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2004/11/03(水)
危ないです
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一昨日の火曜日、NHKラジオでやっている『気になる言葉』で「形容詞」+ですの問題を扱っていました。
駅のホームに立っていて、電車が入ってくるとき、「危ないですので白線の後ろ側までお下がりください」というアナウンスがありますよね。 『気になる言葉』を聴いている人たちの中で、このアナウンスが気になるという人がいるんです。問題の箇所は、「危ないですので」。 コーナーの担当者、アナウンサーの梅津正樹氏によると、この言い方は戦前までは間違った言葉使いとされていたというのです。つまり、「です」は「だ」の軽い丁寧な言い換えで、「だ・です」は体言につく言葉だから「危ないです」「美しいです」「美味しいです」「ありがたいです」等は全て本来的には間違った用法であるというのでした。 (どれもに標準語としては「だ」に置き換えられませんよね)
しかしです。仮に危ないを名詞(体言)化して「危険」としても 「危険ですので」が「危険だので」とはなりませんよね。この場合は助詞である「ので」を「から」に変えるか、「危険」という名詞を「危険な」というな形容動詞に変え、「だ」を省略しなければなりません。 とすると、「危ないですので」の雑な言い方は「危ないので」と「だ」を省略化すればよい、逆に言えば元から「だ」の言い換えであることに固執せず、「です」は単に軽い丁寧な言い方をするときに使用される助詞と考えれば良いことにはならないでしょうか。
というか、むしろこのようなことを考えるつれ、果たして言葉に正解・不正解があるんだろうか?という想いが強くなります。
以前から何回か、この『気になる言葉』のコーナーには「ある言葉を正しい、間違っている」「美しい、美しくない」と決めつけるのはどうか、という投書を送っています。 言葉に対して興味を持って面白がるのは好きなのですが、正誤や美醜に目くじらたてるのはどうでしょう。個人の価値観に過ぎないのですから、自分は自分の信念、価値観に基づいた言葉を使えばそれで良いと思うのですが。英語圏の人に「日本語の方が美しいから日本語使え!」なんて強制するのは、ブラック・ジョークの世界だけのことでしょう?
10月31日の朝日新聞の朝刊の四コマ漫画『ののちゃん』には、日頃から今の「日本語」に対して叫ばれているある認識に対する私の想いが端的に語られていて、とても嬉しかったです。
(ひとみ先生が黒板に「美しい日本語・正しい日本語」と書いて) ひとみ「うさんくさいですね。神さまや仏さまじゃあるまいし いったいどうやって『美しい』や『正しい』をたしかめるのでしょう」
ひとみ「わたしたちは言語を操っているのではなく、 言語の世界の住人にすぎません。 だから死語や新語をだれも止められないのです。」
ひとみ「コトバによって得られたおたがいの信頼が美しかったり 正しかったりすんですね……って月曜の授業なんだ」
ひとみ「ちょっとウザイかなぁ」 ハルコ「ヤバイくらいがオマエらしいよ」
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