今日も生きてる。明日多分。今日は どんな人、どんな事に巡り合えるかな?
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2006/06/27(火)  出会い 別れ 再会
  詩人と出会いました。
 “しじん”と入力して 変換したけど、
 “うたびと”と呼びたい感じです。
 優しい笑顔の癒し人です。
 その人のピアノレッスンをしました。
 ヴォーカルレッスンでは、その人の性格やその時考えてることが、声に乗りやすい。
 ピアノの場合は、多少潰しは利くもののやっぱり出るみたい。
 いいえ 出てます。
 その人の 詩に近いうちメロディをつけたいと思います。

 アーティストと出会いました。
 体の大きな 外人さんです。
 僕がジャンプしたら、一瞬 同じ目の高さになる。
 日本語はほとんど喋りませんが、音楽を聴くときのように彼の英語に耳を傾けると、アメリカ英語の大雑把さが無く、イギリス英語の硬さもない。  彼はカナダ人の絵描きさんでした。

 いろんな 出会いと、いくつかの別れに見回れながら、日々は過ぎています。
  そうそう しばらくあわないでいるうちに、いろいろあったらしく一皮向けた Aちゃんとの再会もありました。

 見送らなきゃいけない人もいて、その子を笑顔で見送る代わりに、
半ば強制的に 約束させちゃいました。
 やがてはCDを出す事、そして そのアルバムの中の1曲はバラードで、大野雄二様のピアノで歌うこと。って。
 そんなに遠い夢には思えません。
 その子の芸名が決まったらここでもお知らせします。

 自分を鍛えるためにいじめ抜いて、周りの全ての人に答えようと奮闘する季節が終わりを告げようとしています。
 教室のホームページでこの日記を書くようになってから、一時期は、自分で立ってるのもやっとなぐらいの日々もありました。
 自分を自ら試すのはやめて見ることにしました。
 そうしたら、僕は、僕自身じゃない何かに試されてることが、明確になり、気持ちの上では楽になってきた気がします。
 地方新聞にちっちゃな記事で“癒し系ミュージシャン”と書かれた時からほのかに始まった僕の疑問 本当の “癒し” ってなんだ? 
からどんどん派生してくる数々の疑問の答えは、いつも音楽を通して
何かが、誰かが僕に気付かせてくれて来た。
 そしてそれを探す数年に渡る旅に終止符を打ったこれからも、きっと僕は音楽越しに答えを見つけてゆくでしょう。
 そんなことを ほのかに思う梅雨の中休みのような一日でした。

2006/06/25(日)  失われた記憶

  心理学的に言えば、自分で封印してた記憶。
 自分とちゃんと向かい合うって決めたある日から、時折、
訳のわからない涙さえ伴って蘇ることのあるそいつに、うまい具合に意味付けして、納得させて丸く収めなおしてくれる誰かが欲しかった。

 でも それ人にやってもらってるうちは 終わらないんだよね。
 粗削りでもいい。 少しずつでもいいから自分でやらないと本当の納得はできない。
 それが自分だから。
 記憶の話だけにとどまらないだろう。
 無理やり納得して心にグイッと収めるんじゃダメなんだ。
 自分がするべき経験を自分で修めていかないと。

2006/06/22(木)  戦わない
 戦わないこと。 これは 自分へのテーマです。
 音楽やって、全てがいい調子で回ってる時を思い返すと、全ての戦いを捨てきってる自分に気がつくから。
 でも実生活ではいろんなものと戦ってるな〜〜。まだまだ。

 もう一人の自分とさえ戦うのをやめよう。
 葛藤の意味が、もう一人の自分と戦うことだとすれば、
 それをやめよう。
  戦わなくても 一生懸命にになれることがあるのなら それでいい。
 もう一人の自分は 喧嘩相手じゃなくて 相談相手のほうがいい。

2006/06/20(火) 10年後に
  僕は 自分で見たものしか信じない。
 だから真相は 知りたくないこともある。

 ただ 心に引っかかる言葉がある。
 本当かどうかは別として、僕の発想に無い言葉だった。
「今は 俺が悪者で、あいつは俺から離れてゆくだろう、
それでもいい、あいつが5年後いや10年後でもいい、俺の思いに気付いてくれればそれでいい。」

 コレを言った人がいるって事実、そしてそれが男と女のことじゃなく 男が 男への思い(友情)として第三者に言った言葉。

 どんなことがあって、どういう状況でいったかじゃなくて、
そう、さっきから言うように、真実の言葉かどうかじゃなくって、
僕が、はなからそういうスケールで、誰かを思ったことがあるのだろうか? ってところで、ある種のショックを受けた。
 いつか気付くだろうってあきらめたことはある。
 でもその時はもう俺いないよ〜〜だ! って怒りながら。

 今僕は 自分の心の器について 考えています。

2006/06/19(月)    捨てる ということ。
 最近思うこと。
 先生と呼ばれる尊敬すべき人々を 沢山見てきて、
 そして、刺激されて、ようやくいくつかの出来事から考えが
まとまってきました。
 音楽教室としては、受け入れ範囲が広く、悪く言えば、ピンボケとさえ表現される場合もありそうなMSMUSICが、今脱皮の時期を迎えているようです。
 受け入れ範囲が広い というのは、残そうと思っております。
 音楽は全ての人に その扉を開いている。 それは変わらぬ思いだから。
 音楽・・テクニック面で上達してもらうことばかりが僕の仕事ではない。
 だから良いんです、リハビリ代わりに通ってる。 
 老化防止に通ってる。 
 その日気分良く過ごせるから。
 なんとなく癒されるから。 で。
 それらが叶ってるって生徒さんから聞くと正直嬉しい。
  大げさに聞こえるかもしれないけど 
 “生きてて良かった。”
 とさえ思う。
 ここまでの話を 仮にAグループさんの話としましょう。
 Aグループさんが増える一方で、これからお話しするBグループの生徒さんが、音を立てて減っています。一部の方はAグループさんに移行しています。

 Bグループさんたちは、強い勢いを持って僕の前に現れては、
 私 人前で歌えるようになりたいんです。
 私 プロになりたいんです。
 音楽は 素晴らしい、音楽は私を救ってくれている。だの、
 あたかも生きる希望を失っていたのを 音楽が救ってくれたかのようにまくし立てる。 ・・そして言ってる本人がその時だけは本気で言ってるらしい事も確かですが。
 ただBさんは プロになりたいといいながら 「今日は、雨だから休みま〜す。」と冗談めいた口調のメール一本で済ませたり、当日のキャンセルに振り替えレッスンがあるのを当然と考えてたり。
 始めから 娯楽 と言ってる人にならいえます。
 「ああ良いですよ 風邪でもひいちゃうとアレだから。当日だからワンカウントにはなっちゃうけど。」 って。
 でもBグループさんには言葉を失ったものでした。

 講師として首を傾げてしまう出来事を経る度、
 自分に言い聞かせてきました。
 心は まるく! 天狗になってはいけない。
 生徒に対して嘘つきになってはいけないって。

 でも Bグループさんに対して ある言葉を視野に入れて、向かい合うようにしたら その“ある言葉”は使うまでもなく、Aグループさん(生徒さん)と、弟子しかいなくなっちゃいました。
 そして Aさんは勿論、お弟子さんにも、どうやらそのある言葉は、
使わなくてすみそうです。
 使うとしたら自分が痛みをもって言わなくちゃいけない言葉

    そんなんで 俺の生徒だってなのらないで。

2006/06/18(日)    ふ〜!
日は ゴスペルのパート練習の日でした。
感じた事 ありすぎ。
まずは いろんな人に ありがとうだらけ。
コールandレスポンスのコールの役をおおせつかったのですが、何分長い事使わずにいてサビついていた僕の英語のサビ落としから始めるべく ご指導いただける外国人(英語圏の人)探しから始まったのでした。 実は結構切羽詰まってた僕を救ってくれたのは 行きつけのトレインカフェの方々でした。そうして巡り会えたM様に御指導頂きなんとか今日にこぎつけた。ここまでだけとっても ありがとうがいっぱい 救世主だらけです。
アコーミュージックは 普段はバカ話もできるけど ミュージシャンとして、講師として、尊敬しているK先生がやってるから そこのイベントの一部である今回のゴスペルのコール役は 僕にとっては 大役と言う他はなく さりとて 歌う側の皆さんは プロばかりではないから 余計なプレッシャーが移ってしまっては本末転倒。
まだまだ 自分のリードの仕方(コールのタイミングやテンションの持って生き方)に満足は出来ないけど、かろうじてK先生の顔はつぶしてないようで ホッとした って言うのが本音。
しかしウン十人で 歌うのって気持ちよい。
今日の最初のうちは 僕自身を先頭にコールandレスポンスどころか 様子見って感じだったのが人数が多いだけに目に見えてノリが 生まれ来る。
みんなで歌うと楽しいね!!

講師としても 他の教室の空気を吸わせて貰うのは大変 勉強になる。
しかしアレだ。(アレってなんだ?) まだ ハマり切っていない 英語の早口シャウトを早く仕上げなければ。

2006/06/16(金)     同じ言葉なのにね
 同じ言葉なのにね。
 優しい人に 優しいね って言われると嬉しい。
 優しさを失ってる時期の人に言われると、痛々しい。

 かわいい人に、かわいいって言われると、嬉しい。(男の癖に)
 かわいげを失ってる時期の人に自分を鑑定するかのように
 かわいい人って言われると 内心むかつく。

 無邪気な人に ヒカルさんってわかりやすい って言われると
照れくさい。
 裏表を持ってる時期の人に
 ヒカルさんの心はガラスのように透けて見えるのね って言われると、怖い。

 元気な人に 元気だよ!! って言われると、
 こっちも元気になる。
 ホントは辛い時期の人に 元気だよ!! ッて言われれば言われるほど 自分の無力さと相手の優しさを感じる。

 かわいい人に いやらしい って言われると ちょっと嬉しい。
 セクシーな人にいやらしいって言われると 落ち込む。
 かわいい人に セクシー って言われると お世辞に聞こえる。
 セクシーな人にセクシー って言われると かなり嬉しい。

 同じような言葉なのにね。

 自分の手の内をなかなか見せない人に、
何か聞かれると、どうはぐらかそうか? っていやらしくなる。
 こういうつもりなんだけど、どう思う?
って聞かれると、考えるより早く言葉が飛び出す。

 同じ質問でもね。

 あの人に@−^+☆▽$ΘΦξ って言われると溶ける。
 この人に@−^+☆▽$ΘΦξ っていわれると 誰か電話鳴らしてくれないかな?って焦る。

 同じ@−^+☆▽$ΘΦξ なのにね。

2006/06/14(水) いろんな角度から五感を刺激
  今いろんな角度から 五感を刺激するのが ここ数年のマイブームです。
 面白い心理学が好きで、目の錯覚を応用した不思議絵の類はかなり見てきたつもりだけど、耳の錯覚が多いこと多いこと・・。
 まあヴォイストレーナーだったり ミュージシャンだったりする人がこんな事を今更 目を真ん丸くして言うのもなんだけど。

 聴覚の世界は、奥が深いですね。
 心の柔軟運動が意外にも かなり役に立ちます。
 勿論 身体の柔軟運動も。

 もう習い始めてる人も多いですが 詳しくは次のレッスンで。

2006/06/13(火)  ご無沙汰してる 人々。
   この頃ご無沙汰さんから次々連絡をもらう。
 
 転機を迎えると必ず僕に連絡をくれるS君。

 いきなり音楽室をトントンとノックして、天使のような優しい
笑顔とお土産のスイカをくれたY子ちゃん。
 
 イタリア留学から帰ってきて、しばらく風の便りだけだった
オペラ歌手のRちゃん。 元気な笑顔が変わってなかった。

 Rちゃんとの再会を果たし、その後野暮用に追われたため今日になって気がついたのが、
 これまたご無沙汰してたYなさんからのメッセージ、おそらくはチラッと僕を通り過ぎざまに見かけて懐かしく、便りをくれたのだろうけど、髪の色を変えたのにまで気付いてくれてたのが嬉しいやら恥ずかしいやら。

 同じようなタイミングで メールをくれたAちゃんは お茶しようって言ってくれたが昨日のうち返信できなかったから、今日再会できるか?どうなるかわからないけど、

  なんだろ?

 しみじみみんなの笑顔が蘇る。
 心に温かい日差しがさしてきてるのがわかる。

 重たいテーマを 自ら背負ってみたりして(はたから見たら大して何にも変わりないんだけど。)してたから、少しの間 自分の視線が自分の内側を向いてたかも。

 みんなみんな ありがとう。

2006/06/08(木)  自分を変える。
  正直 言っちゃうと 前回のライヴで落ち込みました。
 でも 日記にコメントくれた皆さんのおかげで、
今は 元気。
 ありがとうございます。
 ライヴを見てくれた人の評価そのものは悪くなかった。
 
 陶芸家なら、自分の気に入らない作品を容赦なく投げつけて割ってしまう。 駄作を世に出して自分の名前を汚さないうちに。
 僕から見たら ああ勿体ない、割っちゃうなら僕がもらってサラダのお皿にするのに・・。って思う。

 ミュージシャンのアドリブ演奏では、お客さんの前で作るものだから、そういう隠滅行為が出来ない。(厳密に言うと少し出来る)
 さりとてあらかじめ作っておいたフレーズを弾くなら、
アドリブソロではなくなってしまう。

 ずいぶん前 「芸術家は 苦悩するのがサガだ。」と年下の女性にいわれ意地になって「俺は苦悩しないもん! 楽しい音楽やるんだもんね。ジャンル違うし。」って言った覚えがありました。
 去り際に「苦しめよ。」って言われたあの目 未だに覚えてたりして・・・。 やだね 捨て台詞って。

 途中をはしょって話すと今回やっと出した答えが、

“苦悩しないぞ” に執着しない時、初めて“苦悩してない心の境地”で、演奏が出来る。
 苦悩しないために 苦悩をして当たり前と視野に入れる。
受け入れちゃうと“楽”になるから、苦悩が 工夫 に変わる。

 あははは なんか 一人禅問答みたい。 ま いいか。

 でも こうして答えが出てしまうと 過去に 戦うだの戦わないだの 人間に闘争心は必要か? なんてことで グダグダへ理屈こねて悩んでた頃の自分が 一を聞いて十を知る人だったらついでに答えが出てただろう?って思えます。 

 決めた 自分を変える!! 応用力をつける。
 早速 今回自分が嫌いな心の落ち込みさえ伴って出した答えを
自分のものにする!
 そのためには 自分が 生徒さんに思わず言ってる言葉を使えばいい。
 生徒に投げかける言葉は必ず自分に返ってくる。
 どんなこといってたっけ・・・?こういう場合・・・。

 「新しく学んだことは、“習慣化”させてください。でないと、今まで知らず知らずやって癖になってた歌い方が戻ってきちゃう事の方がたやすいです。」・・・ん これだ。

 苦悩は どこから来てるか?
自分を許せない気持ちからじゃないか?
苦悩しないで 工夫する心のゆとりを、習慣化させるぞ。

 ・・・・ああ疲れた。 難しいこと考えたら眠くなっちゃいました。 とりあえず落ち込んだ状態は脱したのだし、次のレッスンの2時間前ぐらいまで、少し寝ます。
 おきたら忘れてたりして・・・。

2006/06/07(水)   ふぇるまーた終了。 
 お蔭様でふぇるまーたライヴが終了しました。
  ありがとうございました。
 あの 大野雄二様が弾いた後のピアノを弾けるとあって
色んなことをしたくなりました。
 肘打ち3連発とか、普通はやらないだろうって言うアレンジや、
 今回は“ご法度破り”なことも結構しました。
 良かったこともあったけど、反省点もいっぱいです。
 共演したショウコ先生とも 帰り道は反省会状態でした。
  まだまだ 簡単に結論を言うと精神鍛錬を積まねば。

 インスピレーションを頼りに、今回は ご法度破りを沢山しました。
 いい勉強になりました。
 アドリヴの要素の多いステージほど、自分のメンタルな部分の管理が本番でものを言う。
 その解りきったことを改めて強く感じました。
 かっこよく言えば新たなステップに上がろうとしてる。
 かっこつけずに言えば、出来て当たり前のことに、執着しすぎて、
お客さんの声に反して、自分の中では まだまだダメって言う気持ちが
ステージ後にいっぱい出てきちゃう。
 脱皮せねば。

2006/06/06(火)      可愛い。
 今日は本番。
 明け方近くまで 1人リハをしました。
 インスピレーション便りなところあるから、本番前夜は本当は寝たほうが良いのに 時にはこんな時もある。

 後はぎりぎりまで寝てても良いんだけどでもなんとなくある人のまだあまり公開してない様子のブログを見ました。

 僕のレッスンのことが書いてあった。
 僕は当たり前と思ってやってることを、大切にくれていた。

 そのこが可愛くて仕方ない気持ちになった。
 ブログに限らず たまたま思い知るこんな気持ちが 僕のこの仕事をやめさせない。
 と同時に、“先生を育ててるのは生徒だね”って誰かに言われてる気がしました。


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