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2006/05/30(火)
自分の行動の一貫性のなさを・・・。
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僕は 行動にほとんど一貫性がない。 少しでも余裕があれば 同じところに行くのに別の道を通ってみたり、曲を一曲とって見ても、ライヴ感を意識して(なんていうとカッコいいけど、一度うまく行ったフレーズをきっちり同じにやろうとするとそっちに意識が行き過ぎて返ってへたくそになるから)あまり複雑なキメを曲に作りたくない。
必ず 同じ位置に財布を入れて家に帰ったら、鍵をここ 財布はあっちって決めとけばよさそうなものを、これだけ長い間生きててそれを習慣にする知恵にかけていた。
だからだ!! しょっちゅう財布をなくす。 しかしだ!! たいていはすぐにみつかる。 何故か? 考えてみた。 自分の少ない一貫性が 鍵となってる。 しょっちゅう失くすだけに、もう戻れない場所に置き去りにはしないという最低限の一貫性がそこにはあったのだ!!!
つまりこうだ! 失くすとよくないものに対して 僕はある種の緊張感は持っている。 だから、ああ コレ失くさないように何処かによけて置かないと って思う。 ソコまでは いい。 よけておいた事の安心感から、更なる緊張はいらぬ気苦労とばかりに安心感に身をおき、よけておいた場所さえも忘れてしまう。 ちなみに 僕の “よけておく” という行為は、同居人という、特殊な立場にある人には “散らかす”という行為に見えることがしばしばあるらしい。 次に出かける時、すぐに手に取れる、そして目に付きやすい位置におく行為のつもりなのだが・・・(汗)。
そして 同居人の “しまう” という行為が、僕の目には、 “隠す”に見えてしまうことがある。 コレは よくない。喧嘩の元だ。 ・・・このことは 僕の中で、隠すという言葉を しまうという言葉にリトランスレートすることで、円満な関係を手に入れることができた。
さて 失くす ということ。この場合 大体において、警察の関与を伴わず、家の中で解決してしまう、(遠くても家のすぐそばに止めた車の中迄。)僕の、時折起こすトラブル。 この時自分の中に起こる緊張感は実は、いつの間にか僕を楽しませていることに気がついてしまった。
ステージの本番前の緊張感に類似しているのだ。
本番前は 走ってはいけない(あせってはいけない)。 腹式呼吸で、瞑想状態に入り、これからのお客さんたちと過ごす楽しい時間をイメージする。 ・・・・しばらくすると 新品の蛍光灯がパチッと点いたように ステージモードに入る。
失くし物の場合 こういうときは、あせってはいけない。 腹式呼吸で 瞑想状態に入り、最後に財布を置いたときの 安心感をイメージする。 ・・・・しばらくすると 新品の蛍光灯がパチッと点いたように 財布のありかが 画像を伴って思い浮かぶ。
これがうまく行くと自分が超能力者にでもなった気分だ。 雑念を捨て去り、そこから生まれる余計な思考を消し去り、 探し物の気配にだけ集中する。
世の中の人々は、おそらく99%の確率で 僕のこの極めて精神的に高度で、集中力を要する 自己の記憶探索行為を、
“おっちょこちょいがまたなんか失くして探してる”
と言うことだろう。
しかし!!! し しかし そ そのとおりだ。
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