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2009/08/20(木)
所感
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世の中様々な付き合い方ってもんがあるようです。ここで言う付き合いってのは男女間の話じゃなし、もっと広義で一般的な人と人との関係、まぁ友達付き合いの意味で言うんですけど
もう2ヶ月ほど前になるか、ある人にひどく落ち込まされた一件があり、その人は辿っていくとまぁ、友達の友達の更にその友達の友達。。。ってくらいで、はっきり言ってよく知らなかった人 仮にその知人をここではAと呼びます。 私はAのことを怒ってるわけではない、けれど、もう彼にいくら私のことを分かってもらおうと努力したところで徒労に終わりそうだし、もう彼には何も期待するまいという諦念と、これまでは可能な限りはAの力になろうとしていたけど、今後もはやAには積極的に関わることは無かろうという変に意識的な無気力だけが、今はあります
しかしそのAとの一件も、そもそも私の度量の狭さから来ているだけで私が拘泥しすぎなのか、或いはAが私が見限ったって致し方無い程度の人格の持ち主だったのか。いや確かに私も自分の狭量さくらいよくわかってますよ。でも友達に他人の愚痴というか文句というかよーするに悪口だ。そんなものあまり聞かせられないし、愚痴る事で自らの品格も下げてしまいそうで、なかなか誰かに相談という気にもならなかったんですが、でも自分の心中では相変わらずひっかかったままだし、結局自分の性格が悪いのか?とそればっかり心配になってくるものだから、過ぎた話ではあるけれど、ちょこちょこ周りに話してみたのです。
でも、意外なことにそれで新たに見えてきたことがあり、それはそれでちっとも愉快な事ではないんだけれども、、、
私にはAを介して知り合った友達が何人かいるんですが、やっぱ彼ら彼女らのほうが私よりもAのことを長く知っているわけだし、より理解しているはずと思ったので、Aについて、今件について、勇気出して聞いてみたところ、みんな示し合わしたように 「Aはちょっとおかしいところがあるよ」とか 「私はこんなことをされた」だとか 「Aがすることには裏がある」とかとか 何かしら逆に私にそんなことを言ってくるのです 言いながら彼らは普通にAと付き合っているのだから驚きます
私の友達は、みんなお互いのいいトコ見つけ合って、認め合って、だからこそ楽しいので、だからこそ一緒にいるので、それが至極当然と思っていたけど、そうでない人たちもいるのだ
でも、そういう話を聞けば聞くほどやるせない気にもなってきた というのも、私は多分、 「Aは立派なやつだ、Aの言動には実はこうこうこういう意味があったので、みわはそれを軽蔑するどころか、むしろ感謝するべきだ」的なことを誰かに言ってもらいたかったので、それが成功するどころかむしろ正反対の成果を生んでしまいそうだったので、一層がっかりしたのです
東京に行って全然今件と関係ない友達に話を聞いてもらった時、 「みわちゃんがそいつ(=A)のことを尊敬できないやつだと思うのなら、きっと時間が経てば、じきに周りのみんなも同じことを思うようになるだろうよ」 と言ってもらったんだけど、どうも実際にそうなりつつあるようです。
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