今日も生きてる。明日多分。今日は どんな人、どんな事に巡り合えるかな?
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2011/11/29(火) や やっぱり…。
ん やっぱり 体の節々が 筋肉痛…。 理由は 昨日の日記に。
でも 良かった。 今日は 忙しくない。
テキトーに休みつつ過ごせます。

今日は 家履を買うぞ。 靴下のままフローリングを歩くと寒い、スリッパを履くのもイマイチ。
でも 怪獣の足のぬいぐるみみたいのは温かそうだけどやめておこう。
今日は Jazzピアノを お客様で 聴きに行く。
お上りさん。 上物のJazzにご満悦で 帰って来れるかな?

今日は あまり仕事はしませんが 良いことありますように。
皆さんにも 良いことありますように。

2011/11/28(月) だ〜いこん!
今日は 塩釜市民ボランティアの會澤さんが来て 八街の大根をトラックに積んでいきました。
トリックさんとチンタラドライブして、塩釜に置いてきたPAを茨城県のボランティア団体から引き上げてくるはずが、PAを佐倉まで持ってきて貰える代わりに、大根の積み込みを手伝うことに。
「こ〜れ戻り鰹だよ!」積み込みながら あまりの大きさに塩釜の人驚く事しきり。
っつうか 重い 大きい 多い。
まいった。久しぶりの肉体労働。
でも この前またポニーに乗せてもらったし、被災地の人たちが ふろふき大根食えるならいいか。
でも明日、体動かないかも。

レッスンどれくらいあったかな〜?

結構ヘタレなヒカルでした。

2011/11/25(金) いい天気です。
昨日 居酒屋に行って コーラを飲みました。ってそういう事はどうでもいいけど、塩釜から、ボランティアの会長さんが来ていて トリックさんと顔だして、お母さん(と呼んでる 会長婦人)とあい、募る話しもせず、ボランティア関係の憂鬱になる、でも受け止めるべき話しを聞いてきました。

ここから まともに読んだら 辛い 暗い話しですが 読んでもいいよ…って方は 読んでください。

八街のボランティア団体ひまわりの方々も 気にしてましたが、テレビでもあまり報道されない部分で、仮設に入れたはいいけど、亡くなる方の問題です。

言葉を 選ばずに言えば “自殺”です。
事務的に、条件 情報だけを 言えば、せっかく仮設に入れたのに、まだ縮小された避難所にいる人もいるのに…って話しですが、 僕が仮に家族と家と仕事を失って、それだけでも生きる力を失うだろうに、鬱な状態で、一人仮設に入ったとして、“自殺”を考えないか?と自問した時、鬱にのまれてる時は 自分が生きている事事態が世の中にたいして申し訳なく思うから…いや 勿論外側に立てば 「何言ってるの!せっかく助かった命を。」 なわけですが。

絶体絶対 何はともあれ 自殺は、いけないけど、考えと 思いは、時として 別もの。
頭じゃわかってるんだけど 思いは…。
少しの間、被災地の荒れ果てた様子を、見ただけでも、自分の家の屋根のむねが壊れただけで済んでるのが申し訳なく思える。
慰問だなんだ言っても 終わって帰りゃ暖かいスープが飲める 友達の笑顔がある、さみしきゃメールも 電話もする相手がいる。
それが申し訳なく思えてしまうのに…。

勿論そういう思いにのまれていたら 自分まで 身も心も持ち崩してしまうから、あくまで マイナスの思いにのまれちゃうと…の話しで…。

時に 心(思い)ではなく、頭(思考)に従う方が賢明で、僕は ここ数年で少しはそれを学んで、震災後は 特に それを試されている気もします。

今回は 結論にも いつものノーテンキなオチにもたどり尽きませんが…。

次回は 明るい日記書きます。

2011/11/22(火) 今日は 平和です。

とりあえず 見渡せる範囲の僕の周りは 平和です。

ありがとうです。

素晴らしい事に、今日も 笑えてます。

苦しい事から逃げながら…逃げきれない事には 観念して向かい合いながら。
でも、お日様は、僕にも照っている。
なにもしない日も。
何か一生懸命した日も。

それとは関係なく、晴れの日は、お日様が照ってくれてる。

とりあえず 今までは そうでした。

多分 まだ しばらくは そうでしょう。
いろいろ 天変地異はあるけど。

あ いや 何か深い話しをしようと言うんじゃないんです。
いやむしろ 難しく考えるほどに解らなくなる 何かから、あきらめた途端にスコンとぬけられた感じで…物語りで言うと、夢落ちみたいな。 でも むしろ 感謝が素直に湧いてきて。 誰彼なく ありがとうが言いたい気分。
どんなに感謝は大事と自分に言い聞かせても、うまく感謝が湧いて来ない時があって そういう時、たいてい何かにがんばりすぎてて、休む事を自分に許したとたん、頼みもしないのに感謝の気持ちが勝手に湧いてきて、
そういう時こそ、素直に ありがとういっとけ!って 思えて。
だから

偶然 これ 読んでくれただけの あなたにも
ありがとうです。

2011/11/21(月) 自分の 欲求。
自分の欲求に、とても心が向く今日この頃です。
肉体的なところでは、ちょっと贅沢にマッサージを受けに行きたい。

物欲的には、何かが欲しいと言うより、残ってる支払い関係を今年の分全部先に払ってさっぱりしたい。
…今年を 早めに終わらせたい…のかな?
そんな事を思う今日この頃です。

なんか…ん〜 なんだろ? いつも 気分的にさっぱりしていたい欲求が やたらと高まっているのかも。
金銭でいえば 分割払いをもともと嫌う性格が ここへきてさらに強まっている。
ジャンルを広くみても長いスパンの責任を 背負い続ける事を極端に嫌っている最近の自分に気づかされます。
「 それは 甘いよ。次から次へといろいろ出てくるのが人生ってもんだから…」
と 誰かに お説教されそうだけど(苦笑)。


ただ 今年は、いろいろありすぎた。 自分の隠してはいないけど、結果的に隠れてた部分を、沢山見たから、少しのんびりしたい。
そんな 気分です。
とりあえず アレやんなきゃ〜 コレやんなきゃ〜 …を溜め込まない体質作りを、目指します。
今日できる事を 明日にのばすな…か?
ん!……でも ちょっと休も。
……あれ?

ま いいか。

いや よくない。

でも ちょっとだけ。 コーヒー一杯分だけ …休憩。(苦笑)

2011/11/17(木) 道を踏み外すのは怖いから。
人の道を踏み外すのか怖いと言うより。
人の道を気づかずに踏み外してるのが怖い。

気づかないまま過ごしちゃえればいいのだろうけどそうは行かない。
たいてい後で気付く。
キャー!怖いぃぃ!
いつの間にか 友達とか関わりのある誰かが よそよそしくなってて、後で 守ってないとか忘れてる約束に気付いて…みたいの…怖い!
ないか?
ないか?

びく びく…。

あ!?

……………。


今年中に
アレを ナニしないと……。
ふが〜
忘れててぇ〜。

2011/11/16(水) 今年を 終わらせる。
いろいろ悪足掻きをして、師走をどう過ごすかを ここ数年年末毎に考え、気の持ち様なんじゃないかって思って、そこを変えてみたり、仕事自体を、年末は減らそうとしてみたりなんだりかんだりしてきましたが、多少の効果は感じつつ、大きい効果は出ず…。
下手の考え休むに似たり…結局オーソドックスに、早めに手を打つ…という結論に…。と言うか…またしても 結論というよりオチ。
でも 二年前より、去年、去年より今年と、着実に落ち着いた年末を迎えられるようになってきたかも。
年末におたおたしないように支払い関係は 自動引き落としに、一括化できるものは、一括化…あ!少しは 頭を使って生きてる。
自分にしては スゴイ。
僕が頭を使って生きるなんて、昨今の異常気象、…僕のせいじゃないよね?

今日は いい天気です。
昨日、千羽鶴って言葉を 昼に社会福祉協議会の方との話の中で使い、その夕方奇しくも、全くの別件で、実際に、折りました。
“ 丁寧な心。”
なんて言うのがキーワードとして 心に鎮座してます。
ま そそっかしい僕なので いつまで続くかわからないけど。  今日、
銀行で手続き待ちの時、電話がかかってきてしまった。 んで ま 名前を呼ばれる事を気にしながら電話にでたんですが、忙しさにだけ、かまけてたら気づかなかったであろうことがひとつ。
早々に電話を切り上げると、名前を呼ばれた。
名前呼ばれるのは前提だったから、担当のお姉さんをの方をとうまきにちらほら見ながら邪魔にならなそうな所へ移動して電話に出たんですが、ふともすれば気づかなかった。
「あの もしかして今待ってくれました?」担当のお姉さんに聞くと、「はい、少しだけ。」とニッコリ。
気を聞かせて待っているのを 悟らせないような 視線の送り方といい、笑顔といいサービス業(って言うか銀行ではあるけど。)の鏡のような人で感心しつつ。 「ごめんなさいね、ありがとうございます。」と かろうじて言えた。
師走になれば 道路も そこかしこも 何となく落ち着かず 殺伐とした空気が増すから 今から丁寧に、を心がけなさいと、誰かに優しく言われてるようなきがしました。

2011/11/12(土) 自由
今年は とりあえずステージは 打ち止めして、一人反省会。 自由である事について 深〜く深〜く考えるも 考えれば考えるほど解らず…。
「ヒカル先生は 好きな事やってていいですね!」と生徒さんに言われたのをきっかけに そんな迷い道に入っては抜け、抜けてはまた入り。
学校の先生は、自由をなんと解くだろう?
真顔できっと こう言うにちがいないと勝手に思うのは … 「いいかぁ〜おまえら〜 自由ってのはな〜 一見気安いものに見えて 実は自由なほど 責任を、伴うんだぁ!解るか? おまえらが免許とって車に乗るとしよう 行動範囲が広がる、 自由に好きな場所に行ける、でもな いつも事故や車の管理の責任が付き纏うんだ。」 なるほど…。 でも なんか違う…僕が 欲しいのは…そういう答え…じゃ…あるのかもしれないけど…なんか違う。
この言い知れぬ不安な、自由と共に安心を求める感覚 多分僕が大人になるのを 必要以上に恐れていた事に由来するのだろう。

大人はみ〜んな 頭がよく、細かい新聞の文字も 難しい漢字も経済用語も難しげな言葉、全て ある特定の、大人全員に、共通する いわゆる常識的理解をして、その常識には 範囲 (遊びと言うべきか?)がなく 寸分違わぬ見解をもつと 錯覚していた。
平たく言えば 大人は ウンコ って 言わない…みたいな。それかよ!

怖かった 大人になるのが、なれる自信もなかった。
多分 そんな自分を訂正して、成長し、「ごめんなさい 講師の立場で、 レッスン中にアレなんですが、今日ずっとレッスン続いてるもんで、行く暇なかったから ちょっとオシッコタイムくださいね。」と言って笑いをとれる大人になったと言うより、考えれば 「ちょっとレッスン続いちゃってるんで ほんの少し 録音タイム(録音→音入れ→おトイレ)くださいね。」位の事言えるけど なんのひねりもない言い廻しに、意外と嫌悪されないで笑って貰えてる自分にホッとしている感がある。

う! 気付いてしまった!!
僕は、子供の頃の大人になる事への恐怖感を 変貌や成長をさせたんではなく、封印して新たな人格を作り、少しずつガス抜きするみたいに閉じ込めてた子供の自分の封印を無意識的に解いていたのだ!!!!!
ん?

でも……


だから 何がどうだっての?



ま いいか?


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