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2006/06/19(月)
捨てる ということ。
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最近思うこと。 先生と呼ばれる尊敬すべき人々を 沢山見てきて、 そして、刺激されて、ようやくいくつかの出来事から考えが まとまってきました。 音楽教室としては、受け入れ範囲が広く、悪く言えば、ピンボケとさえ表現される場合もありそうなMSMUSICが、今脱皮の時期を迎えているようです。 受け入れ範囲が広い というのは、残そうと思っております。 音楽は全ての人に その扉を開いている。 それは変わらぬ思いだから。 音楽・・テクニック面で上達してもらうことばかりが僕の仕事ではない。 だから良いんです、リハビリ代わりに通ってる。 老化防止に通ってる。 その日気分良く過ごせるから。 なんとなく癒されるから。 で。 それらが叶ってるって生徒さんから聞くと正直嬉しい。 大げさに聞こえるかもしれないけど “生きてて良かった。” とさえ思う。 ここまでの話を 仮にAグループさんの話としましょう。 Aグループさんが増える一方で、これからお話しするBグループの生徒さんが、音を立てて減っています。一部の方はAグループさんに移行しています。
Bグループさんたちは、強い勢いを持って僕の前に現れては、 私 人前で歌えるようになりたいんです。 私 プロになりたいんです。 音楽は 素晴らしい、音楽は私を救ってくれている。だの、 あたかも生きる希望を失っていたのを 音楽が救ってくれたかのようにまくし立てる。 ・・そして言ってる本人がその時だけは本気で言ってるらしい事も確かですが。 ただBさんは プロになりたいといいながら 「今日は、雨だから休みま〜す。」と冗談めいた口調のメール一本で済ませたり、当日のキャンセルに振り替えレッスンがあるのを当然と考えてたり。 始めから 娯楽 と言ってる人にならいえます。 「ああ良いですよ 風邪でもひいちゃうとアレだから。当日だからワンカウントにはなっちゃうけど。」 って。 でもBグループさんには言葉を失ったものでした。
講師として首を傾げてしまう出来事を経る度、 自分に言い聞かせてきました。 心は まるく! 天狗になってはいけない。 生徒に対して嘘つきになってはいけないって。
でも Bグループさんに対して ある言葉を視野に入れて、向かい合うようにしたら その“ある言葉”は使うまでもなく、Aグループさん(生徒さん)と、弟子しかいなくなっちゃいました。 そして Aさんは勿論、お弟子さんにも、どうやらそのある言葉は、 使わなくてすみそうです。 使うとしたら自分が痛みをもって言わなくちゃいけない言葉
そんなんで 俺の生徒だってなのらないで。
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