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2010/01/11(月)
最近よくされる質問
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なんか、年末から色んな人に同じような質問をされた。
「みわさん嫌いな人いるんですか」 「みわちゃんは怒ることがあるの?」 「みわちゃんは怒ったらどうなるの?」 。。。
あんまり腹を立てない人というイメージを持ってくれてるみたいです。 もちろん嬉しいです。
「みわさん嫌いな人いるんですか」 いるんかな。苦手な人、というのとはまた違うんですかね。 いきなり聞かれても浮かびませんが。 嫌いかどうかはよく分からないけど、愛想尽かしたり色んな意味で諦めたりする事はごく稀にありますが。
「みわちゃんは怒ることがあるの?」 うーん、あるかな。 怒るより先にヘコむことのほうが多いかな。 怒るのって体力要るし。疲れそうやし。 凹んで反省してるほうが楽そう。 てか、それ以前に何かそんな精神的打撃を受けても忙しくてすぐ忘れてそう。。。
「みわちゃんは怒ったらどうなるの?」 まあそういうわけで、原則怒ってる暇もあんまり無ければ無駄なエネルギーも使いたくないので、腹を立てるより落ち込んでしょんぼりするほうを選択したいんですが。 「怒った」の定義を、むかついたとか堪忍袋の緒がキレたという意味じゃなく そのごく一部の私が愛想尽かした、私がどうしても尊敬の「そ」の字も抱くことのできなかった人たち 私が自ら積極的にお互いの関係を継続させようという努力を打ち切ってしまった人たちに対する私の態度を、敢えて「怒ってる」と定義するならば、みわちゃんは”本当に”怒ったら、基本はその人を「相手にしない」ということになるのかな。 見限ってしまいますょ。。。
しかし私自身まだまだ人間できてないのに、その自分の判断で付き合う価値のある人ない人を選別してしまうのは、リスクを伴っているのは間違いないわけで、そこが難しいよね。 その人の良さを、私が掴み取れてないだけかもしれない。 でも、以前誰かに言われたのは、そこまで嫌な気持ちがして、言いたいことも我慢して友達を続けるのに何か意味があるのか?それは友達でも何でも無いんじゃ?って。。。 確かに、相手の機嫌を損ねないように、へつらいながら関係を維持していったとしても、そのうち私の我慢も積み重なって、今以上にその人のことが嫌になってしまうであろうと。それは、相手にとっても失礼なことかもしれんな、と思ったのもまた確かで。 嫌いな人と無理して付き合っちゃいかん、みたいなことが、論語にも書いてあるんですよ(まだちょっとその真意が分かってませんが)
。。。何しか、できるだけ人を恨まず、精神的に安定した状態で日々いられるのが、一番「楽」に生きていけるコツだと思うのです。 どーしようもなくめんどくさがりなんで。
年末のクリスマスパーティーの時にも、上記「嫌いな人いるの?」っていう質問をされ、私がうーんと頭を捻ってる間に他の子が 「みわに嫌いな人なんていないよね」と言ってくれたんだけど、そしたら最初の質問をしたアメリカ人(私より3つくらい年上)に、つまんない奴だな、みたいに一言、半分冗談みたいな感じで突っ込まれて、その人も大概穏やかで怒らなさそうな、一見「いい人」っぽいんだけど、そんな事言うんだなーって、意外に思ったことがありました。 まあ、余談です。
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