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2007/06/08(金)
夜の弔い
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思考実験は終わりだ 夜は既に写し換えなければならないものを 既に写し換えた 輝く朝日をまたずとも 聴衆は再び次の夜を望む 覚醒は睡眠を望み 睡眠は覚醒を望む エクリチュールは行為自体を望み その副産物を省みない そして そこに費やされた時間とて例外ではない 時間 そこ(まさに時間そのもの!)にたどり着くまでに費やされる時間をも考慮にいれなくてはならない。我々はまだ時間にたどり着いてはいないが、そこで想像力を発揮しよう。想像せよ:眼前に輝く朝日、を貫く無機質な鉄橋←その半分は朽ち果て頬杖をつくかの如く大地に突き刺さっている 時間の到来の時。我々はそこにやってきた。見えるものは何か。時間が我々の空間に現れる。時間軸が可視化され(すなわち3次元空間に押し込められ)空いた一次元(すなわち時間という次元の残り香に満ちた素晴らしき虚数平面)に巻き上げられていたいくつもの控えめな次元がおそるおそる姿を現すだろう。否、ここでは可視化が問題なのではない。眼前にそびえることが問題なのだ。存在や三次元的物体論は問題ではない、我々が問題とするのは、今眼前にそびえる朝日だ。この大きさ、この煌煌たる紅さよ。私は知るだろう、人が恐怖と呼ぶものは、この偉大なる降臨により引き起こされる甘美なる恍惚・陶酔・麻痺の、最小規模での疑似体験であったのだと、いや、むしろ二重螺旋に刻まれた記憶であろうか。いずれにせよ、恐怖、ああ恐怖はかくも疾走する。かの巨匠の“悲しみの疾走”をも恐怖の疾走は追い抜くであろう。その疾走は誰にもとめられず、聴衆はとめることを望まないだろう。疾走は美しいか?そんなものを問うやつは誰だ。 私には終にわかる。残虐性と美学との蜜月の関係が。時間よ、お前が虚数平面に隠れてしまってからの、この寂しさなのだ。時間よ、この空間に(いや我々の手の中に!)残るかすかな貴女の残り香―ああ、貴女の袖が揺れるたびに我々は魅せられていた―、我々は寂しさゆえ、貴女の残滓より残虐性と美学をつくり、自らに刻んだのだ。それでも貴女は平然と流れ続け。我々をこんなところにまで押し流したのだ。そして話は振り出しに戻る。我々は未だ達してはいないのだ!だからこそ、想像力を呼び起こす。目を閉じろ。口を閉じよ。コーヒーの匂いを嗅ぐ必要はない。聴衆は平穏な朝など求めはしない。 夢は醒めるから夢なのであって 醒めない夢を人は現実と呼ぶ では死は?朝は?我々が朝と呼ぶものは 果たして我々の味方か?正体のわかるものだろうか?
鉄橋の上に誰がいただろうか?
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