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2011/05/21(土)
被災地へ9 南相馬にて
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記憶が 新しいうちにと急ぐ余り、数字がダブったり、一番飛ばしたりしながら文字数が多かった文章を 携帯から直せないまま 書いてきたんですが、長文にお付き合い頂き皆さんありがとうございます。 文章 上手じゃないけど 被災地で見た事感じた事 行くにあたってどんな事があったか 全て書くのは、とても難しく、でも読んでくださるなら タイトルに“被災地”と言う言葉のついた最初から読んで頂きたいと願います。 今しばらくのお付き合いよろしくお願いします。
まず 岩手を出て夜中に南相馬に 入りました。 進む程に コンビニは、軒並み閉店、もっと手前で寄っておけば良かったと思いながら 月明かりにガレキと壊れた廃墟の群れが照らし出される中 ところどころに電気のついた民家も少しだけ、ナビでみると海まで決して近いとは言えない所まで、船が来て、横たわっている。 岩手で見たのと同じような風景を 夜の静けさの中、旅の疲れと 何かに感情を吸い取られて行く感覚のなか 車を進めました。 巨大な煙突と大きな、どうも窓の見当たらないこれもまた巨大な箱型建造物の見える海辺で車を止めました。 気持ち悪い。 普通ああいうのは、飛行機などに 警告する為 高度によって色のちがうランプがつけられているのに、その建造物も煙突らしき物も なんの小さな明かりもない。 月明かりに 巨大な輪郭だけが青黒く浮かんでいました。 今に思えば ランプがないのは飛行禁止区域である事を遠回しに示しており、後に避難所で あれは火力発電所だと聞かされて知りました。 夜 現地入りしたら、カセットコンロでお湯を沸かし、カップラーメンでも食べようと思っていたけど、結局…交わす言葉も減って、しばし見渡すかぎりガレキの散乱する海ぞいを見て回り、近くの高台で車中泊。 せっかく持って行った寝袋も使う前に眠りについてしまったせいで 悪夢を見ました。 凄く怖かったのは、覚えてるんだけど 夢の内容は 思い出せない。トリックさんによると うなされてたって言うんだけどさっぱり全然思い出せない。 夜が明け、昨日気持ち悪いばかりだった景色は、少しは違ってみえ、海辺の陸がわに朝日を望むように、祠が二つ残っていました。 そこに お参りをして いざ街中へ…。 …続く
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