☆QSANの備忘録兼用の不定期の雑記帳です☆
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2004/03/01(月) 富士と月見草
◆『富士には、月見草がよく似合ふ。』とは、太宰治の佳品「富嶽百景」の中の有名な一節である。その月見草とはどんな草花なのか、私は無粋にして判然とは知らなかったのである。月見草というからには、何となく夕暮れの暮明時に可憐に咲く黄色い月色系の小さい野草を何となく想像する。月見草とは宵待草のことか?いずれにせよ私は知らない。(無知を威張ってどうする?!)

◆気にしだすと、今は故人となった某漫才師の「地下鉄漫談」ではないが、気に掛かって"夜も眠れない"のである。仕方がない、気が済むように一つ出来る範囲で調べてみることにした。

◆インターネットを利用して各種事典や植物図鑑等で調べたところでは、どうもこの一般的に民間で月見草と呼ばれているのは、大待宵草(和名オオマツヨイグサ、下図写真参照))の誤称であり、かつ、その花期は夏の7月から9月頃に掛けての夏の花であることが判明した。となると、ここでまたもや疑問が生じてきた。

◆小説の舞台になっている「御坂峠、海抜千三百米。」は、山梨県河口湖町近くの国道137号線沿いの山道にある。今は、その後に開通した御坂トンネルが御坂町へ直接抜けているので、迂回路の険しい山道に入らなければ、直接この御坂峠には至らないようだ。

◆太宰は、御坂山(標高1596m)周辺の紅葉風景も終わり、富士山も冠雪してもう辺りは冬支度を整えた10月上旬の時期(山では晩秋に近い)に、河口湖の郵便局から御坂峠の逗留先へ乗合バスで帰館する途中で、走る車窓の中から月見草を見つけている。同乗していた土地の老婦人の「おや、月見草。」の一言もあるから、よもや見間違いもあるまい。

◆それに太宰自身が普段から月見草を好んでいて、その直前に自分で周辺の山野から採取してきた月見草の種を茶店の背戸に蒔いて、茶店の娘に「いいかい、これは僕の月見草だからね、来年また来て見るのだからね、ここへお洗濯の水なんか捨てちやいけないよ。」と諭しているのだから、別の草花を大好きな月見草と見間違える筈がない。

◆でも平地よりも随分寒冷な峠の10月上旬に、夏の花の月見草が咲いているものだろうか。一輪や二輪の狂い咲き程度なら、有り得ない話ではないと思うが、夕暮れ時に走る車中から偶然発見するには、少なくとも参考写真のようにある程度纏まった群生体でなければ、発見は難しかろうに…。それに、その直前に太宰自身が山野で採取した月見草の種を蒔いているのだから、開花期はとっくに過ぎているではないか。花と実(種)が一緒に生るものか。将に自己矛盾である。はてサテどうしたものか。???…?!

◆文芸作品であるから、何もそう目くじらを立てて詮議立てをするには及ばないのだが、考えれば考えるほど矛盾で混沌とし、ますます目が冴えて「眠れぬ一夜」を明かす仕儀と相成った次第。(お粗末の一席也。)(^^)

◆(蛇足)月見草はまた別名宵待草というようです。しかし同じ草花の呼称でも、文学作品としては『富士には、月見草がよく似合ふ。』のように「月見草」の方が収まりがよく、これを『富士には、宵待草がよく似合ふ。』と表現したのでは、恰も竹久夢二の叙情の世界に流れて下卑てしまう感じがするのは否めません。この場合の「宵待草」は場違いで全く落ち着かない気がします。やはり月見草の方が良さそうです。言葉遣いとは、難しいものですね。

◎太宰治「富嶽百景」⇒ http://www.geocities.co.jp/NatureLand/6617/bunko/bunko0356.html


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