|
2004/03/02(火)
月見草は帰化植物
|
|
|
(前日に引き続き) ◆本来のツキミソウは、メキシコ原産の二年草で花は白く、夜開性の外来種(雑草)であるが、江戸時代末期頃に我国に渡来したようだ(下図写真参照)。だが、この白花のツキミソウは、我国の気候風土に馴染まず、現在では野生種はほぼ全滅したといわれている。(園芸種が残るだけ)
◆その後明治初期に渡来した北米原産のオオマツヨイグサ(淡黄色、Evenig Primrose)が我国に帰化して野生化し、雑草として全国的に分布を広めたが、これも現在では山野の市街化の影響でか、その勢力を弱めて余り見かけなくなってきているそうである。
◆識者の研究でも、太宰治の「富嶽百景」でいう月見草とは、当時山野に広く分布していたこの野生化した雑草としてのオオマツヨイグサ(淡黄色花)のことであるのは間違いはないようである。(オオマツヨイグサ=月見草は、当時から一般的に市井に定着していた誤称)
◆しかし当時の太宰は、この「月見草」という如何にも画趣豊かで雅な和名を持つオオマツヨイグサが、北米原産の帰化植物の雑草であるとは知らなかったのではあるまいか。なぜなら、月見草が我国古来の固有種であると誤解していなければ、太古から日本を代表する霊峰富士を賛美する記述の一方の対象物として、我国に帰化して僅々百年弱(昭和14年の著作当時)にもならない新参者で外国種のツキミソウを選択するとは考え難いのである。私自身も、月見草という雅な語感から何となく我国古来の固有種だと誤解していた。
◆我国土誕生以来悠久の存在である富士の姿を、風呂屋(銭湯)の俗悪なペンキ画としてではなく、さりげなく『富士には、月見草がよく似合ふ。』と描写するには、やはりこのツキミソウは、我国に昔から存在する固有種の月見草でないと落ち着きが悪く、甚だ具合がよくないのではあるまいか。もし、太宰が月見草が我国の固有種ではなく、僅か数十年前の近年に外国から到来した新参の帰化植物であると知っていれば、果たして富嶽に対比する植物として月見草を選んだであろうか。知って敢えて「月見草」を選択したのであれば、この作品「富嶽百景」に関する識者の解釈や一般読者の読後感等も多少替わってくるのものがあるのではないだろうか。…と、愚にも付かないことを考えて暇をつぶして楽しんでいる。(^^)
◆《またもや蛇足》そうそう、この作品中の太宰は10月上旬の御坂峠の茶店で月見草の種を自ら蒔き、「いいかい、これは僕の月見草だからね、来年また来て見るのだからね、…」と話しているのだから、秋蒔きの月見草(オオマツヨイグサ、二年草)の花が咲くのは来年ではなく、二年後の再来年の夏になるということをうっかりしていたようだ。別に作家は植物専門家である必要はないので、些事に拘泥することもない。しかしそれでも、開花期が夏季の月見草の種を自ら採取して秋に栽培しながら、同時期に月見草の花を見たという作品構成に関する疑問(矛盾)は根強く残るのである。(???…(^^))
|
|
|
|