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2013/08/12(月)
ちょっと切ない話
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日曜日 元々は、私が係わらないはずだったイベントに、せっかくだからと塩釜仙人(市民ボランティア会長)に声をかけていただいたので、音楽で参加。 イベント内容は、数多くのプロを指導してるカリスマシェフが作るランチを、仮設住宅の人々に食べて貰うイベント。 私としては、それだけで充分素晴らしいので、ピアノで、レストランBGMのノリで食事に花を添えるつもりが結局仙人のご命令で、最後には失礼して歌ものもやりました。 正直、土地柄だと思うんだけど、最初のうちはパラパラと、少人数だった。(後で沢山きたと聞いて安堵) 満席には、遠く及ばない人数の内からBGMをスタート。 数人の団体で、入ったおばあちゃんたち、皆とりあえず笑顔、で、「もう、頂いていいの?、は?そう?じゃいただきます。」なんて言いながら、食べる程に増していく 笑顔(^-^)/。 ただ、そのうちの一人だけ、 最初のとりあえずの笑顔は、くずさず、目の前のお弁当を、ちょっと嬉しそうに、でも、食べずにみてる。 隣のおばあちゃんが、 「あんで食べねの?」と聞くと、「後で息子が帰ったら息子にやるんだ。」って、笑ってる。 ごめん!その笑顔は、私には後で思い出して泣ける。 今、これ書いて涙ふいてる。 「働きにでてるから。」ともいっていた。 どうしよう?BGM 弾きながら私もとりあえず笑顔のまま、向かって右の方を見ると、その会話を聞いてたスタッフがいた。 そしてすぐにプレートを、追加してくれた。 「じゃこれ息子さんに持ってってやんなねぇ。」って。 流石は、塩釜市民ボランティア機転が効く。 そのおばあちゃん少し照れくさそうに笑ってから、ランチたべて、回りのおばあちゃんたちと同じ笑顔になった。
私には、この声で直接言いたくても言えない “ありがとう”が、 十五年程前に急死した母に対して沢山あるんです。 そう言う心の琴線が、共鳴してしまうので、昭和の母と言う存在の自己犠牲的な愛を、チラッとでも垣間見ると、多分他の人がみたら、いや、そこまでー?大袈裟なー!って思えるであろう程に泣けてみたりする事に今更きがついてます。 誰かが、逝ってしまった誰かに、 手を合わせて言う “ありがとう”に、 ごめんなさいのニュアンスが 入り込まなくなる日が来る事を、想像してみようか。 なんてふとおもいました。
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