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2005/06/19(日)
余所見が直らなかった自分
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その曲だけ振り返ると 全然満足いかなかったんだけど、 発表会で、泉谷し○るの 春夏秋冬 と言う曲をやりました。 その一説に “隣を 横目で覗き 自分の道を確かめる また一つ ずるくなった 当分 照れ笑いが続く” て言うのがある。 無頼者を目指してる割に この一説には やたら思い当たる。 弱虫の自分。 人のことを わかって上げたいなんて奇麗事だけじゃなく、 人の事知ることで、自分のことを知ろうとしている。 そうしながら ある人には 自分のこれから ぶち当たるであろう壁を見、 またある人には 自分がついこの間 抜けてきた道筋を見、助け合える人とは おのずと長く 一緒にいられる。 屈託のない笑顔を交わし、楽器の音色や歌声を 交わし、暖めあえれば、幸せでいられる。 昨日 某ライヴに行きました。 窓の外に 電球に照らされたくもの 巣を見つけた。 ぐるぐると回りながら小さい蚊や、それよりは少し 大きい蛾が飛んでて、それを ボーっと見てた。アイスコーヒーの 残りの氷で口を冷やしながら。 となりにFさん 正面にYさんがいて、戯れに元気玉の交換しながら 穏やかな空気を取り戻し、くもの巣をみてた。 巣の中心には 蜘蛛がいて、時折かかる蚊の小さい振動には微動だにせず、ちょっと大き目の蛾がかかった振動には即座に反応して、獲物を がんじがらめにしにいってた。 かかってしまったのに、蜘蛛に相手にされることもない小さな蚊にも すばやく獲物に襲い掛かる蜘蛛にも、粉を散らしながら最後の抵抗を する蛾にも 感情移入することなく ただただ その風景をじっと眺めてる自分を、今までミュージシャンとして、歌人として自分に許してきたんだろうか? そういう自分を認めることで、歌がかけなくなるような目に見えない恐怖感に、負けていただけじゃないか? この間 これまた 戯れに 安い占いをしました。 出てきたキーワードは、 調和 でした。
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