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2012/08/14(火)
性格
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最近考えていること。結構真剣に。
私は友達と過ごすのは好きだし、知らん人と会うのも好きですが、その一方で、友達と遊んだ後ひとり家に帰ると、大概すごく疲れています。 友達のいない土地に1人10ヶ月ほど住んだことがありますが、寂しさを感じるどころか毎日楽しくてしょうがありませんでした。もちろん毎月のように大阪には帰ってましたが、身近にすぐ会えるような親しい友達がいなくても、別に私には大した問題ではなく、1人でも充実した生活を楽しめるということを実感したものでした。
私の生来の性格が本当はどんなものなのか、それは自分でも完全に把握するのは難しいと思うけど、もともとそんなに社交的ではなく、どちらかというと人見知りなほうであったはず。それには育った環境とかも影響してるんで、本当に生まれつきの性格がそうだったのかは、正直ちょっと分からないけど。。。 まあ、その内向的な面を、一応大人になって、社会に適合して生きていこうとしたときに、多少は度胸がついたので人見知りを若干克服してみたり、愛想笑いとか覚えてみたりして、少しは社交的な性格のように、自分を見せれるようになってきた気がする。
しかしながら、もともとの性格はそうじゃないので、やっぱり周囲に気を遣って、フレンドリーな人間っぽく振舞っているのだと思われる。 そして、別にこれは周囲のことを思って気を遣ってしまうのではなく、無意識にそうなってしまうだけであって、私が勝手にそんなふうに無理して、結局家に帰ってきたら疲れ果ててるっていう、何だか情けない話なんですけど。
最近、あえて自分の仕草とか表情を意識するようにしてる。 例えば、お店で服か何か見てて店員さんに話しかけられた時、興味なくてもつい笑顔を返しているな、とか。。。 別に店員さんにそんな愛想ふりまく必要ないだろ、と思って、その次に話しかけられた時、わざと無表情で返事してみた。 そういうのを繰り返していると、結局、愛想よくしてようが愛想悪くしてようが、どっちも疲れるという事が分かりました。 無愛想な態度をとった場合、店員さんに対してどうしても申し訳ないという気持ちが出てきてしまって、自分の中で何か葛藤するような、複雑な心境になってやっぱり疲れるという。。。
なんだかもう、自己の崩壊ってカンジですね。 自然体の自分というのは一体何なんだろうと。それがこの年になってもよく分からないっていうのは。 誰にも気を遣わなくっても、誰にも迷惑をかけず、まわりの人とうまくやっていける、そしていつも疲れることなく、気楽に生きていくこと。そんなことが、できるのでしょうか。
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