今日も生きてる。明日多分。今日は どんな人、どんな事に巡り合えるかな?
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2011/05/30(月) フルルステージ終了ありがとうございました。
一部のお世話になった方々に、この日記の岩手、南相馬の旅の記録をご紹介させて頂きましたが、そちらは5月9日から、5月25日の日記になります。

話しは変わって 昨日 フルルで 生徒さんの本番が終わりました。
もう オチビちゃんと呼んだら怒られる歳に完全になっている ファンファンキッズの子たちが フルルでステージを踏んだわけですが、応援くださったお客様ありがとうございました

 今回は 少し裏話しをしちゃうと苦汁の決断で マイクを2本人に減らしてあの音の廻っちゃう、つまり ハウリングの起こり安い現場を 廻りの方々のご協力もあって、なんとか乗り越え 子供たちからのお花も 素直に喜んで受け取れました。
みなさんお疲れ様でした。
時は流れ 子供は育つ中で、母親の目に映る我が子 なんて言うものにも 厳密に言えば子育て経験がないなりに心のピントを合わせてみたりもしました。

習い事には、二つの側面があり、専門的知識を 一定の賃金と引き換えに習得してもらう言わば、“売りもの”の部分と、
 礼にはじまり 礼に終わる 例え技術を習得して月謝を払っていても その心の部分が 出来ていなければ ここを去りなさい 位まで言い切る空手や 柔道 等に代表されるような “道”の部分と…。
ジャンルが “ダンス”と言うオシャレな分野にも関わらず、多数の子供相手に、“道”を教えおられる先生のお誘いだったからこそ、講師が二人いるリスクを踏み越えてキッズダンス&ヴォイストレーニングというのを続けてきたのですが、
 ステージと言うのは、お客様への“ありがとうございます”の礼の心こそが 根底に大切なものとしてあるんだよ。
… という部分では、教えたい事は ダンスも音楽もピタリと一致してる。
とは言え、長くレッスンしていく上では、振り返れば いろいろな、問題も生じていた。
ましてや 僕も 音楽だけに鳴り物入りで そのレッスンに立ち上げから関わっちゃってたせいで、お母さん方に 置かれては 話しずらい印象まで 与えてしまっていた。
“道” を教えるという事は、自分が人の道を学ばないと、ましてや 相手が、子供なら子供を叱る痛みに自分が耐えられない。
知ってはいたけどなんだか ここでもまた生徒に問う事が 形を変え、自分に問われているのを感じる今日この頃です。 エニウェイ お母さん方とも こむにけーしょんをとらねば。

2011/05/25(水) 復活しました。
ほぼ 全部の生徒さんに 旅の報告をし、すると次第に、前回の日記で誤字を伴って書いておきながら 修正できなかった “経度の痙攣”→軽度の痙攣 も治り、レッスンしてて思いました。
ある歌の一部で ♪あきらめないで 全てが 崩れそうになっても♪ の所が ちゃんと喉開けて唄えてる。
なんて 気持ちいいんだろ。

旅の直前は、気持ちが 南相馬に向いてて 苦しくて 歌えなかった。
多分今に思うと、 この部分を仮りにあっちで力強く歌ってあげられるとしたら、自分も同じ苦しみを 乗り越えてないとそれをする資格がないって 自分を責めてたから。
なんて面倒臭い性格だったんだろ?
これらは もっと上手に身の丈を越えない心で 人の為に 一生懸命になろうと思います。
もちろん 人をいたわろうと思う時、恐れは 忘れちゃいけないけど、怖いと 恐いを、間違えないようにしないと。

旅で 出会った ねじり鉢巻きの いかにも 海の男って感じのおじいさんが、まるで漁に使う網を繕うみたいな姿で、折り鶴たちを、輪ゴムで束ねながらポツン、ポツンと言葉少なに語ってくれました。
「俺たちゃよ いい時は、海に さんざん世話になった……いろ〜んなもん…貰ったんだ……だから…こうなってみても 海を決して怨んじゃいないんだ。」
あのおじいさんが 捕った魚が 食べたいです。

2011/05/24(火) 被災地から帰って…
疲れも抜けないままレッスンやらなにやらしてるうちに一週間が経ってしまったのですが なんだか昨日のようにも思えています。
内一日は休めるはずが、結局CDの歌の入れ直しに使い、ずっと某かの用事をする中、あることに気がつきました。 旅からは帰ってきたけど 協力してくださった方々で会える人とは ちゃんと会ってお礼や報告しないと、今回の旅は終わらない。
つい涙ぐんでしまう部分も含め 報告をするほどに 僕の経度の痙攣や、変な時に涙ぐんでしまう症状は 軽くなって行ってます。
そして YouTubeで曲聞いたよ なんて感想付きメッセージを貰うのも どうやら回復を早めてくれています。
原因がちゃんと解ってるので僕自身そんなに心配もしてなかったのですが。
今回の旅で、 寄せ書きをしてくださった 生徒のみなさん、株式会社カルチャーのみなさん ひなたぼっこカフェのみなさん、酒々井のみなさん 本当に ありがとうございました。
僕が自信がないからと かなり弱気であったにも関わらず、強引なまでに 誘ってくれた トリックマスターSORAさんには、直接何度かいいましたが、この場を借りて 改めて ありがとうございます。 ふともすれば、今回の旅日記での古い付きあいからくる 彼とのやり取りに関する屈託のない表現は、全くそれを知らない方には、僕を苦しい方向へ連れて行ったかのように読めるかも知れませんが、万が一そう読めちゃったらごめんなさい。 確かに やだよ〜。とか ため息は、ありましたが 僕の乗り越えるべきハードルと思ったから彼と今回の旅に自分の意思で行ったのであって、現に 行かないと決めた所への誘いは いくらお世話になっている彼に誘われても 断っています。

一旦は 旅の慰問は終わりましたが、もし 僕の音楽が ほんの一時でも 被災地のみなさんのなんらかのお役に立つなら、また 行こうと思います。
その時は せめて仮設住宅なりなんなり、今回より 被災地のみなさんの居心地が良くなっていますように、そして、なるべくはやく南相馬のみなさんが ふるさとへ帰れますように。

2011/05/23(月) 被災地へ11 南相馬にて
昨晩の悪夢に反して妙にクリアーで眩しい朝、寝起きの頭はここが 被災地でちょと坂を下ればそこは、ひたすらガレキと昨日みた不気味な巨大な建物のある所と言うのを忘れていた。
テトラポッドさえ一部組まれた形を崩していた事に後で気付いた。
車から出て 少しストレッチやら二人でぐちゃぐちゃになった後部席から後ろの片付けを目を醒ますためわざと手早にやって 「さ! 行こうか!」とお互い大きめの声をだして 朝が動き始めました。
こちらでは、手続き上のごたごたは、ないどころか、役場より先に避難所からご連絡を頂き、セッティングの時間を早めに貰えた程でした。
勤めて明るく「おはようございます! お世話になりま〜す」と避難所に入ったけど トリックさんのフレンドリーさには、敵わない。 おばあちゃんに 「会いたかっよ〜。」だって。 とにかく やっと自分の中に生まれたある種のノリを、崩さないまま 本番までは一時間くらいが 10分くらいに感じた。 本番はあれよあれよと言う間に始まる。
それに反して 僕はあえてゆっくりめにでも 勤めて元気に挨拶してステージは、走りはじめる。
地元のイベントでは、いたずらっぽいノリが多かったけど それらは 今回は全て禁止手、芸人ではなく MCでは少しのジョークは飛ばしつつもミュージシャンとして ここにいて 目の前の 被災者ではなく 一時 音楽を楽しむお客様を感じて丁寧に演奏を。
思ったよりずっと空気が澄んでいて 微笑みながら一緒に歌ってくれるお客さんもいて 逆に救われた。 そういうお客さんに心のピントを合わせ申し訳ないけど、泣いてくれているお客様には ひたすら丁寧に一方通行で音色を届ける。…でないとこっちが号泣しちゃってステージにならないから。
ど〜っ!と盛り上げるのは トリックさんに任せて僕は、そんなひと時の癒しと、MCで千葉のみんなが、寄せ書きで 「頑張って!」とも「心が折れないように頑張らないで」とも書かれてるけど みんな心の中心に同じ思いがある事を伝えて 最後に歌を歌いました。http://www.youtube.com/watch?v=iMEKDD-6-14
この歌に著作権さえいらない。
南相馬の避難所の方々が一番最初に生で聞いてくれた事実だけで十分です。
全ての被災者やボランティアの方々にささげます。
…続く

2011/05/22(日) 被災地へ10南相馬の前に
勿体つけようと言うのではありませんが、南相馬での話しの前に一つ言わなければならない事が、出て来ました。

行くにあたり、 自衛隊の知り合いに 心が折れないように と言われました。

千葉に帰って後の今、ああ そういう事だったんだ。と深く実感してるんです。 人の為に良かれと思って、善意で ガレキ撤去のボランティアに志願するとか、とてもいい事だし とめたくはない。
でも 心の弱い人は気をつけてください。
後から きます。
心が弱くて 多分向こうっ気の強い人が得に危ないと思います。

まさか 僕が こんな事を この場で述べるとは、自分でも 思いもしませんでした。
ミュージシャンとして 試されてる みたいな事は、感じてたから、“泣かずに歌う”は、現地でちゃんとやったけど、 そして 多分 作曲の無茶ぶりに対して 悩みに悩んで 向こうの人たちの状況を思ったり 言葉を紡ぐ中、少しは それと気付かずに“覚悟”が出来たのが 幸いして、僕は帰宅後、涙もろくなったり、極度の疲れの時にでるような身体の部分的痙攣ぐらいで済んでるんだと思うけど、あの状況に直接身を置いたら、人によっては、PTSDみたいな 症状になる。
人によっては募金だけでも十分だと思います。
ほんとにほんとに 人の善意に待ったかけるような事は、言いたくはない。
ただ、自分にあったやり方を考えてください。

戦後の焼け野原 ってこんなかな?
って思うような 状況でした。

2011/05/21(土) 被災地へ9 南相馬にて
記憶が 新しいうちにと急ぐ余り、数字がダブったり、一番飛ばしたりしながら文字数が多かった文章を 携帯から直せないまま 書いてきたんですが、長文にお付き合い頂き皆さんありがとうございます。
文章 上手じゃないけど 被災地で見た事感じた事 行くにあたってどんな事があったか 全て書くのは、とても難しく、でも読んでくださるなら タイトルに“被災地”と言う言葉のついた最初から読んで頂きたいと願います。
今しばらくのお付き合いよろしくお願いします。

まず 岩手を出て夜中に南相馬に 入りました。
進む程に コンビニは、軒並み閉店、もっと手前で寄っておけば良かったと思いながら 月明かりにガレキと壊れた廃墟の群れが照らし出される中 ところどころに電気のついた民家も少しだけ、ナビでみると海まで決して近いとは言えない所まで、船が来て、横たわっている。
岩手で見たのと同じような風景を 夜の静けさの中、旅の疲れと 何かに感情を吸い取られて行く感覚のなか 車を進めました。
巨大な煙突と大きな、どうも窓の見当たらないこれもまた巨大な箱型建造物の見える海辺で車を止めました。
気持ち悪い。
普通ああいうのは、飛行機などに 警告する為 高度によって色のちがうランプがつけられているのに、その建造物も煙突らしき物も なんの小さな明かりもない。 月明かりに 巨大な輪郭だけが青黒く浮かんでいました。
今に思えば ランプがないのは飛行禁止区域である事を遠回しに示しており、後に避難所で あれは火力発電所だと聞かされて知りました。
夜 現地入りしたら、カセットコンロでお湯を沸かし、カップラーメンでも食べようと思っていたけど、結局…交わす言葉も減って、しばし見渡すかぎりガレキの散乱する海ぞいを見て回り、近くの高台で車中泊。
せっかく持って行った寝袋も使う前に眠りについてしまったせいで 悪夢を見ました。
凄く怖かったのは、覚えてるんだけど 夢の内容は 思い出せない。トリックさんによると うなされてたって言うんだけどさっぱり全然思い出せない。
夜が明け、昨日気持ち悪いばかりだった景色は、少しは違ってみえ、海辺の陸がわに朝日を望むように、祠が二つ残っていました。
そこに お参りをして いざ街中へ…。
…続く

2011/05/20(金) 被災地にて8 南相馬市
岩手では、二日間 避難所ではなく ケアセンターや学童を一日二軒ずつ。
千葉にいた時のトリックさんとの会話は、ざっと…
「ねぇ やたらに現場入れないでね、それこそ営業のドサマワリみたいになっちゃってもアレだからさ〜。」
「解ってるよ、今向こうの役場の人と相談してるから。」
そんな会話があった事、そして 今回僕にとって禁じ手があまりに多かったことを気にしてか、子供の多かった岩手では、得にトリックさんが頑張って、僕は、彼の作る風船に喜ぶ子供たちの笑顔を愛でる余裕をもらったのでした。
勿論、全くなにもしなかった訳ではありません!
しかし あっちの子供たちは すれてなくて可愛い。

いよいよ18日は 南相馬。
僕にとってもっとも恐かった場所。 余震や津波や原発がではなく、避難所にいる人と接する事が恐い。
どう接したらいいのか?
みんなどんな気持ちで居るのかが 察するに余りありすぎて、想像出来ない。
テレビで垣間見れるのは代表的なほんの一部である事だけは確かだろう。
僕がもし、家族を失い、家を失い、ふるさとに戻る事を許されない、いつ帰れるかわからない立場に置かれたら、普通でいられるはずがない。
また それぞれ年齢もそれまでの境遇も違う人たちが、段ボールの薄い仕切りごしに 一人につき一畳分ずつの寝床を与えられ 生活しているんだから…考えれば考える程 わからなくなる…というか、心のピントが合わせられない。
いよいよ 現場へ…

2011/05/19(木) 被災地へ6 岩手にて
殆ど夜通し走り まずは岩手。
ここでは、まずケアセンターの慰問が待っていた。
つまり 僕が 難しく感じていた いわゆる 避難所の方々と会う事は、 実はこの地ではなかったが、トリックさんが用意した、支援物資の衣類と船橋のカフェひなたぼっこで作って頂いたクッキー200個、そして一部の寄せ書きは、ここの対策本部で僕の車を降りる。

被災地をみてまわり、僕も トリックさんも 言葉を失いました。
海沿いの家並は壊滅状態 見渡すかぎりガレキだらけ 車も原形を留めないものがあちこちに…でも 道は確保され自衛隊やボランティアの方々や被災地の方々が総出で 始末にあたっている。
かろうじて形を留めた建物も 赤いペイントで “解体OK” あまりの惨状に、言葉も感情も失い、 不思議な感覚になる。
テレビじゃ わからないと思っていたが、 臭いつき、温度つき音つきの実体験でも 心には 変な静寂が出来るばかりで、涙もでない。
千葉に涙は置いていく と 心に決めたせいもあるのか? 確かに 今 千葉に戻ってからこの日記を遡ってて書いてるとやたら涙がでる。 多分 この事実は、仮に一度に受け入れれば 心が折れてしまうのだろう。

伝えなきゃと思い写真を撮りました。
でも、
ごめんなさい。
載せる気にどうしてもなれないんです。 少なくとも今は。

…続く

2011/05/18(水) 被災地へ4
船橋と酒々井で、14日15日と それぞれステージがありました。
15日の晩に岩手に向け出発だったからもう14日の時点で準備は終了してないといけない。でも レコーディングが どうしてもやっぱり気に入らない。思わずスタジオアラバマに電話をしたのが14日の朝本番前。歌の取り直しの為 夜11時近くに 無理矢理、カイさんにスタジオを空けて貰いました。
一生100点満点の歌は、撮れないけど前日の録音よりは遥かにいい。逆にいえば体も限界でした。 翌15日は 酒々井プリミエール。 ステージでは主催する同好会の粋なはからいで 受付に被災地への応援メッセージ受付ブースが設けられ、僕自身も出番に少しのMCが許されました。でもその前に僕の生徒さんの伴奏2曲。二人とも堂々とよく歌えてホッとしました。
本番を終え怒涛の如く時は過ぎ、機材をちっちゃい僕の軽ワンボックスに積み込み いよいよ出発。
トリックさんとの旅回りは ひさしぶり…何年ぶりだろ?
岩手では、彼の活躍率が高いのでまずは運転は僕が買って出た。
僕らは かなり小さい頃からの仲なのでかなり アホっぽい冗談や口喧嘩をする。
ちょっとした弥次喜多珍道中。
歌い込みがたりないので 車中でオケを流し練習すると、珍しく トリックさんは僕の歌を 「いい歌だね〜。」と そのわりに 歌詞もメロディーラインも違ってサビを歌うもんだから「間違ったの覚えちゃうだろ!やめてよ!」 …こんな 会話とコーヒーと機材で 車中は満タンだった。

2011/05/17(火) 被災地へ4
「ああ いやだ。」とため息の中 いろいろなところから 寄せ書きが集まり、船橋の カフェひなたぼっこから、岩手に持っていくクッキーも作ってもらえる事になったら ようやく僕は前向きになれてきた。
避難所にいる人たちの事、家が壊れてもどうやら自宅にいる人、そんな人達を思うと “頑張って”も “頑張らないで”も同時にでてくる。 みんな 口々に なんて書いていいかわからないといいながら、でも いろいろ書いてくれてる。
このメッセージを届けるだけでも 大事な意味があると思える 被災地むけの千葉のみんなからのメッセージが僕の推進力にもなって、ようやく出した答えが、ピアノ伴奏を作って置いて、それに現場で歌詞のある歌ではなくピアニカの音色を乗せる。
ただし、一曲だけ歌ものは、役場との約束があるから 作曲しなければ…。
ここまできたら、僕の 「ああ いやだ」とため息は随分へったのでした。

寄せ書きしてくれた 皆さん 被災地にクッキー作ってくれたカフェひなたぼっこさん 唐津の幼稚園の皆さん 本当にありがとうございました。
…そうこうするうち、日付は、5月12日になっていた。

残る難関は ステージ二つ抱えた状態での作詞作曲。
例の“いい曲”を目指すと 必ず壁にぶちあたり、かなり難航…。
曲が出来上がったのは 13日の晩…曲名は
〜あなたと共に〜
…でも録音が気に入らないまま それでも 歌そのものは現場で歌うので 現地にプレゼントするCDの出来は次の優先順位。 それにしても 歌い込みに時間がない。
もう この時点で 気がつくと、僕のため息と「ああ 嫌だ」 は なくなっていました。
…続く

2011/05/16(月) 被災地へ3 禁じ手の嵐
「 発電機 どうするの? 」
知り合いに電話かけまくったが 借りられない うちだって屋根が壊れてるし買うほどお金もない。
ところが トリックさんがショーをやった“佐倉草笛の丘”さんのご協力で トリックさんがあっさり借りてしまった。 僕も覚悟を決めるしかない。
それからと言うもの 僕の心の方の荷の重さに 随分苛まれました。
ほんのひと時でも 音楽によって癒されて欲しい時僕は、 いい曲を選んでライヴをする。
根本に問題を抱えた事に気付かないまま選曲…そんなだから途中まで弾き語ると全てが 壁にぶちあたり ため息と 「ああ いやだ〜。」と言う言葉にかわった。 正直 つらかったっす。
後で 気が付いたのは、出来る訳がないという事。
つまりこう…いい曲とは、大切にしたい“何か”を歌っている。
それは ふるさとだったり、家族だったり、恋人だったり…。今回歌う相手は 石を投げれば当たる確率で どれかしら、下手をすれば その殆どを 失った人たちなんだから…。
それに気付いたら 涙がとまらなかった。
さらに 明るい楽しいいつもの少年院慰問でやるようなショーにする事も許されない あのスタイルはトリックさんや トリックさんごしに知り合った大道芸人さんが原点、今回はトリックさんとブッキングのステージ。つまりダブるキャラでは返ってつまらなくなる。
こんなに切羽詰まった事はない。
いい曲で泣く人がいるのはいいが 癒しの涙と、生傷えぐられる涙は正反対。
禁じ手の嵐に吹かれながら 地元でのステージを二つ抱え 時間ばかりが過ぎました。

2011/05/13(金) 被災地へ2
弱気な僕に反してトリックさんは、ガンガン話しを進めました。
揚句の果てに、まだ確約してないのに ミュージシャンを連れて行き、一曲作って歌ってくれるそうです。(僕の事)と、役場の人に言ってしまった。
大ピンチです。 もう 消えてなくなりたい。
後で思い出しても お腹がキリキリ痛む。
どうやら ここ数年で一番重い宿題を、音楽の神様に出されたようでした。

2011/05/12(木) 被災地へ…
トリックマスターさんの誘いで ボランティアで 被災地に行く事になりました。
確かに、テレビを見ていると 熱いものが込み上げてくる。 でも、そんな勢いだけで 人の為に良かれと突っ走り、結局役に立つどころか足を引っ張るようではいけない。
だから 僕は、まずは 現地に行かない選択をしました。

確かに周りの人は、ヒカルさんの音楽でみんなを癒してあげてください。
…だったり、
それは いい事です! 頑張ってください。
と 言ってくれる。 でも ちょっと落ち込んでる人を 音楽で癒すのとは、訳が違う。
ましてや、まかり間違ってテレビにでも写ってしまって、何かの拍子に偽善者だ やれ 売名行為だと、言われた日には 目もあてられない。
おとなしく 地元で音楽活動や講師やっていれば とりあえずみんなに大事にしてもらって 幸せなのに。
最初の思いは 恥ずかしながら、そうでした。
後に 心は変わる訳ですが…。

確かに 自分が思う以上に 癒されたと言われる事は よくあったし、小さな自信は、ありましたが、今回は、訳が違うのです。
…続く

2011/05/09(月) 被災地に行きます。
気持ちは、ありました。
ただ 僕がうちひしがれ困ってる人のなんの足しになるのか?
逆に迷惑って事も…。
だから 今回も 微々たる募金で 終わるのかと…。
でも、ありえない偶然が重なり、覚悟を決めました。
今 賛同頂いている多くの方々から、被災地の方々当てに 寄せ書きを中心に、僕が携えて行く“何か”を頂いています。 そして、それらは、被災地宛てでありながら、僕自身が足を踏み出す為の大きな力にもなってくれています。
皆さん、ありがとうございます。

でもまだ 怖いです。
怖いのは、余震や津波じゃありません。
テレビでしか見ていない惨状を今度はじかに見て、感じて、それでも動揺の波をコントロールして、丁寧に音楽を奏でないといけない。
頑張って自分の心を 調整します。

メッセージ等を僕に託してくださる方は 封書でもノートでも構いません。
今月14日 船橋のきらゆめコンサート(14時30頃出演予定)の会場で直接受けとるか、15日酒々井町 プリミエール酒々井の同好会発表会会場受け付けにメッセージ用紙を設けて頂きましたのでよろしくお願い致します。


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