 BICCOMICS
 作者・江川達也は繰り返し語ります。現実の戦争と物語の戦争は違うのだと。その認識の違いが、国家を滅亡の道へと進めるのだと。

 本巻の場合は、まず一つは『勇敢なる水兵』を例として挙げています。『勇敢なる水兵』とは「まだ沈まずや定遠は」のフレーズで有名な黄海海戦の様子が唄われた軍歌です。大破して戦線を離脱した「松島」の一水兵が、戦死の間際に副長向山慎吾に「まだ定遠は沈まないか?」と尋ね、「安心しろ、もう戦えなくなった」と聞いて笑顔を見せたという逸話から作られています。

「日清戦争、黄海海戦の様子はこの『勇敢なる水兵』という軍歌によって多くの日本人に歌われ、日本人の記憶に刻み込まれた。しかし、この軍歌はこの海戦の実像を知らせるものではなく、日本人の戦意を昂揚させ、愛国心をかき立てる歌でしかなかった。ここでまた一つ物語が生まれ、日本人の現実を直視する目が失われていくのだった」

「現実を直視し、平時における過去の戦史のたゆまぬ研究による未来の戦術・戦略の独創こそが、軍人にとって、士官にとって、参謀にとって、指揮官にとって、もっとも重要な仕事である。
 かたや物語を創る者は、現実を歪め、気持ちよくなるように脚色を加え、戦争を意図的に美化していく」

「戦場では嘘をついてでもやる気をかき立てねばならない場合がある。その時、士官は兵達に共通の妄想を信じ込ませねばならない。しかし、戦争で現実を歪めて認識した士官に率いられた軍は惨めな敗北が待っているのである」

「この時代、有能な将官とは、現実を確実に把握できる者であり、なおかつ兵卒の心をつかめる者、妄想を操れる者でなくてはならなかった。自らが妄想の虜になってはならないのだ」

「国民国家の原動力、愛国心を高めるため、幾多の戦場の物語が創られていく。しかし、この愛国心がこの50年後、日本という国民国家を滅亡の危機へと追いやるのである」
(本巻より抜粋)

 もう一つの例は、清国の戦艦、「済遠」の艦長、方伯謙の死刑です。方伯謙は清国艦隊を温存することが戦局を有利に進めるという信念の元に艦を撤退させたのですが、清国の総督・丁汝昌に敗戦の責任を負わされ、死刑にされてしまいます。

「その日から、方伯謙は臆病で卑怯な逃げ足の速い清国人としていくつもの物語に語られ、その物語によって艦隊決戦のみが戦いの正道で持久戦争による通商破壊をまったく考えない日本海軍の硬直化した将兵が次々と生まれ、50年後に日本という国家を滅亡の淵に追いやる無能な海軍を創ってしまったのである」

「しかも100年以上後の現在も、方伯謙が有能な艦長であったという説を唱える者は皆無である。自らが優れているという過信が心地良い物語を生み、それが他者への侮蔑となり、その慢心が自らの知力を低下させ、ますます現実を洞察する眼を曇らせ、後々自らを滅ぼす。古今東西数多の国の歴史によく見られる例が、大日本帝国にも見られるのである」

 これは戦争に限ったことではないように思えます。人は自分に都合の良い現実にしか見ません。また、そういう解釈を好んでします。しかし、逆にそれゆえ厳しい現実を生きていられるのだという気もしますが。

 この「日露戦争物語」も、主人公・真之が海軍に入るまで、いや、日清戦争が始まるまでは、読者を気持ち良く読ませる物語という体裁を取っていました。しかし、戦争描写に入った途端、現実と虚構を混同するその危険性を訴え始めます。
 作者的にはつまりそれがバランスが取るということだ、という自負があるのでしょうか。


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