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2005/03/10(木)
よそ見
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相変わらず よそ見ばっかりしてます。 でも ある時期から 僕のよそ見の仕方が 随分変わってきました。 心のまだまだ浅い部分での“無意識”にあやつられての言い訳探しの為のよそ見を やめる事が 出来る様になってきました。 よそ見して 思うのは 人が一番美しく輝いてるのは よそ見してないで一所懸命になってる時だって事。 僕には 師匠がいない。 教祖がいない。 逆に言えば 音楽やってなくても 何かの道を一途に歩んで来て そう言う目力をたたえつつ 例え口べたでも どこか優しい人は みんな 師匠です。 例え本人が意識してなくても 一緒にいてなんかあっかい気持ちになれる相手は みんななんか大事な事を思い起こさせてくれたり 気づかせてくれる 教祖です 呼び方は天使でも先生でも何でもいいんだけど。 してみると ダジャレばっかりいってる親父天使もいるし キッチンドランカー寸前のお母さん天使もいるし いつもコンビニ袋いっぱいに菓子パンやジュースいれて 世間話の好きな世の中のすいもあまいもがぎわけたおばさん天使もいてにぎやかでいい。 みんな どこかしら 大事なところで メッセージをくれてます。 いつのまにか そうなっていました。
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