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2004/11/05(金)
ちょっとほえる。
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平和について。人間について。好きとか嫌いとか愛してるとかいないとか今のオレには崇高すぎる類の話。そういったものをしばらく考えてた。考えるっても考えたくて考えるんじゃなくて勝手に考えちゃう。恋愛初期の幸せな人が始終相手の事を思っているように、意識に空白ができると色んなことが頭を巡る。 でも、どこにもつながらないし結論も出ない。小学校のころの道徳の教科書(覚えてる人いるかな)の話みたいに問題定義と数回の咀嚼のみで、そいつらは原型をとどめたままごろごろ転がってるんだ。 オレはそういったことがらを考えるのがいやだ。正直にいうとめんどくさい。実際辛いんだ、真剣に物事を考えるって事は。物事を必要以上に悪く考えてしまう自分の悪い癖のことはよくわかってるけど、実際に物事は悪いんだ。まずいんだ。深刻に。だからなるべく意識を別のものにむけようとする。本を読む。いままでにないくらいのスピードで。それもただ文字の列を目で追うだけじゃだめだ。意識を完全にそこに集中させなきゃならない。かかれているものを読む「読者」という立場から、もっともっとのめり込んでその本の「当事者」になるくらいの集中をしないと、自分(現実の方)の思考を停止することはできないもんな。そのうちに、この小説は誰が書いたんだ?と混乱する。誰かが書いた物を読んでるのか、その文字列を追いながら主人公に同化した自分の視点から架空の世界を泳いでるのか…。
愛してるとかいないとかそういう崇高な判断はオレの貧相な経験と価値体系じゃ到底できない考察だから、とりあえず何が好きか嫌いか、それについて考えてみてる。さっきもいったけど決して考えたくて考えてるんじゃない。好き嫌いに物事をきちんと分類することが可能とも思わないし、またそれが意味をなすとも思わないけど…理屈はやめよう、とにかく考えてしまうんだ。 嫌いなもの、嫌いなこと、嫌いな人…嫌いなものだらけだ。オレを中心にしてオレを主観とした世界がひろがるように、オレを第一としてオレが嫌いなものの世界は同じように広がっているように見える、何せ出発点が同じなんだから。
好きな物もある 好きな人もいる だけどそれは同時にオレを傷つける オレは傷つけられる 自分を守る 嫌いになる 嫌いなものが増える 簡単なしくみだ、誰でもわかる。でもなんか違う、なんか間違ってる。そりゃそうだろ、誰が見ても間違ってる。でも間違ってるのに気付いてるってのと間違えを直せるってのは同義じゃない。時に排反なことだってある。誰かを憎んでいることを認識することは同時にその人に対しての憎しみの存在にラベルが貼られ紛失しないように管理しているようなものだ。間違えに気付く、直す、は時に排反なことだってあるんだ。
こんなに長い文で、自分でも飲み込めてないよくわからない観念を吐き出したのは、実はある人に伝えたいことを整理しようと思ったんだ。こうやって誰かが自由にみることができるスペースで自分の考えを書くってことは自分の考察に適度な刺激と圧力を与えられるから。けど、どうもうまくまとまんなかったな。伝えるのはまだやめようと思う。その人は(当然ここは見てない、おそらく)必要としてる。何か今のその人にとってただ一つの哲学を。先送りの答えや、あいまいなフリーサイズで安物の答えなんていらない。ジグソーパズルのように、それらを無理矢理押し込んでも美しくない絵になるだけだ。 本を読み疲れたら、あるいはオレが世界中の本を読み尽くしてしまったら、(うんできたら前者がいいな、後者であったらオレの寿命との戦いになるし…)また、考えたくないことを考えようと思う。 誰かのために哲学を探すっていうのは、なかなかすてきな事だと思う。オレの生きてる世界で、すてきな事ってなかなかない。もう少したったら頑張ってみようかと思う。
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