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2013/07/09(火)
言葉
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日曜日に友達とカフェで喋っていた時、たまたま方言の話題になった。
私は大阪出身大阪育ちのくせに、幼い時は関西弁を喋らなかった。というのは、両親が大阪人ではない&一時期東京に就職していた母が見事な標準語を話したからであり、今でも思い出すことが出来るのは、幼稚園に通うようになって、同じ組の子供たちが一様に関西弁を喋っているのを見聞きした時、自分とその家族が話す言葉が、どうもよそとは違っているというその奇妙な現象であり、それが無意識に、私の性格を内気にさせたんだと思う。やっぱり、他と違うっていうのは子供ながらに不安だし、色んな違和感を感じたんだと思われる。
それとほとんど全く同じことが、福沢諭吉先生の『福翁自伝』に書いてある。 先生は大阪出身だけど、お父さんの仕事の事情で九州に引っ越し、そこで近所の子供たちがその土地の訛りで喋っているのを見た。諭吉先生は兄弟が多くて、当然九州に移り住んでも家族内ではみんな関西弁を話す。必然的によその子と遊ぶことを避け、兄弟とばかり遊んだ。内向的な性格になったと書いてあった(と思う)。
もっと強烈なのもある。私が先月読んだ、陳舜臣の自伝的小説(と銘打ってあるけどきっとほぼ自伝そのもの)『青雲の軸』にそれが書かれている。 陳先生は神戸生まれで、ルーツは台湾である。つまり家の中では中国語、家の外では日本語。陳先生はその事で内に向かうことは無かった。さすがに方言とかいうレベルを超えて、完全に違う国の言葉になっちゃうと、家で使ってる言葉を外で友達に向かって使っても全く通じないから。そこまでの珍事となると、陳先生はちゃんとお父さんに質問して、その疑問を解決するわけである。 でも、お父さんに聞くより前は、陳先生はどこの家庭も、家の中では「家の言葉」(=中国語のように、よそでは通じない独自の言葉)を話すし、家の外では「外の言葉」(=共通言語的な言葉)を話すと信じていて、友達の家に遊びに行ったら、そこでは家の中でもみんな日本語を喋ってるのを見て大ショックを受けたそうな。 そして陳先生が言うのは、そういう2つの言葉に挟まれて成長したという環境は、自分に「言葉」というものに興味を持たせる1つの要因であったと。陳先生は大阪外国語大学インド語学科卒(いつも思うけど、ヒンディー語学科とは言わないのかな〜)。
・・・じゃあ、私が昔から語学学習に興味があるのは? 子供の頃の環境が影響しているのかな? 陳先生理論によると。
みたいな話を、うっかりカフェで友達に向かって延々語ってしまって、迷惑かけました。
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