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2004/09/14(火)
落語・朗読・映画
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昨日、今日のラジオ名人寄席は春風亭柳朝の『品川心中』でした。まくらに二十分近くもかけていまして、それがまた面白かったです。仲良しのむらく、志ん朝、伯楽とパリで落語の会をやったときのこと。夜、クラブで飲むという話になっていたのが、その話がキャンセルになり、「今日のクラブはキャンセルだって」とみなに伝えたところ、むらくだけが夜の街に出かけたっきり帰ってこなかった。深夜、ずぶぬれになって帰ってきたむらくに事情を聞いたところ、必死に「キャンセル」という名前のクラブを探し歩いていたそうで。
今日から「今日も元気でわくわくラジオ」の一コーナー「私の本棚」の本が変わりました。絵本作家の佐野洋子著『神も仏もありませぬ』を藤田弓子さんが朗読しています。第三回小林秀雄賞を取ったエッセイのようですね。老いやボケのことをユーモアと皮肉を交えて語っています。 作者はこのエッセイの中で63才なのですが、自分が63であることにいまさらのように驚くと語っています。というか、自分もそうなんですよ。来月35になるのですが、はっきり言って信じられません。自分の中で持っている35才像と、今の自分とに大変なギャップがあるんです。中味はぜんぜん変わってない、大人にもなってないし、まだ人生のスタートラインみたいものにも立った気になっていないのに。 余談ですが、今読んでいる『ローマ人の物語』で、カエサルが30過ぎてもグズグズと特に何もせずに時を過ごしていたというのを知って──いえ、決して自分はカエサルほどの大人物だなどという大それた考えは持ってませんが──ちょっぴり親近感を抱いたりしてます。 それからボケの問題ですね。作者は八十八のボケしてまった自分の母親をひきあいにだしながら、「ボケた人は幸せである」と言う人がいるが、それはウソだ、と言っています。作者の母親は自分の年を四才だと言う。自分の子を忘れ、自分の年を忘れ、置かれている環境を忘れ……ただ、自分自身の実存という不安と恐怖にかられている彼女はまさに幼児と同じだと。幼児ならまだ二十四時間抱きしめていてあげられもいられるが、老いた母にそれは不可能だと。 いずれくる現実なのですよね。老いもボケも死も。重くて、どうしても目をそむけたくなることです。今から考えておくべきなのか、それともどうせ来るものならその時まで知らないふりをしておくべきなのか。難しい問題です。 彼女の作品、私は『百万回生きた猫』しか読んだことがありません。妹がもっていたのです。この本には泣きました。
で、現実逃避するために映画を見に行きました。『バイオハザードU』。これが面白かった。期待通りの面白さでした。期待以上ではないので念のため。原作ゲームのファンならまず見に行って間違いなしです。私はそれほど熱中的なファンでもないのですが。 なんと言ってもミラ・ジョヴォヴィッチが格好良く撮れてます。先日見た『LOVERS』のチャン・ツィイーより三十倍くらい。(当人比)アクション・シーンは、はっきり言ってどういう動きをしているのか良くわかりません。スピード感とごまかしぎりぎりの線じゃないでしょうか。でも、そこのところを丁寧に撮っている『LOVERS』より良いのです。格闘やアクションの実際の動きを丁寧に撮るというのは、演者の所作がもろに出ます。実際の人間の動きを生で見るのではなく、間接的なもので見る映画は結局は撮り方だとは思うんですね。もろに見せられるとそのままですが、省略を利かせるとイマジネーションがはいりこむ余地がある。ただし、『バイオハザード』の撮り方がベストだとは思ってません。どういう動きをしているのかわからないというのは、私としては欲求不満でしたから。ノリで見るものなのかもしれません。 ラストでは次回への伏線?みたいなものもたっぷり張ってあって、この巨大な物に対する手の届かなさというか、本当の決着がつけられないままっていうのが前回にも続いて良いところですね。無理してさらに続編を作ったり、決着つけたりしなくて良いとすら思います。(まぁ、儲かったら作っちゃうんだろうけど)
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