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2004/08/30(月)
『井戸の茶碗』 春風亭柳朝
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「細川の茶碗屋敷」という講釈が元だと、玉置さんが解説してらっしゃいました。玉置さんは『井戸の茶碗』をやる時は必ず、「登場人物はみな並はずれた無欲という設定でございます」と言います。(放送作家さんがそう書いているのかも知れませんが)その通り、この話のキモは登場人物がみな無欲で、小判やら高価な茶碗やらを相手に押しつけ合うというところにおかしさや痛快さを感じるところです。 以前から思っていたのですが、人情話とか、こういう欲得の無い人たちの話とかを聴いて快感のようなものを覚えるというのは、それだけ人間は情が薄く、貧欲な生き物だからなのではないでしょうか。もし人がみな情け深く、欲のない生き物でしたら、「こんな当たり前の話のどこがそんなに面白いんだ?」って思うでしょうからね。悲しいことです。まぁ、そんなのはつまらない考えなんですけれど。 春風亭柳朝は恐らく五代目かと思われます。若くして亡くなられた方らしいのですが、残念なことに私は詳しく知りません。小朝の師匠で、故・志ん朝とよく二人会をされていたそうなんですけれど。今日は前半で、明日は後半をやります。昭和53年3月5日、池袋演芸場での録音だそうです。
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