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2009/01/27(火)
日常の休苻について
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実は これ レッスンネタで、ここで言うのは ほんのちょっと躊躇われたんですがね、ま もったいつけてないで 言っちゃうと 休苻って言うのがね、スローなBalladeなんかでは、得に大事なんです。 歌に限らず ピアノ に限らず。 んで 例によって、また 私生活に置き換えてみたら、あることに気づいた。 ダンスレッスンの筋トレに参加してみたら 筋力が どうも落ちてる。 ふと気づいた。 日常の休(休苻)を大事にしようと去年から 自分の癒しなんてものを考えてたんですが、 白か黒 みたいに考えてしまって、 休む という事に関して、オンオフ切替えに、こだわり過ぎてた感がある。 休む時は、なにも考えず 癒しに徹する。 勿論これも 大事な事だけれど、これはライヴで 言うなら ギターとピアノの伴奏が続いちゃうと飽きるから、次の曲は、まるまるピアノはお休みでギターだけの伴奏で行ってみよう…って感じ。
んで 今回気づいた休みは、曲中の休苻。 私生活で言うと、小休止、マラソンの練習してる人が 信号まちの時 足踏みは止めない方が疲れない。 車の信号まちも似たようなもんで、一時期は アイドリングストップなんて、やってたけど短い信号待ちの時は、起動時にむしろエネルギーを使う(ガソリンをくう)場合が多いことから、今やガソリンエンジンの普通乗用車ではやってる人みた事がない。 曲中の休苻は勿論、ブレークと呼ばれる、演奏全体が、一時的に 音を止めるところでも、カウントは 演奏者たちの腹のなかでちゃんと動いてて始めて成立する。 さて 例え話が長くなっちゃったけど、“癒し”なんて言葉に ま 勿論いい言葉なんだけど、こだわり方を僕はどうも間違えてた部分があったように思えてならない。 休養、睡眠については、よしとして、小休止や休憩時に、自分の意志で止めうる全機能を、停止させるのは、返って至難の技で、また すぐに覚醒状態に、体中を持って行くのも、難しい。…むしろ ストレスがかかる。 その人の体質や性格により、どれくらいをもって小休止とみるかは様々、ケースバイケースだけど、自分の小休止について ちょっと見直し始めたきっかけが、 今日の急にその場で思いたって参加した筋トレでした。 僕はの場合、基本的な 一日当たりの消費エネルギーをもう少しあげた方が良さそう。
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