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2004/10/17(日) ローマ人の物語『ユリウス・カエサル ルビコン以後(上)』塩野七生 新潮文庫
 「元老院最終勧告」を無視してルビコンを渡り、反逆者となったカエサル。いよいよ「内乱記」に記述された事態の始まりです。
 その電撃的な侵攻の前にポンペイウスを初めとする元老院派は首都ローマを捨て、イタリアを脱出、ギリシアへ向かいます。
 ポンペイウスを逃してしまったことで、長期戦を余儀なくされたカエサル。しかも、ポンペイウスの地盤である地中海沿岸世界は食物も豊富。
 物量的に見れば圧倒的に不利なカエサルですが、首都ローマにおける政治的な効力は存分に発揮し、独裁官から執政官へと就任。賊軍から正規軍への転身を成し遂げます。
 そしてスペイン戦役で西の不安を取り除き、いよいよポンペイウスの本拠であるギリシア攻め。ところがそこで二つの不幸が彼を襲います。二人の部下の率いていた軍がそれぞれ全滅させられてしまうのです。
 兵糧、軍勢、さらには海を渡るための船の数など、遙かにポンペイウス軍を下回る圧倒的に不利な状況で、カエサルはギリシアへとポンペイウスを撃って出ます。ところがまさに窮地の連続。カエサルは起死回生のため、会戦にポンペイウスを誘いますが、持久戦で相手の消耗を狙うポンペイウスはその挑発にのりません。
 しかし、ついにはカエサルの罠にはまり、ファルサルスの平原にひっぱり出されるポンペイウス。
 ポンペイウス軍「歩兵四万七千、騎兵七千」対カエサル軍「歩兵二万二千、騎兵一千」。ついに「内乱記」最大のクライマックス、ファルサルスの会戦の火ぶたが切って落とされるのです。

 寡兵が大兵を討った有名な戦いは、このファルサルスの会戦までに三つ行われていました。

 一つ目はアレクサンダー大王が三万一千の歩兵、七千の騎兵でペルシア軍十五万を破ったイッソスの会戦。
 二つ目はハンニバルが歩兵四万、騎兵一万で、ローマ軍歩兵八万、騎兵七千二百を破ったカンネの会戦。
 三つ目がローマ軍・スキピオが歩兵三万四千、騎兵六千で、歩兵四万六千、騎兵四千、戦象八十頭のハンニバル軍を破ったザマの会戦。

 この三つの戦いに共通しているのは、勝者側は総兵数では劣るものの、騎兵数では勝っているという点です。
 実はこれが近現代戦にまで通じる、アレクサンダー大王が創始した、機動力部隊による包囲殲滅戦術なのでした。
 下の略図を参考にして欲しいのですが、機動力はないものの防御力に優れた重装歩兵たちが前面の敵を支えている間に、機動力のある騎兵が敵の背後に回り、最終的には周囲から包み込むようにして敵を殲滅しているのがわかると思います。これを行うと、敵には甚大な被害が出て、味方はほとんど無傷という結果が出るのです。時代が下って日露戦争や第一次大戦のころなどは、互いに相手の側面から回りこもうとして、戦線が横へ横へと伸びていくという現象が見られるようになるほどです。
 ところが。カエサルが戦うことになったファルサルスの会戦では、騎兵の数はポンペイウス軍が遙かに上(7対1)。しかも、ポンペイウスは当然上記三つの戦いを熟知しています。さらにはガリア戦役時代のカエサルの副将で、彼の戦術を熟知しているラピエヌスがポンペイウス軍騎兵部隊を率いているのです。
 この必敗の条件下、はたしてカエサルはいかなる戦術を編み出し、自軍を勝利へと導くのでしょうか?
 ……それは未読の方のために、あえて伏せたいと思います。
 


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