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2004/08/20(金)
『ハリーポッターと炎のゴブレット』J.K.ローリング著/松岡祐子訳 青山社
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邦訳出版から1年余りも過ぎて、ようやく読むことができました。どうしてこんなに時間が空いたかというと、理由は簡単です。ハードカバーを2冊も買う金銭的余裕がなかったのです! 今回は、いまさらながらにハリー・ポッターにはまった妹が、「『炎のゴブレット』も持っている」というのを聞いて、貸してもらったのでした。 実は経費節約のために訳本が出るずいぶん前に英語版を買っていたのですが、訳しながら読むのは途中で挫折してました。(これこそ真の無駄遣いというもの)まぁ、それでも自分の和訳がどの程度当たっているのか読み比べるという、今までにない楽しみもありましたが。中学教師をしている妹の同僚の方にも、先が気になって原本を買ってらっしゃる方がいるそうなのですが、その人は原文をいちいち英文和訳ソフトに打ちこんで読んでいるそうです。 読んでみた感想ですが、話の展開がずいぶん重くなってきたな、と思いました。ポッターの成長とともに、作品世界も大人の色合いを帯びてきたということでしょうか。ふと、マンガ『巨人の星』を思い出しました。あの作品はだいぶ「暑苦しい」というイメージを持っている方もいると思うのですが、実際に読んでみると初期の頃、特に主人公・星飛雄馬の少年時代などはとてもほのぼのとした軽い雰囲気がありました。それが飛雄馬の成長とともに宿命とか悩み、葛藤などを背負い始め、絵柄とともに重苦しい世界へと変わっていったのです。 英国の児童文学は、子供向けとはいえけっして「子供騙し」はしない、だから大人ですら読むに耐える作品が多いという話を聞きます。しかし、四作目の本書が子供がワクワクと楽しんで読める作品となっているかどうか。もちろん、展開としては読者のワクワク感をひきだすような筋立てになっているのですが、最後でその全てをひっくり返してしまっている。これは、例えばユング学者の河合隼雄先生などに言わせれば、「絶対的価値観の逆転」または「喪失」を見事に表現している、というような褒め言葉を使われるのかもしれませんが、私としては結末でそれまでの展開の全てが無意味と化すというのは、ちょっとどうなんだろう気もします。どうもクライマックスからラストまでの展開と、それまでの展開とにギャップを感じる。 そして、これは第三弾を読んだときにも感じたのですが、作者が話を少し作りこみすぎている気がします。あちこちに作者の意図というか、作為を感じてしまう。だからというわけでもないのでしょうが、なんとなく無駄が多い気がしました。もちろん、ハリーを初めとする登場人物たちにいれこんでいる人たちにとっては、その無駄こそが楽しめる部分、ということになるのでしょうが。 実は、あまり一気に読み通さず、切れ切れに読んでいった方が楽しめる作品なのかもしれません。
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